第6話 後宮から届いたクソニンジン


  雪花シュエホアは向かいに座っている金さんと銀さんに視線を移したが、二人は降り注ぐ木漏れ日の中、爽やかな笑顔を見せるだけで、決してこっちを見ようとしなかった。

真横にいるバヤンに目を遣ると、弁当箱の底を箸でガサゴソつつく音が、今は食べることに集中しているから、という無言の返事になっていた。

 空腹が一段落した頃、ようやくバヤンが口を開いた。

 

「さて、まずは戦袍の色なんだが、我がアスト親衛軍は赤系で勝負する。そうだ、情熱の色!キプチャクが青系にしちまったからな。青に金泥で龍の模様の夢が……くそっ、面白くない!おまけに、あんな面倒臭い連中に飯を食わせて使える兵士に育てるだなんて、もうやってられるかっ!あ~思い出したら段々と腹が立ってきた!!」


当時、コバルトブルーと龍の模様が流行していたので、バヤンも是非とも自分の部隊のイメージカラーにと狙っていたのに。

そこへ、明日からが入隊するという。

 きっと波乱に満ちた訓練になるであろう。

 

 「あら?見て!バヤン将軍よ~!」

 

 声がする方を見ると、美しい妃嬪達がボン、キュッ、ボンの見事なボディを悩ましげに揺らしながら近付いて来た。

 バインかボインという擬音が頭に浮かぶ。

 

「いやーん、美味しそうなおかず!」

 

「私も欲しい~!」

 

「私、点心大好きなの!」

 

 男性陣は全員、鼻の下を情けないくらいに伸ばして言った。


 「ささ、どうぞどうぞ!」

 

 「まあ!嬉しい!」

 

 「皆さん、優しいのね!」

 

 「この前、美味しいお菓子の差し入れありがとう!」

 

 普段はキリッと引き締まった顔の副官と金さん銀さんが、デレ~デヘヘ~っとしているのには驚いた。

雪花はチッと舌打ちしたいくらいに思っていたがここは勉強と思い、じっと彼女達のブリブリ仕草を観察していた。

 

(なるほど。あんな感じにちょっと大袈裟に感心するのか。両手をグーに作って両ほっぺに当ててから、凄~い!ね。後で私も練習しーよおっと!でも何故、彼女らと親しくする必要が? あ……そっか!後宮との親交も外交みたいで必要なのかもね。色んなパイプがあった方が何かと都合良さそうだし)

 

 後宮のもう一つの顔―― 華麗なる百花が咲き乱れる秘密の園、だがその内は、ドロドロだ。

 女達の嫉妬、権謀術、裏切り、欲望が渦巻く伏魔殿。

 

 (外側からじゃねえ。見えないから見たいのよ。お!なんか武者震いが……)

 

 不意に、凛とした美しい声がした。

 

 「ごきげんよう」

 

 すると、きゃぴきゃぴした空気が一変。妃嬪達は一礼したまま、すーと端に下がった。

現れたのは、大勢の女官達と護衛宦官を従えた、目にも綾な衣装に身を包んだ美しい女性。

 雪花を除いた全員が起立した。

 

「皇后様!」

 

 バヤンの声で、驚いた雪花も皆と同じ様に起立した。

 図帖睦爾トク・テムル皇妃ハトゥン卜答失里ブダシリだ。


「バヤン将軍、ごきげんよう。あら、お昼を召し上がっておられたの?まあ、ごめんなさい!」

 

 皇后は口元を団扇で隠し妖艶に笑った。

 

「いえ、皇后様。どうかその様にお気を遣われずに。ここで人目も憚らず、好き勝手に致しておる我らに非がございます」

 

「いいのよ。庭園とは人を癒し、心を和ませる為にあるもの。そうじゃなくって?」

 

 「仰せの通りに存じます」

 

「バヤン将軍!陛下を大ハーンに推した功労者のひとりであるあなたに、どうして駄目と言えるでしょうか。陛下も私も感謝の念に堪えませんのに」

 

 皇后は美しい目鼻立ち。真っ黒な髪を高く結い上げ花をかたどった金の髪飾りを付け、耳朶にも揃いの花の耳飾りを付けている。衣装は紫の襦裙。豪華にも金糸で華文の刺繍が施され、その上から薄絹で仕立てた大袖のひとえを羽織っていた。

 流石は皇后様。貴重な紫の染料をふんだんに使った絹織物を着ている。

 雪花は、同じく紫を愛したクレオパトラを思い出した。価値があるからこそ好まれたに違いない。

 

 「バヤン将軍、トクトアは大丈夫?宮中で、トクトアは熱病に罹って大変だって噂を聞いたのよ。丞相に聞いたら笑ってばかりで何にも……」

 

 「…………へ!?熱病?あ…… はいっ、大丈夫です。もう寝床から起き上がれる程に……」

 

 そう良かった、と皇后は微笑んだ。

 トクトアは熱病を発症して参内出来ないことになっていた――らしい。

 

「時に――バヤン将軍、最近遠縁にあたられる姫君をご養女に迎えられたそうですね。姫君はこの上なくお美しく、また大変な箏の名手でいらっしゃるとか。お噂は、私の耳にも届いております。そこで是非とも、姫君の箏の音色を聞いてみたいと思っております。いかがかしら?行儀見習いと思い、姫君をこちらに預けては下さらないかしら?あなたがお望みのご縁も、この私が、責任を持って取り持ちましてよ!」

 

皇后の言葉に、その場にいた全員が目を大きく見開き驚いた。

 バヤンの瞳は、少女漫画の主人公も顔負けの、お星様みたいにキラキラ輝いていた。

 彼の頭の中はあわよくば雪花を嬪のひとりか皇子の遊び相手に、それを足掛かりに、丞相の座か広大な領地を有する万戸侯ばんここう(大名)になれるかも、とひとり勝手な妄想をしていた。


「そ、それはありがたき幸せ!!じ、実は……」

 

 バヤンはお星様お目のまま、肘でもって雪花を小突きつつ、挨拶をするよう促した。

 この格好で挨拶をしろと――?「皇后様に御挨拶を。雪花シュエホアと申します」と、自己紹介するのか――!?

 ぼうっとしていたら、「あ、ご飯粒付いてるよ」と、バヤンがさりげなく手を伸ばし、あのア○ンアルファばりにしつこくへばり付いている " 素敵なオジサンお髭 " を引っ張った。

 しかし、髭は取れる筈もなく「痛たたたた……」と、雪花は抗議するかの様に声を上げた。

 

(伯父様……何が、私は出世なんか考えたことない、よ。まさか、昼食をここで食べる目的って……)

 

 それなら副官や金さん、銀さんのおかしな様子にも納得出来る。

 自分は―― 本当は出世の為の足掛かりとして養女にされたのではないか?と考えてみた。

 ――いや違うか。

 直ぐにその疑念を払拭した。

 今の格好は武官姿ではないか、と。

 

 (これじゃ紹介にならないわよね。皇后様と出会ったのは偶然かも。って、髭が取れたらなんと紹介を?こんな格好で?相手は国母…… ちょっと!私を恥かきっ子にするつもり!?)

 

  雪花に涙目で睨み付けられたので、バヤンは仕方なく手を引っ込めるしかなかった。


バヤンは呆けた様な顔をしていた。


(しくった。髭取れても衣装がこれじゃあな……)


 「バヤン将軍?どうなさったの?」

 

 「な……なんでもございません、皇后様。このバヤンをそこまでお気に掛けて下さるとは誠にかたじけなく存じます。しかしながら……それがしの不肖の娘は…… その、かなりの引っ込み思案にて…… おまけに今は瘧鬼ぎゃくきに取り憑かれたかの様な病に伏しております…… 回復致しましたら、そのまた……」

 

 皇后は別段気を悪くした様子もなく、むしろこちらのことを心配してくれていた。

 バヤンの才能を買っているのもあるが、現在、病気の子供二人を抱える爸爸パパというのもある。

 

「まあ!おこりに!?なんとお可哀想…… しっかりとご養生なさってね。ひょっとしたらトクトアもだったのかしら?もう、他人行儀な…… そうそう!おこりにはクソニンジンが効くんですって!そうだわ!良い高麗人参も手に入りましたの!熱の上がり下がりがあるからしっかり滋養もつけないとね!後で両方、お屋敷に届けさせますわ!」

 

 バヤンは自分の耳を疑った。

 

 (今なんつった?クソニンジンって何?私は嫌われてる!?え?何で?でも皇后様が笑顔でそんな……)


 皇后の怪しい微笑みの裏に潜む何かを想像し、あれこれ思い悩むバヤンだった。

 

 「ク、クソニンジン…… お、面白き名前ですな。あ、ありがとう存じます」

 

 では将軍また、と皇后はにこやかに笑みを浮かべて去って行った。

 急に降って湧いた万戸侯の夢が、朝露の如く儚く消え失せた。

 それぞれの胸中にあるものは――

 一同は無言でボソボソと弁当を食べた。

 

 そしてその日の夕方――クソニンジンと高麗人参は間違いなく屋敷に届けられた。

 トゥムルは高価な高麗人参に狂喜した。

 

 「さっそく若君に差し上げましょう!」

 

 バヤンは恐る恐る乾燥したクソニンジンなるモノを手に取って、その匂いを嗅いでみた。

 

 「あれ?思ったより臭くないかも。……やっぱ下衆の勘繰りだったか」

 

 悪意ある親切などと。

 雪花は苦笑いするしかなかった。

 世の中には役立つものに、残念な名前が付いたのが、幾多も存在するという。

 

 

 

※クソニンジンとは。

 道端とかに普通に生えてる雑草。全体的に異臭がするのが特徴。でも匂いは個人の好き嫌いがあるから何ともいえない。ヨモギ科。学名 アルテミシア(学名の方がカッコいい?とか人名でいそう?)和名 ホソバニンジン。生薬は黄花蒿おうかこうおこりとはご存知マラリア。瘧疾ぎゃくしつとも。


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