第21話 誰が運命の人か? 其の三〈悪魔の微笑〉
「
従者タスルとナギルはド派手ピンクの背中を追い掛けた。
二人の胸には、一刻も早くあの趣味の悪い
高貴な生まれの
だが大きな声で、高麗の世継ぎを意味する
二人の従者は、仕える主君の異性運の悪さを嘆き、その元凶となった者達を酷く罵った。
これが新たな騒動を生んだ。
二人が、この宮城の宮女達の憧れの存在〈花のケシク四人組――皇帝直属の親衛隊〉のメンバーの一人ジョチの名を出した結果、それを往路の隅で聞いていた宮女のひとりが、慌てて殿舎に駆け込みあちこちに触れ回ったことで始まった。
やがて、各々チリハタキ・布団叩きやホウキを手に現れた宮女の一群が、憤怒の形相で二人を追った。
「私達のジョチ様を悪く言うなんて許せない!!」
「ちょっと!私達のジョチ様が赤毛の不細工な女に
「トクトア様は!?」
「なんとか言いなさいよ!」
「袋叩きにしてやるわ!」
二人は追い回されて泣いた。
「ヒ~なんなんだ!この国の女達は怖いのばっかだ!!」
ヒステリックな大嵐が過ぎ去った後一番ビリケツを走る、ド派手ピンクのパンツ一丁男のすぐ脇を白馬に乗った中年男が、おっ先ぃ、と駆けて行った。
ついに、パンツ一丁男は疲労でドタッと仰向けに倒れた。
「ねえ!なんでそんな変なカッコしてるの?」
男が苦しそうに喘ぎながら声のする方を見上げると、やけに顔立ちが整った、見るからに生意気そうな少女がいた。
偉そうに胸の前で腕を組み、仁王立ちでこっちを見下ろしているのが鼻に付いた。
「……愛の為」
咄嗟に出た言葉にしてはまともな答えだったが、残念なことに、格好の方はまともでなかった。
「……ふーん」
フラフラと走り去る男の後ろ姿を黙って見つめる少女は、自分を呼ぶ声に振り向いた。
「ダナー!妹よ、何処だ!?」
少女を心配した兄が駆け寄った。
「こらダナ!勝手にトコトコ行ったらダメじゃないか!」
「タン兄様!あたしは、皇帝陛下の正妃になるんでしょ?だから今のうちによく見て回っておいた方がいいと思ったの!」
「……うんまぁそうだが、当分先の事だし」
「もう十歳よ!」
「でもまだ子供だ!」
「なによ!また子供扱い?見てなさい!あたしは白馬の貴公子様達から沢山の文をもらうんだから!!」
少女はプンスカ怒って兄の逞しい胸板をゲンコでポカポカ叩いた。
粗暴なことで人に恐れられる兄は、歳の離れた器量良しの妹に甘々だった。
「悪かったよ、悪かったって!強いなダナは。でも花のケシクボンボン組は許さないぞ」
「ねぇタン兄様、可愛い私の為なら
「は!?急になんなんだ?」
兄タンギスは答えに困った。
「兄上~若い女官達がおりませぬ。いったい何処に……」
もうひとりの兄タラハイが、嘆きながら現れた。
「タラ兄様も、あたしの為なら!フンドシ一丁にだってなれるよね?」
「フンドシ一丁って!?」
「愛の為なら、なれるよね?ね!」
「なんで?なんで愛とフンドシ一丁が関係あるんだ!?」と、二人の兄は、幼い妹のこの奇妙な〈愛の尺度〉の知識の出所について首をひねるのだった。
少女の名はダナシリ。
エル・テムル丞相の娘である彼女は、後の十一代皇帝トゴン・テムルの後宮に入る。
この大元の国母になる、という野望を抱いて。
*∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*
オルダとボアルは歓声でもって二人を出迎えた。
「ジョチお疲れ!雪ちゃん待ってたよーいらっしゃい!」
雪花は、ラグジュアリーなシバンの馬車を見た。
「え!?あの……」
馬車には二頭の美しい白馬が繋がれていた。
(蘇州のお祖母ちゃん、この場合はどう易断を……)
雪花の困惑している様子を見たジョチは、大切に育てられたこの娘はまだあどけないおぼこな娘であり、宮女達の憧れの貴公子達に取り囲まれると緊張してあがってしまうのは無理もないことだ、とかなり自分の都合の良いように考え、このてんやわんやの騒動の発端を説明した。
「君が、バカ王子の従者と一緒に歩いてるのを見て、もしや、と思ったんだよ。で、秘かに後を付けたらやっぱり宮城へ向かってたんだ。これはマズイと一計を案じたら、まさかこんなに上手くいくとは思ってもみなくて。……我ながら驚いたよ」
今の説明を聞く限り、彼の方が悪い男に思えるのだが。
「ちょっとちょっと聞いてよ!」
オルダが間に割って入った。
「って先に僕らの方がバヤン家の姫様に目を付け……じゃなくえ~と、清く・正しく・美しい交流を姫君と育んでいきたかったのに。なのになのに……」
今度はボアルが後に続く。
「急にだよ!あのバカ王子が後から出て来てさぁ、今の気分はたとえるなら♪ルンルン、今日の夕飯のオカズはプリプリの脂がのった
ボアルのたとえは主婦そのものになっていた。母親が実家に帰ったからって、もう主夫をしてるのであろうか……
「ははは、
(私は鱒……)
「ふっ、姫君を鱒なんかにとえるなんて…… 風流人失格だな」
シバンが熱い眼差しで、雪花の手を取った。
「シバン様」
「
一同の間を、やけにひんやりとした風が吹き抜けた。
「えへん。…………ほらご覧よ、太陽も笑ってるよ」
シバンは白々しく視線を宙に
「本当に。良い天気ですものね……」
(って、なんで私がフォローを……)
「
それ以上言わせてなるものか、と
三人はシバンの口を塞いだ。
「下ネタはダメだめだって!シバン!!」
「目の前に
「冗談にしても、御婦人にそんなこと言うなんて非常識かと思うよ」
「いつでも俺は直で勝負さ!ははーん。諸君は嫉妬してるのかい?俺は彼女に自分の肉体を…フガフガ……こら!人の口を押さえ……やめ………」
「……………」
(お、面白い人達だこと…… もうこのへんでいいかげんカマトトぶるのはやめにしないと、その内バチがあたるかもな……)
「あら?」
(まあ!可愛い坊やじゃないの。ボアル様に似てる~ " 素敵なオジサンお髭 " なんか付けちゃって)
ニコっと笑いかけてみたが、ベルケは、草原に生息する
(……かなりの人見知りかも。うん?)
プルトーイが白馬だと気付いた。
「!?……」
(まさか。相手は子供……)
年齢差を考えて愕然とする。
お祖母ちゃんの占いを信じたら犯罪者になってしまうだろう。
「おっと、呑気にじゃれ合ってる場合じゃないぞ、もうじき怒り狂ったトクトアが来る!みんな急ぐんだ!」
ジョチが皆に馬車に乗り込むよう促した。
「あの……私、やっぱりここに残ります」
雪花は、怒り狂ったトクトア、と聞いて真っ青になって怯えた。
(ガクガクブルブル…… お尻ペンペン。こ、こわいよ……)
「ふっ、見損なわないで欲しいな
「い、いえ、本当にいいんです!後生ですから!お願い!」
シバン達は、半ば強引に雪花を馬車に乗せた――ところまでは良かった。
「雪花、迎えに来たぞ!」
トクトアが追い付いた。
「おいで雪花、私と帰ろう……」
遂に、トクトア最強の武器〈殺人アルカイックスマイル〉が出た。
上都の処刑場以来である。
彼に初めて会う人は、その美しい顔に浮かんだ微笑み、優しい声はまるで天使のようだ、と言う。
しかし、彼をよく知る者にとっては、地獄から来た悪魔の微笑みにしか見えないことを、ベルケを除いた全員が知っている。
彼は、低く甘い優しい声で呼ぶ。
抜き身の剣を、後ろに隠して……
「早くおいで……」
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