第27話 神宿す領域
同じような事例はいくつも確認されている。
我が子を守るために車を持ち上げた母親。
巨大な岩を持った男。
人間の限界は僕等が考えるよりも遥かに高い。
そこへ到達するための扉を、僕はスキルで無理矢理こじ開けた。
「はっ、なッ、ま、待て! なんだそれは! なんだその力はッ!?」
口元を動かすカルラの緩慢な動きをハッキリと理解する。
奴がどう動くのかも瞬時に分かった。直感が神懸かったように冴え渡る。
【魅了】で外した脳のリミッター。後先さえ考えない強制的なスキルドーピング。
絶対的な全能感による麻薬のような恍惚の感覚に全身がピリピリと痺れる。
握りしめた長剣の柄がミシリと音を立てた。
驚愕に目を見開いた魔族の男。そこに、もはや余裕は無い。
理解不能な力を前にカルラは明らかに恐れ後退る。
「――――――」
両の眼から流れ出た血涙が頬を伝った。
地を踏み締めた。踏み締めた右足の筋が引き千切れる。
指先の肉は捲れ上がり、爪がひび割れた。
これは決して架空の力なんかじゃない。
僕達のいた世界でも有り得た、ほんの一握りの人間だけが到達できる稀有な現象。
自らの意思では絶対に辿り着けない領域。
日本では火事場の馬鹿力とも呼ばれるそれは
【ゾーン】【フロー状態】【ランナーズハイ】
それに類似する現象も数多く存在する。
許容限界の突破。極限状態下における脳のリミットブレイク。
「ふー……」
大きく息を吐く。刹那、僕は駆けた。
一瞬で距離を縮める僕を見て、カルラは慌てたように短剣を操った。
だけど――
肉体の動きが完全に短剣を上回る。敵の狙いは尽くが外れ、その全てが高速の剣捌きによって防がれる。
極限の集中状態の中、僕の意識が攻撃を捉える。
瞬きさえも許されない刹那の攻防。だけど、カルラが僕に触れる事はもう二度と叶わない。
異常分泌された大量の脳内麻薬による潜在能力の解放。
痛みはない。脳の神経回路は必要最小限の情報だけを伝えてくる。
止まって見える。全て、何もかもが。
「ぐっ、く……な、舐めるなよガキがぁぁ!!」
さらに速度を増す猛攻。
だけど、それはもはや誤差でしかない。
裏をかくように背後を狙った攻撃も、死角から同時に飛来する短剣も――どれも僕に届くことはない。
その全てを冷静に打ち落とす。
高ぶる感情とは逆に、思考はどこまでも冷徹に。
ただ、脳裏に浮かぶのは友達の……リリアの泣き顔だった。
「ッ゛――――――ッ!」
筋肉の繊維が千切れる音、そして同時に弾かれる短剣からは歪な破砕音が鳴り響く。
【神殺し】によって、ダメージを受けた刃先からヒビが入り、粉々に破壊されていく。
カルラの手足とも言えるそれらが1本、また1本と消えていった。
そして、宙へと浮かぶ鋼鉄の短剣。その最後の1本が、砕け散る。
金属片が虚空へと霧散した――
「ば……か、な……」
カルラの顔に醜悪な笑みはもう無かった。
顔を引き攣らせ、額からは脂汗が滲んでいる。
「な、なるほど分かりました。ここは退かせてもらいましょうかネ。残念ですよ。貴方とは――」
カルラは退避しようと翼を広げ、破損した窓から飛び立つために背を向ける。
が、その判断はもう遅すぎたし、悪手でもあった。
「逃、がす、かああああああああああああッッ!!!」
超強化した筋力によるスローイング。
研ぎ澄まされた剣の投擲は、左翼の骨を勢いよく穿った。
「あがっ!?」
無残にも醜態を晒すカルラ。
必死にもがく。暗く、青い血だまりが周りに広がる。
「ごふっ、がっ、はーっ、はーっ」
胴体までも大きく損傷した男の体。スーツに青黒い血が広がっていく。
虫の息といったところか。ここからやることは一つ。
逃げ場を失ったカルラにゆっくりと、一歩一歩、歩み寄る。
「ごひゅっ!? ま、まっひぇ、たたた……たすけ」
虫の息となったカルラの頭を、右手で両こめかみを挟む要領で掴み上げる。
握る力を強める。メシっという頭蓋の響き、男の悲痛な叫び。
今、この瞬間だけ、この音が心なしか愉悦にさえ感じられた。
命乞いされようとも、この男かける情など初っ端から、微塵も持ち合わせていない。
ましてやかける言葉というものも無い。
全身の力を怒りに任せて振り絞り、拳を上げ――振り下ろした。
「い、嫌だ! 死にたくないっ!? 死にたくな――――――」
飛び散る脳髄、鼻に溜まっていたであろう汚い膿、そして押し出された眼球。
カルラの頭顱はスキル【神殺し】を前に、爆ぜた。
男の体がビクン! と反射運動を繰り返す。
赤の血と青の血が混ざる。シンとした静寂が場に戻った。
そして緊張の糸が切れた僕は、再び意識の朦朧とする中で――足元に広がる、気味の悪い紫の血溜まりを見た。
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