第17話 姫木刀香






 気付けば自分の部屋の前まで来ていた。

 扉に手をかけようとして……止める。


「何をしているんでしょうね……私は」


 扉にもたれかかる。

 脳裏に浮かんだのは前の世界でのことだった。


 父親が嫌いだった。

 父に乱暴され傷付く母を見ていられなかった。

 離婚をしたのは必然的な流れだったのだろう。

 だが、それでもあの時の父の獣のような目が忘れられなかった。

 自分の男嫌いはそれがきっかけだったのだと思う。

 母は心を病み、私自身も男に対して強迫観念にも似た感情を抱くようになった。


 男よりも強くありたいと願った。

 母が傷付いたのは私が父より……男よりも弱かったから。

 剣道を始めたのはその影響だった。

 安直で馬鹿みたいな考えだったけど、子供の私はそれが強さだと信じていた。

 高校では生徒会長も務めて……自分で言うのもなんだが文武両道で通っていたと思う。

 バイトを掛け持ち家計を助けながら、剣道に打ち込めるのは楽しかった。

 遊べるような時間はまったくなかったけど、強くなっている実感が沸くと生きている気がしたから。

 少なくとも強くなることが母を今度こそ守ることだと信じていた。


 だけど……ある日、母は首を吊っていた。

 ただ遺書には一言『ごめんなさい』とだけ書かれていた。

 母の苦しみに私は気付かなかった。

 私は母を守ることが出来なかったのだ。

 なら……それならば私が強くなりたいと願ったのは無意味だったのだろうか?

 分からなくなってしまった。

 自分の生きている意味も、強くなる意味も。

 この世に自分が存在することの意義が。


 だからこの世界に召喚された時は歓喜に震えた。

 無駄じゃなかった。

 私は、まだ誰かを守ることができる、と。

 正直、自分が正しければそれでよかったんだ。

 突き詰めれば世界の平和でさえどうでもよかった。

 今思い返せば滑稽なくらいの偽善者だった。


 盲目的に仲間を嫌った。

 男というだけで彼のすること成すこと全てが気に入らなかった。

 今更過ぎることを理解した。私は最低だ。


 【剣姫】スキルを選んだのはやはり今までやってきた剣道の影響が大きかったのだろう。

 だけど――結局私がやってきたのは楽しいスポーツだったのだろう。

 嫌いだったはずの少年が教えてくれた。

 なら、やはり私は……


「私は、間違っていたのでしょうか……」


「なにが?」


「誰かを守りたいと、強くありたいと願っていました……男よりも。ですが、それは……」


 そこで思わず隣を見た。

 あまりにも自然に返事をされたため一瞬の間、本気で気付かなかったのだ。

 どうやら自分は相当参っているらしい。


「佐山悠斗……あなた、何をしに?」


「さすがに心配でさ。それに落ち込んでたから、誰かに相談に乗ってもらいたいんじゃないかなって」


「何を馬鹿な……」


 そもそも誰のせいだと……だけど、少年の言葉も正しかったと思った。

 さっきのことも、それに……認めたくないが、確かに今は誰かに話を聞いてほしかった。


「私は間違っていたのでしょうか?」


 だからだろう。

 男にこんな弱音を吐いてしまったのは一生の不覚だった。

 だけど不思議と言葉はすらすらと出てきた。

 感情がごちゃ混ぜになって目頭が熱くなる……だけど、グッと堪えた。


「間違ってはないよ」


「え?」


 思わず隣を見る。私を否定した嫌いだったはずの少年の姿を。


「姫木さんの今までしてきた努力は凄いと思う。実際姫木さん強いしね。それに無理ならこれから慣れていけばいいよ。どうしても無理なら無理でやらなければいい。いざというときは秋山さんも栗田さんもリリアもいるし」


 優しい言葉だと思った。

 私を気遣ってくれているのだと。


「……ですが、私には殺す覚悟がありませんでした……殺される覚悟も。貴方が気に入らなかった理由だって自分勝手なものだった……貴方の言う通りだったんです。私は」


「誰かを殺せるのってそんなに凄いことじゃないと思う」


 言葉が出なかった。

 いつもはふざけているような少年だったけど、こんな顔もできるのかと妙なところで感心した。


「殺せるのは確かにこの世界で生きるのには必要なことだと思う。だけど凄いとは思わない。何て言い繕っても殺しは殺しだしね。いざとなったら皆が守ってくれるから大丈夫だよ」


「それでは迷惑をかけてしまいます……」


「かければいいよ。さっきは偉そうなこと言ったけど姫木さんがやりたいようにやればいいと思う」


 ズキンっ、と胸が痛んだ。

 今まであんな態度を取ってきたのに……なんでそんなに優しくできるのだろうか。

 少なくとも父親と同じような人間だとは思えなかった。

 誰かを守りたいという気持ちばかりが先行して初対面なのに酷い態度を取ってしまったのに。


「ですが……」


「だいじょーぶ。僕も守ってあげるから。僕超強いよ? スキルとか9個あるし」


 またいつもの少年に戻る。

 あのふざけたような緩い顔。

 だけど不思議と心は軽くなっていた。


「……ありがとうございます」


「え、なんて?」


「聞こえてたでしょう?」


「ちょっと未確認生物レベルで珍しい言葉が聞こえてきたから……」


 失礼な男ですね……

 私だってお礼くらい言えますよ。

 でも――


「佐山悠斗……いや、佐山さん。今まで本当にすみませんでした」


 私は涙を拭い少年に頭を下げた。

 そうしないといけない気がしたから。

 男というだけで盲目的に嫌っていた私よりも、目の前の彼の方がずっと大人だった。

 何の覚悟もなかった私を、危なっかしい私を……彼は気遣ってくれたのかもしれない。

 だから勝負を受けてくれた……というのは考えすぎだろうか?

 どちらにせよ。この人は、私が思っているほど……私が嫌っている男ほど悪い人じゃないのかもしれない。


「姫木さん、そこまでされると怖いんだけど。僕明日死ぬの?」


「謝罪くらい素直に受け取ってください……その、ほんとに悪かったと思っているので……」


 少年は「そっか」と、照れ臭そうにそっぽを向いた。


「僕もさっきはごめん。ほんとに言い過ぎたよ」


「いえ、こちらこそ……」


 私が立ち上がると彼もそのまま腰を上げた。

 そのまま佐山さんの隣に並んだ。

 意識したことはなかったけど、並んで歩くと佐山さんの方が背が高い。 

 そのことを少し頼もしく感じた。


「佐山さん」


「ん?」


 まだ時間はかかるかもしれません。

 私には殺す覚悟も殺される覚悟もなかった。

 でも、守る覚悟はあります。

 それだけは本当です。

 皆は私が守ります……今度は、貴方のことも……だから――



”だいじょーぶ。僕も守ってあげるから。僕超強いよ? スキルとか9個あるし”



 先ほどの佐山さんの言葉を思い出す。

 心が温かくなる感覚。

 茶化すような物言いがなんだか可笑しくて笑みが浮かぶ。

 それを思い出しながら私は佐山さんに笑いかけた。


 貴方も……もし私が困ってしまった時は、守ってくださいね――


「どうかした?」


「なんでもありませんよ」


 佐山さんが首を傾げている姿を横目に見ながら、私は隣を歩いた。

 不思議と足取りは軽かった。



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