第26話 誰が為の
「はははっ! これは傑作だ。まさか? まさかまさかまさかァ!? 私をぶっ飛ばすと? そう仰ったのですか!?」
僕はその嘲笑う声に答えることなく剣を抜いた。
そしてリリアの手をそっと離す。
「大丈、夫……待ってて……」
吐血しつつ無理矢理笑いかけるが、リリアはショックのあまり何も見えていないようだ。目の焦点が合っていない。
放心している彼女は重力に誘われてそのままその場にへたり込む。
重い体を引きずりつつも、カルラと向き合うようにして立つ。
静寂を緊張の糸が縫う。
その静寂を破ったのは、カルラの薄気味悪い笑いだった。
「ぐひゅふっ、そんな満身創痍の体で、どうするというのですかぁ? 強欲でスキルでも奪いますかぁ?」
僕は、何も答えなかった。
アイツは【強欲】のことまで知っている……つまり、それは本当にリリアを操っていたということか。
彼女から僕の情報を引き出したんだろう。
自分に意識があることを確認するかのように剣を強く握りしめる。
落ち着くんだ……頭は冷静に……
【治癒】を使って少しずつ傷口を癒す。
……決して力技で勝てる相手ではない。
では奴の挑発通り【強欲】で奪うことは可能か?
いや、無理だ。いくつかの条件を満たしていないし、何より奪う前にあの短剣を回避したうえで接近しなければいけない。
そんな体力は今の僕にはない。
次に【操心】、セラさんを操らず魔槍に頼ったのを見る限り僕が操られる心配はたぶんないと考えていい。
おそらく、操るにはいくつか条件があるんだろう。少なくとも戦闘中に達成できるようなものではないはずだ。
黙り込む僕を見て、カルラは続ける。
「一通り楽しめましたしね。これ以上の長居は無用でしょう。戦果は悪鬼の守護神と勇者一人の首……まあ、上々ですかねぇ。魔王様も大層お喜びになられることでしょう。私の昇格も間違いなしですね。くふっ!」
一笑し、ため息をつくと、カルラの周りを浮遊していた複数の短剣が此方を挑発するかの如く徐々に回転速度を上げ、風を切る音が鳴り始める。
「セラ・グリフィスの剣戟すら凌ぐ速度で動き回る短剣です。貴方のようなひよっこ勇者には防げないでしょうネェ?」
そう言って此方を一瞥すると右手をゆらりと上げる。
「……まぁ、万が一防げた所で満身創痍の貴方に勝ち目はありませんが……ねッ!!」
そして右腕を勢いよく振り下ろすと、回転していた短剣が此方に刃を向け、高速で飛んでくる。
「……ッ!!」
流血があった分、意識もハッキリしない。
徐々に治癒しているものの失血もあり、まだ碌に動けない。
避けられない。
死を覚悟する。目前にまで迫った凶刃による未来が鮮明に浮かんだ。
それでも――ここで死ぬわけにはいかない。
剣の柄を痛いほど握りしめる。
自身の中で覚悟した時、突如としてセラさんが言い放った言葉が走馬灯のように頭をよぎった。
『私が視たのは――――
胸を貫かれている光景だ。』
朦朧とする意識の中、閃いた。
――ッ!! なら――……!
傷を継続して癒しつつも、咄嗟に【強化】によって肉体を増強する。
治癒しているとはいえ、背中の傷は依然として深いままだ。
そして、無情にもカルラは格上。
……でも。
短剣は目前に迫る。
――頼む、頼むから。
ある種の、矛盾した願いを祈った。
――死の予言よ、当たっていてくれッ!
左を向いて腰をかがめ、まるでタックルのような姿勢で歯を食いしばる。
短剣はボロボロの体に勢いよく突き刺さり、さらに僕を窮地へ追い込む。
「――――!」
もはやリリアは叫ぶことすらできず、声にならぬ声を漏らす。
襲い来る激烈な痛み。
揺らぐ視界。
「ハッ……ハァ……ッッ」
僕は猛烈な苦しみの中、自分の体に突き刺さったナイフの場所をゆっくりと、丁寧に確認する。
まず右肩、右腹……右大腿、そして右脚。
そして、心臓のある左胸は――
まだ無傷だった。
そう。セラさんの【未来視】で、僕が”心臓を貫かれて死ぬ”事は確定している。
裏を返せば、心臓に攻撃が当たらなければ僕が死ぬことはないという事。
咄嗟に閃いたことだから、間違った解釈かもしれない。
すぐ後には「確実な死」という残酷な未来が待っているのかもしれない。
それでも僕は、今この瞬間だけは、この解釈に賭ける。
心臓への攻撃だけは防いでみせる。
攻撃を躱すことなく、読んで字の如く身をもって受け止めた。
その姿を目の前にしようと、カルラの余裕は猶も崩れない。
「ほう。まだ耐えてしまうのですか。お辛いでしょうにねぇ」
全身からやってくる苦痛の脈動が僕の体を硬直させる。
流れ出た血液が体から熱を奪っていく。視界がさらに揺れた。
「ですが、ご安心を……」
碌に動くこともできず、ただ蹂躙されることしかできない僕を見て察したのか、カルラは此方に歩み寄り……
「その苦しみとも、ここでサヨナラですからね」
その一言とともに体に刺さっていた短剣を勢いよく引き抜いた。
噴き出る血液、舞う肉片。
カルラの操る短剣は力むように一瞬だけ中空に留まる。
右半身は派手に切り裂かれた。
肉を裂かれ骨が軋む。
そこにもはや苦痛という言葉は似合わない、まさに地獄とでもいうような責め苦。
そして、さらに大きく揺れる視界が僕を安楽の道へと誘う。
しかしここで倒れまいと剣を突き立て、片膝立ちながらも踏みとどまる。
負った傷は治癒が片っ端から治していくが、傷付く方が早い。
傷は塞がっても流れ出た血は元に戻らない。
――大丈夫、僕は心臓を貫かれない限り、死なないから。だから――……
突き立てた剣に映る自分をそう鼓舞した。
若干の静寂の後、さしずめ風前の灯火ながらもまだ闘志の消えぬ僕を見て――
「はぁ、さっさと倒れてしまえば楽になるというものを。いい加減に――」
カルラが呆れるように呟いた、その瞬間。
「あ?」
剣先が僅かにカルラの脇腹を切り裂いた。
カルラの顔から余裕の、気色悪い笑みが消えた。
何が起こったか理解できず、男は固まる。
「……どうして、まだ”動けている”んですか?」
ボロ切れのように引き裂かれた皮膚。
そこから流れ出る血液に塗れた肢体。
だけど、僕の動きは止まらない。
力を振り絞って振り下した剣が固まっていた男の脇腹をもう一度切り裂く。
今度はより確実に。そしてより深く。
カルラは襲う痛みから現状を理解して、慌てて距離を取った。
「ッ!?」
自分の思い描いていた完璧な殺害計画を、ひよっこ勇者に崩された男は先程までの冷静さを失う。
その隙に再び長剣の鈍色の刀身に目をやる。
自分の血液が剣を伝い、筋を形作っている。
そこから、その細長い剣身に映った自分の右目を見た。
「魅了」
そして再び、心の深層へ命令を下す。
”お前は痛みを感じない。いくら傷付いても構わない。だから……出し切れ。”と。
刹那――世界から色が消えた。
景色さえも見えなくなる。
「チィ!」
超速で飛来する短剣。さっきまでは躱すことさえ考えられなかった、けど――
目にも止まらない速度のそれを剣で一閃する。
耳障りな破砕音。
その瞬間、ガラスが砕け散るようにあっさりと鋼鉄の凶器が弾けた。
「は……?」
そこでようやくカルラは現状を正しく認識したようだった。
色彩の消失した世界の中。
僕はただ目障りに飛び回る羽虫のような鉄屑と、気味の悪い男だけを視界に捉えた。
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