第14話 授業
そこは一言で言うなら学校の教室だった。
長机がそれぞれ並んでいて、新木の香りが鼻腔を満たす。
教室と言うより理科室に近いかもしれない。長机にはそれぞれ4人ほどが座れる横長の椅子が並べられていた。
「ユウト様、どうぞ」
リリアの淹れてくれた紅茶を一口。
紅茶の良し悪しなんて分からないけど、それでも美味しいものを口にすると心は穏やかになる。
彼女にお礼を言うと、満更でもなさそうな表情で恭しく頭を下げてきた。
「あ、ユウト様。御髪が……」
リリアが手櫛で僕の寝癖を整えてくれた。
「フフッ」
微笑むメイドの少女から視線を外す。
窓の外の太陽は完全に顔を出していた。午前9時くらいだ。
ある程度自習をしたんだけど、どうやら時間表記や、暦、その他の長さや重さなんかの単位は日本と共通だった。
勇者召喚は昔から行われてきたらしく、その勇者の持ち込んだ知識が中途半端に採用された結果らしい。
自転や公転の周期もほぼ共通らしいので、その辺りの差異で苦労することはなさそうだった。
ちなみに僕たちは現在制服姿だ。寝るときにはさすがに着替えるけどね。
ただ制服と言ってもこの世界に召喚されたときに身に着けていたものではない。
なんとこの世界にも同じような制服というものが存在していたのだ。布の質はいくらか落ちるものの、過去の勇者の知識がここでも採用されているらしい。
個人的には布が薄くて質の落ちてるこの世界の制服の着心地の方が好きだったりする。動きやすいし。
お金なんかの通貨単位だけは日本とは違うのでおさらいの意味を込めてノートに書き記す。
廃貨=1円
鉄貨=10円
銅貨=50円
大銅貨=100円
銀貨=1000円
大銀貨=2000円
金貨=1万円
大金貨=10万円
白金貨=100万円
黒金貨=1000万円
ざっくりこんな感じ。
王都アルテミスの城下町では主に大金貨以下の硬貨が流通しているらしい。
中世ヨーロッパの文明ほどの年代に近い世界観のようだ。ちなみに紙幣は作られていない。
白金貨や黒金貨は、所謂ミスリルやアダマンタイトと呼ばれる鉱石で作られているらしく、貴族でもなければ滅多にお目にかかれない代物のようだ。
「いいお天気ですね」
「……ねぇ、リリア?」
「はい?」
……言うべきなんだろうかこれは。
そう思って逡巡していると、背後の席から栗田さんがヌッと顔を出した。
能面のような無表情。ビックリした。怖かった。
「近すぎじゃないですか?」
僕の内心は栗田さんが代弁してくれたようだ。
そんな後輩のジットリとした視線と言葉にリリアは「はて?」と、小首を傾げる。
「そうでしょうか?」
「そうでしょうよっ!」
ムキー! と栗田さんが立ち上がった。
何かが彼女の逆鱗に触れたらしい。怖いからちょっと離れた。
「リリアさん? 佐山先輩は女性経験のない思春期男子なんですよ? そんなに近付いたら勘違いされて食べられちゃいますよ?」
……女性経験がないなんて、いやまあ、あってるけどもさ。
当たり前のように断言されるとちょっと凹む。
「へぇ? ユウト様がお相手なら望むところ……と言ったらどうしますか?」
「ちょ、はっ、はあ!? だ、駄目です! それは駄目だと思います! 後輩として断固抗議します!」
「クリタ様。貴女はユウト様の何なのですか? 仮に何かしらの関係があったとして……口出しをする権限が貴女にあるんですか?」
「リリアさんこそ、知り合ったばかりの癖に先輩の何を知ってるというんですか?」
「優しいところ、寝てるところが子供みたいにあどけないところ、あとパセリが苦手、などでしょうか?」
寝てる所見られてたってこと? って、僕たちの世話をしてくれてるなら不思議じゃないか。
けど栗田さんはそれを聞いて、目を泳がせていた。どうしたんだろうか?
「ほ、ほーん?」
「ユウト様、僭越ながらクッキーを焼いたのですがどうでしょうか? お口に合えば宜しいのですが……」
「ちょおぉぉい!? だ、だから近いですってばーっ!?」
賑やかだなー……隣をチラ見する。
姫木さんは離れたところで一人静かに自習中。秋山さんは、えーと。何してるんだろう? 魔法の書【初級編】って書いてある分厚い本を読んでブツブツ言ってる。
もしかしなくても魔法を覚えるためだろう。【魔導】みたいな取得し易くなるスキルは持ってないけど、僕もいつか魔法を使ってみたいなー、なんて思ったり。
魔法はロマンだしね。
「おはようございます。全員時間通りですね」
扉が静かに開くと、教師役を担当する女性が現れた。
オレンジ色の明るい髪を後ろで一つにまとめている。思わずその豊満な胸部に目が言ってしまったのは仕方のないことだと思う。
「講師を務めさせて頂くサーシャと申します。本日は宜しくお願いしますね」
リリアは、僕たちの邪魔にならないためにか退出していった。
すれ違い様にリリアから「頑張って下さいね」と、鈴を鳴らしたような声が聞こえてきた。美少女に応援されてやる気が出るのは当たり前だよね。うん。
「本日は、この世界で最も重要な力と言っても過言ではないスキルについてお話しします」
教壇に立ち、チョークで黒板に文字を書き記していく。
置いていかれないようにノートへと写した。
「まずこの世界の人々の持つスキルの所有数についてお話しします」
「1個2個とかじゃないんですか?」
皆からは「9個持ちがなにを……」みたいな目を向けられた。
僕がそう質問するとサーシャさんは柔らかな笑みと共に「やる気があるのはいいことです」と褒めてくれた。
「確かに所有者の多くは1つ2つがほとんどです。なので間違いではありませんが、正解でもありません」
僕はよく意味が分からず頭を捻った。
他の皆もよく分からなかったらしい。
サーシャさんが言葉が足りませんでしたね、と補足を入れる。
「1~2つというのは、あくまで所有している方の平均は、という意味です。例えば1~2つのスキルを持った人が100人いるならその平均は確かに1つ2つでしょう。
ですが99人がスキルを持っていなかったとしても1人が100個のスキルを持っていれば平均は1になります」
「才能に大きく左右されるってことですか?」
「その通りです。スキルの所有者は統計上20人中1人にも満たないと言われています。
それだけスキルは貴重な力なんです。複数持ちはさらに重宝されます」
ふむふむ……え、今更だけどリリア強くない?
確か4つ持ってたよね。今は3つだけど。
彼女が気にしていないらしいことが救いだった。【強欲】を誰かに使う時は気を付けよう。
「先ほどの例は極端なものですが、過去の勇者様には召喚された時点でスキルを7つ取得していた方もいます」
あー……何か聞いたことある。
リリアがなんか言ってた。
名前覚えるのが苦手だから出てこないけど……あ、出る出る。今首の後ろの辺りまで出てきてるよ。
「剣聖……ジョージでしたっけ?」
「既にご存知でしたか。勤勉なのはさすが勇者様ですね。頼もしい限りです。正しくは剣聖リョーマですけどね」
「なるほど。紙一重ですね」
惜しかった。
だけどサーシャさんは妙に感心していた。
この世界に来たばかりの僕がそのことを知っているのは予想外だったらしい。
ただ姫木さんが妙に悔しそうにしてるけど……君はどれだけ僕に敵対心を持ってるの?
「サヤマ様は3つ、その他の皆様は1つですが気を落とすことはありません。このリョーマは歴代最強の勇者と呼ばれていますから」
ふむふむ、まあ僕は現時点で9個なんですけどね。
なんてサーシャさんに自慢したかったけど授業の邪魔になるので大人しく聞くことに。
皆の意識が一瞬だけ僕へと向けられるけど、すぐに注目はサーシャさんへと移った。
「しかし、過去にはたった一つのスキルのみで魔王を追い詰めた勇者様もいます」
お? それは初耳だ。
どんなスキルを持っていたんだろうか?
「暴食の勇者と呼ばれている方で、七大罪スキルの一つ【暴食】を使い単騎で魔王を瀕死にまで追い込みました」
「七大罪スキル……!? そ、それはどういったものなんですか?」
オタクな秋山さんがテンション上げ気味で手を上げた。
うん、秋山さんなら絶対反応するって思ってたよ。
「詳細は伝わっておりません。ですが非常に強力な力だったと言われています……その勇者の通った後には文字通り草一本たりとも残らなかったという話です」
ほえー、と感心したような秋山さん。
彼女ほどではないけど栗田さんと姫木さんもそれなりに興味があるような表情だ。
「七大罪スキルは一つで世界を統べることができるほどの力を宿しているらしいのですが、七つあると言われている七大罪スキルのいくつかは確認されていません。ですが残りの所有者もいつか現れるのではないかと言われています」
……すいません。一つはここにあります。
そんな凄い力だったのか……確かに便利だとは思うけどさ。
だけど確かにスキルを奪える力ってのはこの世界ではチート以外の何物でもないよな。
石でのレベル上げも相当反則だと思ったけど、スキルを増やせるのは完全に世界の理に反する様な能力だ。
「ん? でもその剣聖リョーマが最強って言われてるってことは、剣聖さんは魔王を倒せたんですか?」
「その通りです。もっとも相打ちだったらしいのですが、その偉業に人々は彼を称えました」
ちなみに……と、サーシャさんが黒板に表をのようなものを描いた。
「スキルには等級と呼ばれるものが存在します。ランクとも言いますね。これは創造神様が御決めになられたことです。
上位のスキルは下位のスキルに対して優位性を持ちます。分かり易い例で言うと――」
――――――――
創世級
神話級
幻想級
伝説級
秘宝級
希少級
一般級
――――――――
「この7つのランクの中で、対象の詳細を閲覧する【鑑定】は一般級に分類されます。ステータスを偽る【偽装】スキルは希少級となるので【鑑定】に引っ掛かることはありません。
希少級の【偽装】を看破するには少なくとも同じ希少級以上に分類される鑑定系スキルが必要になります」
すると栗田さんがおずおずと手を上げる。
「レベルとかは上げてもスキルには影響しないんですか? ゲームとかだとそれで強くなっていったりするんですけど」
「良い質問ですね。げーむ? というものは私には分かりかねますが、質問の答えに関して言えば『強く』なっていきます。レベルが高ければスキルが強化されるということですね。
スキルは現代の学者でも解明できていない部分が多く、不思議な繋がりのようなものが存在すると言われています。
レベルが上がれば所有者とスキルの結びつきは強くなっていくとか。その昔30以上のレベル差がある者同士で【鑑定】と【偽装】を使わせた際に、一部ではありますがステータスの【鑑定】に成功したという実験結果もあります」
スキルがあるから強いってわけでもないんだな。
ちなみにかなりの低確率ではあるけど、スキルを使っても失敗するケースもあるそうだ。
ほとんどあり得ない出来事らしい。でもこれは低ランクのスキル程その傾向が強いとか。
何にせよ絶対的な力はないということだね。油断はしないようにしよう。
僕たちはノートにカリカリと文字を書き写していく。
その他の国々に関しても教えてもらった。
大陸の名前がアトランティス。ざっくり言うと超デカいらしい。大陸面積だけで僕たちのいた世界の地球よりも大きい、と言えばその広大さが分かるだろうか。
超大陸アトランティスの東側にあるのが僕たちを召喚したアルテミス王国なのだそうだ。
城下を抜けて南側に行けば細かい小国と大森林が連なっているとか。
ちなみに冒険者という職業もあるらしい。興味本位で聞いたけど、南西に10日ほど馬車を走らせたところに冒険者の街もあるのだそうだ。
魔王がいるのはその更に南方で、死の大地を抜けて魔の森と呼ばれる魔物の巣窟の最奥に魔王はいるんだとか。
死の大地に隣接する場所に冒険者の街があるのは偶然ではないんだろう。有事の際に備えて腕っぷしが強い人達が集まったんじゃないかな。
長い歴史の中で淘汰された国なんかもあるけど、アルテミス王国は錬金術によって栄えた大国らしい。
勇者召喚の召喚術式も過去の偉人と呼ばれる錬金術師たちが何年にも渡って研究した成果なんだそうだ。
そうして、授業も終わりが見えてきた時間。10分前くらいだ。
不意にサーシャさんは声のトーンを落とした。
「それでは最後に、勇者様達にとても大切な事をお話し致します」
「?」
「これは召喚された勇者の方には必ずお話ししている事です。お城に仕えていた私の曾祖父もこれを過去の勇者様に伝えたとか」
サーシャさんは一呼吸置いて続けた。
「生死を賭けた戦闘において一番大切なものとは――経験があるか否かです」
え、なに? そういう話?
と、思ったけどそんなわけないだろう。
真面目に聞くとしよう。
「勇者様の世界に戦争があるかは分かりませんが、この世界では頻繁に戦争が起きます。小さなものから数十万単位が殺し合う大きなものまで。大勢の生命が消えていきました。
そして、戦争において生き残った兵士が決まって言う言葉があるのです。それは――」
――二人目からは楽だった。
誰かが息を呑んだ。
僕もサーシャさんのその雰囲気に思わず呑み込まれそうになった。
「殺し合いにおいてこの差が絶対的な優劣を決します。
その一歩を踏み出したことがあるか否か。その一歩は天と地ほども差がある一歩です」
お前たちにその覚悟はあるのか? 言外にそう問われた気がした。
最後にサーシャさんは遣り切れない悲しみを顔に浮かべた。
「人は殺さない。理由は分かりませんが、過去の勇者様の中には、そのようなやり方で平和を目指した方もいらっしゃいます」
「……その勇者の人はどうなったんですか?」
そこで鐘の音が鳴った。
僕の質問には答えず、サーシャさんは終わりを告げた。
「本日はここまでですね。復習がしたい方は城内に図書室があるので、そちらをお使いになってください」
そう言ってサーシャさんは授業を締め括った。
皆も背筋を伸ばしたり、ノートを整えたりしていた。
だけど……何故だろうか。
さっきのサーシャさんの話が不思議と僕の頭から離れなかった。
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