1ー11

 部屋に戻るなり、僕はすぐに購入した品々を床に広げた。とはいえ、1つ1つの規格が小さいために予想よりコンパクトに収まる。

 しかしその感想は所詮僕のもので、彩音にとっては全く異なる。

「わぁーっ!こうやってみるとなんか色々凄いね!たくさんある!うぉーっ!」

 なるほど、これがネットで稀に見る『圧倒されて語彙力を無くす』というやつか。

 目の前に広がる色とりどりの家具たち。どれも、彩音が欲しいと口に出したものばかりだ。それが手に入ったとなれば、有頂天になって言葉選びに頭が回せなくても当然だろう。

「今はティッシュ箱が一室になってるけど、あのサイズじゃこの量の家具は入らないだろうから、近いうちに大きな空き箱でも探しておくよ」

 箱を手に取り、中を覗いてみる。家具の設置などは何ら問題ないだろうが、如何せん収容量の限界が小さすぎる。恐らくソファと机と椅子、そしてさっき作ったベッドを置いたら満杯に……

「ってあれ?そういえば、ベッド買わなかったね」

 途中から合計金額への懸念に思考回路を奪われ、具体的に何を選んだかは気にしていなかったが、まさかこんな大きな穴があったとは。

 でも、ミニチュアコーナーにベッドもあったはず。まさか選び忘れたとは考えにくい。

「だって……康平が作ってくれたベッドがあったから……」

 目を逸らして、ギリギリ聞こえる声量で呟く。その視線の先、噂の手作りベッドが鎮座していた。

 さっき1度寝てただけなのに、よっぽど気に入ってくれたみたいだ。

 手間かけて作った甲斐があった、と喜びを噛み締める反面、別の懸念も浮かんでいた。

「流石にティッシュを積み重ねただけのベッドってのは寂しいでしょ。明日にでも装飾しようか?」

 何気なく提案してみると、彩音は腕を組んで唸り声を漏らし始めた。

「んん~、気持ちは嬉しいけど、別にこのままで十分だよ。私の部屋も、しばらくはここで寛ぎたいな」

 柔らかく提案を断り、ベッドに腰を下ろした。そのまま表面をさすり、優しい表情で触り心地を確認する。

「さっき掛布団も作ってくれたし、正直これ以上欲しがるものなんて無いよ」

 その言葉に含まれる満足感を、自然と聞き取れた。謙遜でも気遣いでもない、心の底から現れた本音だと、直感で確信していた。

「……ありがとう」

「え?」

 彼女の心からの慈愛に、ついお礼を言ってしまう。

 本音には本音を返さないと、そう思ったから。

「いやいや、お礼をいうのは私の方だよ!今朝出会ったばかりの私に、ここまで手を尽くしてくれたんだもん!人生かけても返しきれないよ」

「大袈裟だな」

 大胆な表現に微笑を溢しつつ、僕も床からベッドに腰を移動させる。

 確かに、今日だけでも彼女に尽力した。その原動力がどこにあるのだろうか、自分の胸の内をまさぐってみる。



 心中の変化が激しかったのは、やはり彼女の過去を知ってからか。

 望んでも望み切れず、欲しても得られず、手を伸ばせばその分遠ざかっていく。

 1年前までの彼女は、そんな人生に囲まれていた。これだけ明るく活発で、華奢な身体の全身で喜怒哀楽を表す彩音は、しかし入院中やそれ以前の話になると、途端に声音が無色になる。そして、そんな気持ちの変化が如実に反映されるのは、ずばり彼女の宝石のような眼――そこに瞬く光だ。

 それに勘付いたのは、イルミネーションを目前に、淡い涙が零れたとき。

 無論あの落涙の理由は尋ねなかった。それは興味が無かったわけでも、気を遣ったわけでもない。


 もし言語化させてしまうと、この瞳を彩る輝きを、穢してしまうのでは。


 特別な意味はなく、ただそう思っただけで。

 その思考が連鎖して、新たな意志が僕の胸中に芽生えた。

 ―――この輝きを、お前が守るんだ。

 誰かが定めたのではない。彼女がこいねがったのではない。

 ただ、僕の——が、僕に叫んだのだ。たった1度、一体どこにあるのかと問いたくなるような熱量で。

 だから僕は、その熱量に応えただけで。


 眼下、いそいそと家具を部屋へ運び込む彩音と目が合う。その瞬間、反射的に微笑んでくれた。相変わらず、花を愛でるような柔和な笑顔だ。

 見た目のか弱さに反して、一切疲労を見せる素振りなく机や椅子を運んでいる。彼女が頑張る姿は、それはそれで黙って見惚れてしまうほど画になったが、とはいえ放置するのも忍びない。

「手伝うよ」

 彩音が持ち上げようとしていたソファを摘み、ティッシュ箱へ移動させる。

 横幅約5センチ、木組みの肘掛けに黄緑一色の背もたれとクッション。極めて簡素なデザインだが、彼女はコレが丁度いいと言った。他に、すでに部屋へ運んだ机と椅子も木組みで、デザインの指向が統一されている。

 空いてるスペースへソファを設置すると、唯一木材が含まれていないベッドが異彩を放っていた。

「……次のベッドは、慎重に選ばないと」

「そう?私はこの部屋にピッタリだと思うけど?」

 手作りドアから部屋を見渡してる彩音が、合点がいったと言わんばかりに深く頷く。

 流石にピッタリだとは思えないが、彼女が満足ならそれが一番だ。

 遅れて僕も納得していると、彩音が頭上の僕に視線を送ってきた。

「……ねぇ、私も上から見たい」

「え?」

「ちょっと動かないで!」

「ええ!?」

 そう叫ぶや否や、ベッドから垂れてる僕の右足に勢いよく飛びついた。

 唐突な軌道に驚くのも束の間、彩音は軽々と僕のズボンをよじ登り、息もかぬ間に腰まで移動し、脇腹を経由して背中を登る。

「す、すごい運動神経だね……」

「まぁね。1年間、不自由だらけの生活だったから」

 疲れる様子など微塵も表さず、僕から見えない位置で彼女は答えた。

「雪村さん家でも、物から物へ飛んだり、身の丈に合わない重たいものを運んだりしてたから、純粋な筋力とか瞬発力とかはかなり備わったよ」

 そんな丁寧な解説に感嘆してる間に、彩音が僕の右肩に到着した。ふぅ、と吐息を溢し、さも当然のように腰を下ろす。

「!?」

 しかし、その行動は僕に大打撃を与えた。

 よく考えてほしい。僕の右肩を柔らかく刺激しているのは、紛れもなく彩音の双丘だ。いくら何でも、思春期真っただ中で恋愛経験ゼロの男子に、小人とはいえ女子高生の尻の触感は、色々とマズいだろう。

 無意識のうちに全身が凍り付き、頭から血の気が消えた。

 あれ?僕ってこんなに『接触』に弱かったっけ?

 己に疑問符を露見するが、正式回答を用意できるほど思考は落ち着いていなかった。

「うん、やっぱ最高のマッチングだと思う!」

 一方、僕の熾烈な葛藤なんて露知らない彩音は、足をパタパタと揺らしながら自室を見下ろし、変わらぬ見解を口にする。

「にしても、分かってはいたけど高いねここ。……って、どうしたの康平?」

 近い近い近い近い近い!こっち見んな!吐息が頬に届くぅ!

 小さな身体を前に傾け、僕の顔をつぶらな瞳で覗き込む。対して僕は、ヘビに睨まれたカエルの如く動けない。

「……そ、そろそろ降りませんか?」

 首は正面に向けて固定したまま、恐る恐る訊いてみる。なぜ敬語になったのかは僕も分からない。

「えー、いいじゃん。もうちょっとだけ居させてよ」

「え、ええー……」

 断固拒否しようと口を開いたが、喉の奥が詰まったかのように言葉が出てこなくなる。彩音はそれを無言の肯定だと捉えたのか、再び正面を向いてバタ足を始める。

 仕方がない、と高を括り、なるべく邪念を取り払って軽く座り直す。明鏡止水。

 ふと、肩に伸し掛かる感覚を意識する。

 スマホでも乗せているのだろうか、と感じてしまう質量がある。全く負担を感じない重さにもかかわらず、伝わる生命力は計り知れない。

 ときどきぶつかる踵は、靴を履いてないのにちくりと針を刺しているような感覚に近い。でも別に痛いわけではなく、あくまで痛覚を刺激するだけ。

「……そういえば、靴は履いてないの?買ってきた人形のやつ持ってけばいいのに」

「あー、そっか。部屋作りに必死で忘れてたよ」

 自分の失態のようにおちゃらけて笑うが、よく考えれば僕が人形をケースから出してあげないと、彼女は何もできない。

 今用意してあげるべきか、後回しでもいいのか、腕を組んで少し考察しようとした――その行動が、致命傷となった。

「ぉわ?」

 腕を組んだことで僅かに両肩が揺れたらしく、その振動で彩音が肩から滑り落ちる。布の擦れる音と彼女の腑抜けた声は同時に聞こえた。

「危ないっ!」

 その緊急事態をいち早く察知した僕の行動は、すべて脊髄反射で行われた。

 両腕をほどき、両掌で作ったお椀を予想落下地点に滑り込ませる。

 重力に負けて肢体が降下する中、風圧で紫紺のワンピースは波を打つ。「きゃっ!」と甲高い悲鳴を漏らして股下を両手で抑える。おかげで中が見える心配はなかったが、代わりに乳白色の透き通った太腿が露出する。

 空中で90度回転したところで、背中を手の平にぶつける状態で着地する。両手にすっぽり収まり、仰向けの状態で目が合った。

「あ、ありがと……」

 いきなりの事態に目を丸くさせながら、それでも感謝を欠かさないところに人の良さを垣間見る。

 にしても、両手に乗ってくれたことで、彼女が小人なんだと再認識した。少し力を加えたら砕けてしまうのでは、とおののくほど儚く、しかし二度と手放したくない、と懇願したくなるほど愛おしい。

「……ねぇ康平」

 彩音への忌憚ない感想に胸をたかぶらせていると、なぜか顔を真っ赤に燃え上がらせて呼びかけてきた。その表情は、まるで羞恥と憤怒を混ぜ込んだような……。

「……見た?」

 立った2文字、そう問いかけた。両手を自身の太腿に挟み込んだまま。

 彼女が言外に示した箇所は、たぶん予想できてる。

「…………見てないっす」

「何その間!どうして即答しないの!」

「いやほんとに見えなかったって!それに見えたら失神するだろうし」

「え……?ど、どうして?」

「だ、だって、ほら、お前……」

 ここは言うべきか、それとも嘘を盾にごまかすか。

 刹那の考察の末、今の疑念を晴らすために正直に白状することにした。

 それが、新たな疑念を生むとも知らずに。


「彩音……下、何も着てないんでしょ……?」


「―――――ぁ」

 出会ったときの説明中に知った衝撃的すぎる事実だ。忘れるはずもない。

「お、おぼえっ、覚えて、たのっ……!?」

「ぼ、僕だって、覚えたくなかったけど……」

 ――ああ、綺麗に整った顔が、どんどん激怒の紅蓮に染まっていく。

「やっぱ変態だ!!この手を放せぇ~!」

 数時間前の誤解が正しかったのだと叫ぶ声が、二人だけの空間に木霊した。



 念のため付け加えますけど、本当に見てないですからね!?





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