1ー4

「ビスケットは単に空腹からだろうけど、針とボタンはどうして?」

「……針は壁に突き刺して壁を登るための道具として、ボタンは単に可愛かったからです……」

 机の下に逃げ込もうとした盗っ人をどうにか引き摺り出し(隙間に冷却スプレーをぶち込んだらすぐ出てきただけ)、犯行を白状させた。犯行といっても、妹は特に不機嫌というわけでもないし、僕も別に怒ってるわけではないが。

「別に落ち込まなくても、責めてないから大丈夫だよ」

「いや、でも……」

 何か言おうとして、グッと口を結んだ。本当は何を言いたいのか尋ねたいところだが、そろそろ昼食に行かないと次は母さんが呼びに来るかもしれない。

「あの、ご飯行って下さい。その間に、この家からは出るので。ただ、お願いだから誰にも言わないでほしいです」

 再び胸の前で両手を握り、不安を隠しきれない声色で送り出そうとする。言葉には勇気があるが、本当は恐怖に染まっているのは明らかだ。

「ここから出て、どうするの?」

「そ、それは……次の住処を見つけて暮らすしか……」

 そこでまた——コソコソと隠れて生きるのか。

 それで、彼女は良いのだろうか。こんなか弱く繊細な少女が、毎日人間に見つかる恐怖に震えながら過ごすというのは。

 何というか……ほっとけない。


「君——ここに住みなよ」


 そして、つい流れで言ってしまった。

 一度言い出した以上、もう止まらない。


「え?」

「この部屋で寝泊りすればいいよ。君が望むなら、僕は君の存在を誰にも言わない。そもそも、部屋に小人が現れたなんて誰が信じると思う?」

「いや、でも、それは迷惑じゃ……」

「そりゃ、お互い気を遣うことは沢山あるだろうけど、だからと言って君を危険な世界に見捨てるのは……なんというか、忍びないんだ」

 なんか、言ってて恥ずかしくなってきた。思わず少女から目を逸らすと、

『こうちゃーん!ご飯、冷めちゃうよー!』

 遠くから母さんの声が響き渡る。どうやら、1階から2階に向けて階段で呼びかけてるらしい。流石に、もう行かないと。

 立ち上がり、さっさとドアを開ける。部屋を出る直前に振り返り、床で立ってこちらを見てる少女に向け、

「きっと君はまだ僕を信じられないだろうし、そっちなりに様々な事情があると思う。だから、もし君がここで住んでも良いと判断したなら、ここにいて。それがダメなら、僕が1階にいる間に……分かるよね?」

 軽く微笑み、あくまで主導権が彼女にあることを理解させる。当然だが、僕が無理強いする権利はない。

「多分、30分くらい後に戻ってくるから」

 そう残して、僕は小走りで1階へ向かった。


 ワザと自室のドアを開けたまま。




※※※




 無論食事中に可愛い小人のことが頭から離れることはなく、急いで昼食を胃にかき込んだ。結局、戻るのは30分後だと言ったが、20分弱で食べ終わってしまった。

「凄い勢いね……そんなお腹減ってたなら、早く降りて来れば良かったのに」

「皮肉混じりのド正論にただただ胸が痛いよ」

 母さんが眉をへの字に曲げる。ただ、怒ってるわけではなく、純粋に気になったのだろう。

「読んでた本が良いところだったんだ」

「え、でもお兄ちゃん、床に……」

「シーッ!お前は黙ってろ!」

 無理矢理妹を黙らせ、母さんに聞こえない声量で耳打ちする。

「……僕の傍に冷却スプレーがあったろ。あれでやってたことなんて1つしかない」

「……あー、なるほど」

「そのことを母さんに知られたら余計に心配かけるだろ?だから黙っといてくれ」

 顔を離すと、茉由は強く頷いてくれた。良かった、理解のある妹で。

 母さんは1人だけハブられてることに不服そうだが、そこの言及が来る前に、別の話題に転換する。

「そういえば、茉由は塾じゃなかったか?」

「それは先週まで。もう春休みも終わるし、昼の授業は無くなったよ」

 割と勉強を頑張るタイプの妹は、余裕そうな表情で返事をする。

「そっか。てか中学の始業式はいつなんだ?」

「明後日だよ。まぁお兄ちゃんと違って、前日まで課題を残すようなマネはしないけど」

「前日までじゃない、当日の朝までだよ」

「うーわ、訂正することで誤ちを生む人初めて見た」

 正直、学校における人間性ではコイツに勝てない。きっと僕をしっかり反面教師にしてるのだろう。それで茉由が清く正しく成長できるなら、自分の失態を評価できる。できちゃダメなんだろうけど。

 ちなみに長期休暇の課題を前日までに終わらせたのは、小4以来成し遂げたことがない。

「ほんと、高校生活が思いやられるわね……」

 対面に座る母さんが、分かりやすく頭を抱えた。


 その後もなんとなく喋ったりして、気付けば部屋を出てから30分が過ぎていた。

 ……よし。

「ご馳走様」

 食器を流しに運ぶと、僕は一目散に自室へ戻る。階段を登ってる途中、この後待ち受ける出来事を思案して、胃が痛くなる。

 もし少女が意を決して部屋を後にしていたなら。僕は今日の出来事を忘れ、新生活を過ごす他はない。少し寂しい気はするが、手土産に針とボタンを持っていってくれたら嬉しいな。

 そして階段を右に曲がると、廊下の右奥で唯一ドアが開いてる部屋に向かってゆっくり歩き出す。歩みを止めることなく部屋に視線を入れる。

 果たして、彼女の決断は——。


「——ん?ティッシュ箱?」

 さっきまで彼女が居た床には、ティッシュ箱が置いてあった。しかも、ゴソゴソと物音がする。まるで、


 小人がティッシュ箱に変身した!?

 と心の中で驚いていると、ティッシュ取り出し口から何かが飛び出す。

 それは、30分前まで見てた少女の顔だった。

「ふぅ。あ、おかえりなさい」

 廊下で呆気に取られてる僕に気付き、そう声を掛ける。よいしょよいしょ、と小さく呟きながら全身をどうにか箱から出すと、スッと縁に腰を下ろした。

「色々考えたんだけど……私、アナタの親切心を信じようと思う。だから、この箱に寝床を作って住むことにしたの」

 両足をプラプラと振りながら、自分の結論を簡潔に教えてくれた。「丁度いいサイズだから」と一言挟み、少女は笑顔を見せてくれた。

「ほ、ほんとに……?」

「ここで嘘はかないよ」

 小馬鹿にするように言うと、パッとティッシュ箱から滑り降り、床に着地する。フワリと先だけ浮かぶワンピースも合わせて、まるで妖精が舞い降りたかのような瞬間だった。

 そして事実、その少女は僕にとって妖精のような存在だった。


「これからよろしくね、草津 康平くん」


 こうして僕の部屋に、手の平サイズの少女が住むこととなった。

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