1ー5

「そういえば、まだ名前聞いてなかったね」

 僕は小人の少女と一緒に彼女の寝床を作りながら、本来初対面なら一番最初にすべき質問を尋ねた。

 ちなみに2人でやってるのは、からのティッシュ箱にドアを設置し、布団代わりにタオルを小さな長方形に切る作業。ドアの方は彼女が頑張ってるので、僕は棚からいらないタオルを取り出して裁ちばさみで短冊状に加工する。

「そっか、自己紹介してなかったね」

 一方、彼女は茉由から貰った(正しくは盗んだ)針を使って箱の側面に穴を開けてる。これをコの字に開け続ければ、蝶番などを使わず簡易ドアが出来る、ということだ。

「私の名前は若葉わかば 彩音あやね。歳はアナタの1つ上」

「1つ上……って、今年で17歳か?」

「そそ。ついでに、ここに来た経緯も記憶のある限り伝えるね」

 器用に針を使ってドアを作成しながら、少女は——若葉さんは、丁寧に出自を語り始めた。




※※※




 正直、不鮮明な記憶がほとんどなの。覚えてるのは、少なくとも2年前——中3までは、


 生まれつき、私は重い病に苦しんでいた。幼すぎて病名は覚えられなかった。

 幼稚園の頃はまともに遊べる体力はなく、せいぜいお母さんやお父さんと近所を歩くのが限界だった。でも、日が経つにつれて体力はどんどん削がれていき、小学校に入る頃には立つことができなくなった。

 ずっと病院のベッドで横になって、両親が仕事終わりに来てくれては、慈愛を込めて看病してくれた。でも、ろくに口も動かせない私は、小学生にして完全に植物状態になったの。毎日が全く変わり映えのない無色な日々だった。だから、当時の記憶はもやがかってる。

 小学校を卒業する歳になって、中学1年生を終えて、中学2年生を終えて、中学3年生を迎えて——

 その辺りの記憶は朧げにあるけど、そこで元の体の頃の記憶が途絶えてる。思い出そうとしたら、まるで頭に雷が落ちたみたいに痛みが走るの。


 そして今から約1年前、目を覚ましたら私は外で倒れていた。今までは弾力の豊かな温かいベッドで寝てたのに、そこは無機質に冷えた床だった。加えて、何故か私は衣類を一切纏っていなかった。

 ここはどこだろう、その一心で周りを見渡すと、目の前には自分の体くらいの大きさの葉っぱが風に揺れていた。それに触れようと1歩前に出た時、そこに足場がないことに気付いた。その時の私は、とあるビルの窓際にいた。それも屋外側のね。

 足場は幅数センチしかなく、思わずその場にしゃがんだ。振り返って窓を見ると、そこには人形みたいなサイズの女の子がいた。まさか、と思ってしばらく頭が回らなかったわ。



「まさか私——身体が、小さくなったの?」




※※※




「その後、葉っぱで裸を隠して移動を重ね、3日くらいしてこの家のお隣の家に辿り着いたの」

「隣って……雪村ゆきむらさん家か?」

 我が草津家の隣にある雪村家。そこの長女である雪村 はるかは僕の同級生でもあり、幼稚園からの幼馴染でもある。

「あそこ、君くらいの歳のお姉さんと、歳の離れたチビっ子の妹ちゃんがいるでしょ?」

「ああ。確か歳の差は9歳だったかな」

 はるかの下にはなつきちゃんという今年小学校に入学する妹がいる。天真爛漫ないつも明るい子で、茉由も実の妹のように可愛がっている。

「その子が沢山の可愛いお人形を持っててね。そこからこの服を拝借したの」

 自分のワンピースの裾を摘み、「ほら私、ずっと裸だったから」と付け加える。恐らく靴下もそこからもらったのだろう。

「って、なんで靴下だけ貰ったの?靴も履けばいいのに」

「靴……?」

 なんとなく疑問に思い問いかけてみたのだが、そのせいか急に言葉に詰まらせる若葉さん。

 しかしそれはほんの2,3秒で、何かを思い出したかのように顔を跳ね上げる。

「——ああ!忘れてたー!」

 そして大きな声を僕に向けると、突然ティッシュ箱から離れる。一直線に進む先には、今朝組み立てた何とかホイホイがある。

「私、今朝大変だったんだからね!」

「け、今朝?」

「あーそっかぁ……まぁ、それも合わせて説明するよ」

 肩を落とし、体を使って大きなため息を溢す。ドアの作成に疲れたのだろうか。

 大声を張り上げたかと思えば目に見えるように落胆する。感情豊かな人だ。

「話を戻すけど……それで1年間は雪村さん家でヒッソリ暮らしてたんだけど……昨日、大問題が起きたの。それも、私にとっては死活問題となりうるほどの」

「昨日、かい?」

 小人にとっての死活問題、というのは想像できない。ていうか、どんな場面も命掛けだろうし。

「昨日からあの家、ネコを飼い始めたのよ」

「……ね、こ?」

「そう、ネコ!アナタたちにしてみればネコなんて愛でるべき小動物かもしれないけど、私にしてみたらあんなの……一撃で全てを破壊し尽くす怪獣みたいなものなの!」

 急に熱をこめてネコへの恐怖を表現しだした。でもネコ=怪獣は言い過ぎじゃ……。

「見つかったらやられる、そう思った私は迷わず家から逃げ出したわ。そして、すぐ近くにあったこの家に来た。それが昨日の昼だったかな」

 つまり、彼女は1年近くはるかやなつきちゃんと暮らしていたが、半ば強制的に追い出され仕方なくここに逃げ込んだわけだ。

「本当は君の妹ちゃんの部屋で寝たかったんだけど、良い空間が無くてね。そしたらその机の下に丁度いい隙間があったから、昨夜はそこで寝泊りしたの」

 言いながら彼女は、勉強机を指差した。昨日の時点でこの部屋にいたのか。

「勿論今朝は早く起きて、机の下に身を隠してた。昨日みんなの話を盗み聞いてた限り、今日が入学式だってことは分かってたからね。君が登校してから部屋を模索して寝床を確保しようと計画してたの」

 ん?つまり今朝僕が学校に行くまでは、その勉強机の下にいたということか?

「そしたら、致命的な問題が起きたの……今朝、学校に行く前アナタがこの部屋で何したか覚えてる?」

「え?えーっと……スクールバッグを取りに来て、1階に降りたところで生徒手帳のことに気付いて……」

「それを回収したとき机の下に気配を感じて、あのイヤらしい罠を仕掛けたんだね?」

 イヤらしい?あのブービートラップのことか?

 でもあれは部屋で蠢く悪魔を捕らえるためのもので、決して小人を辱める道具では……。

「まず、スクールバッグを持って行った時点でもうアナタが登校すると思って、安心して外に出たの。そしたら直後、廊下から足音が聞こえてきたの!」

 それは僕の再訪のことだろう。

「驚いてダッシュで机に潜り込んだわ。それで万が一、机の下を覗かれる危険性を考慮して、机と壁の間にちょっとだけ登ったの」

 「この針を使ってね」と両手に持つ妹の手縫い針をこちらにみせる。なるほど、壁の少し高い位置に針を突き刺してあとは腕力だけでそこにぶら下がっていれば、僕が下の隙間を覗いても死角に隠れられるのか。

「でもその時に少し音を漏らしたみたいで、アナタに『何かいる』と気付かれてしまった。捕まらないことだけを祈って息を殺していたら、3分くらいしてまた部屋を出て行ったよね。そして、今度こそ本当に登校した」

 その時は、机の前にあの粘着物を仕掛けて部屋を後にした。だから、当然だが若葉さんが机の下にいたなんて毛頭分からなかった。

「今度こそ安心して机から出たら、窓から差し込む陽光に明暗差で目が眩んで、しばらく視界がボヤけたのよ。それでも気にせず歩いてたら——突然、足が床から離れなくなったの」

「…………あ」

 最早説明は不要だった。そこまで条件が整えば、結果は必然だ。


「そうか、若葉さんは——ホイホイされてしまったのか」


「ホイホイされたって言うな!滅茶苦茶ビビるんだからね、コレ!」

 怒鳴りながら彼女は、眼前にあるを力強く指差す。

 まんまと罠に掛かった虫の気持ちになった彼女は、さぞ不愉快だったろう。可哀想に。

「おい、可哀想なものを見る目で私を見るな。言いたいことがあるならハッキリ言え」

「可哀想に」

「そういうことは口にするな!」

「ええー。言えっていったじゃん」

 どちらを選んでも怒られる。理不尽の極みだ。

「可哀想だとは思う。でも共感してあげれないのが残念だよ」

「同情にもなってない!悔しい!」

 精一杯怒声をぶちまけ、地団駄を踏む。「いつか仕返してやるー!」と顔を赤らめてるが、それすらも普通の少女として愛でられるほどの顔立ちだ、と改めて感じる。


 ———閑話休題。

「足をコレに奪われた私は、すぐバランスを崩し、後頭部を机の壁にぶつけたの。どうやらその衝撃ですぐ気絶したらしく、おかげで痛みはそんな感じなかったわ。問題は目を覚ましたタイミングなんだけど……で意識が戻ったのよ」

「……つまり、僕がベッドに飛び込んだ段階ではまだソレに捕まってたの?」

 僕の確認程度の疑問に、若葉さんは「そうよ」と首肯する。

 もし帰りの段階でコレのことを忘れてなければ、僕は机の前で延びてる彼女と遭遇してたのか。

「幸いコチラを見てないと気付いた私は、すぐに机の下に逃げたの」

「え?でも君の足はその鳥餅トリモチに捕まってたんでしょ?ならどうやって脱出できたの?」

 純粋に気になったので尋ねると、彼女は黙って装置の粘着部分を示す。よくよく見ると、そこに黄色い粒のようなものが2つあった。

「こ、コレは……」

「私が履いてた靴よ。靴が剥がれないのだから、靴だけ置いて逃げればいっか、って思ったの」

 そう言われたら、それが最善策のように思える。確かに、米粒くらいの大きさしかない靴が2つあったところで、それに気付ける人間はゼロに等しいだろう。

 それで脱出に成功した彼女は、しかしまだ終わりじゃなかった。

「朝と同じように針にぶら下がって隠れてたら……あるタイミングで、その……」

 突然、顔を赤らめ始め、両腕で自分の身体を優しく抱きながら顔を背ける。艶めく黒髪の隙間から覗く左耳は真っ赤に燃え上がっている。

 ……これは、照れてるのか?

「その……足やワンピースの中とかに、物凄い冷気が流れ込んだきて、思わず……」

 しどろもどろになりながら急激に羞恥を見せる少女を見て、僕はその時の出来事を思い出す。


——スプレーを注いだとき聞こえた、甲高い女の子の悲鳴を。


 あの悲鳴は、僕が送った冷気が原因だったのか。

「……なんか、すいません」

 とりあえず床に額を擦り付け、謝っておく。

 勿論僕に悪意があったわけではない。それは両者承知してるが、流石に黙ってスルーはまずいだろ、道徳的に。

「あ、いや、別に君が謝る必要は……まぁいいや。それで、一度冷気が収まったから、漂う弱い冷気を我慢してたら……第2波が来たの。それも1回目より長いやつ」

 そして完全に顔を羞恥のあかに染め、思春期真っ只中の僕にトドメを刺した。


「——私、このワンピースの下、何も着てないの。だからその…………冷たいのが、直接……」


「本っっ当に申し訳ございませんでした!!」

 グリグリグリ、と額が摩擦熱で燃え上がりそうなくらいまで床に捻り続ける。若葉さんが「わぁぁやめてぇ!」と静止をかける。それを受けてようやく頭を止めた。ただ額はメッチャ熱いし痛い。

 何せ僕は、若干17歳の少女をマイナス何十度の世界に放り込んだのだ。それが彼女にどれほどの恐怖と羞恥を与えたことか。くそ、何で1回目より長く注ぎ続けてしまったんだ僕は!!

「は、反省は後で勝手にやってね?とにかく、その2回目の寒さのせいで手が震えちゃって、針から手を離しちゃったの」

 それが、2回目スプレーを注いだ後に聞こえた『ドンっ!』という音の正体か。かなり重たい音がしたから、相当痛かっただろうに。

「本当にごめんね……」

「そんなハッキリ落ち込まなくても……君って、人が良いのね」

 フフフ、と右手を口に添えて笑顔を溢す。

 その顔には、僅かに羞恥の余韻が漂っていた。

「とりあえず、これで私が今ここにいる経緯は大体伝わったかな」

「そうだね。ありがとう若葉さん」

 色々と気になることはあったが、今深掘りしても迷惑だろう。これから徐々に知っていけばいい。

「……ねぇ、1ついい?」

「え?」

 話は終わったと思ったが、意外にも向こうから質問が来た。

 彼女は針を壁に突き刺す作業を止めることなく、

「その『若葉さん』っての、ちょっと……他人行儀じゃない?」

「え、ええ?」

 しかし飛んできたのは、これまた意外な点への指摘だった。

「えーでも、1つ上なんでしょ?なら敬称付けても別に……」

「でも君、タメ口じゃん!それに1年なんて誤差だよ!」

「すごい暴論……」

 中学の先生には「高校では特に上下関係が大切になることが多いから気をつけろよ」と再三再四、耳にしていた。だからつい敬称を付けてしまっていたものの、だからといって全て敬語にする気にもなれなかった。つまりは——なんとなく、かな。

「とにかく!アナタはちゃんと名前で呼んでよ」

「……そんなこと言ったら、そっちこそ僕のこと『君』とか『アナタ』って呼んでるじゃん」

「……あ」

「僕に呼び方の変更を求めるなら、そちらにも等しく対価を支払う義務があると思います」

 手元のタオルから目を離さず、なるべく冷静を装って告げる。いや心の中では凄い恥ずかしいけど。

「どう思われますか——彩音さん」

「うっ、もう下の名前で……わ、分かったわ。じゃあ——」

 おや、思ったよりあっさり飲み込んでくれた。

 そう安心した直後だった。


「——呼び捨てにしてくれたら、いいよ……」


 ……は?

「はぁぁ?」

「はぁぁ?じゃないよ!舐めんな!」

 いや舐めちゃいないけど。

「なんで急に」

「だ、だって、私が名前を呼ぶとしたら呼び捨てだけど、私だけ呼び捨てってのも嫌だし、そもそも私たちあまり先輩後輩感ないから……」

 手や足をモゾモゾさせながら、斜め下を伏し目がちに見つめてそうボヤいてる。俯いてるせいで顔色を伺うことはできない。

 ……悔しいがそう言われてしまった以上は従うしかない。


「……分かったよ、彩音」

「……よろしくね、康平」


 ……やっぱり照れるなコレ。慣れるには時間かかるかもしれない。

 きっと、彩音も同意見のはず。

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