1ー6

 彩音の部屋を作り始めて1時間が経過した。無事に布団とドアは完成したので、どうにか寝泊りする場所にはなるだろう。

 彼女の提案で休憩することにした僕は、お茶を入れようと思い立ち上がったところで、ふとあることに気付いた。

 ……彼女の場合、普通のコップで持ってきても困るよな。五右衛門風呂になってしまう。

 しかし小人用のコップなんて持ってない。そんなの、某ウサギ一家が使うやつなので、我が家にあるはずもなく。

「ん?どうしたの?」

 ドアの前で立ち止って悩んでると、後ろから彩音が声をかけてきた。

「あ、いや……休憩に飲み物でもどうかな、って思って」

「おおー気が利くねぇ。私リンゴジュースがいいー」

「誰も注文を受けるとは言ってないが」

 そもそもウチにリンゴジュースがあるとも限らないのに。

 「えーケチー」と雑に罵倒しながら、さっき僕が作った布団もどきに横たわる。反動でワンピースからチラリと覗く太腿はとても健康的な色と膨らみがあり、思わず視線を奪われてしまう。

 そんな煩悩に思考を侵されそうになったところで、さっきの懸念が蘇る。断じて侵されたわけではない。決して。

 とにかく彼女には文字通り全ての規格が通用しない。そして、これからずっと状況は変わらない。早めに対処する必要があるだろう。


 1階に降りてみると、リビングには人の気配が無かった。恐らく母さんは買い物に行き、茉由は部屋にいるはず。

 両開きの冷蔵庫を開けお茶を探すと、なんと右扉側にリンゴジュースのペットボトルが立っていた。いつもは無いのに、なぜ。

 何にせよせっかくあるのだから持っていってあげよう。問題はやはり容器のサイズだな……。

 打開策を思案しながら食器棚からコップを取り出す。『こうへい』と小さく書かれたマグカップを手にし、食器棚を閉じようとしたところで——ふと、棚の隅にあるを見つける。

「……これだ!」




※※※




 部屋に戻ると、まだ彩音はベッドで横になっていた。しかも気持ちよさそうに寝息を立てている。

 休憩なしでドアを作り続けて疲れたからだろうか。

 それとも——1年間、いつ身に危険が及ぶか分からない日々を送っていただけに、その気疲れが溢れ出たのか。

 もし僕が保護することで彩音が安心して夢心地に浸れるのであれば、僕の発案は強ち間違いではなかったのでは、と思う。

「……庇護欲をくすぐられてるのかな」

 余ったタオルに手を伸ばし、もう一度加工する。ベッドは出来ていたが、掛け布団がまだだった。

 慣れた手付きで短冊状にタオルを切り離し、それを眠り姫にそっと乗せる。その寝顔は赤子のような幼さを含んでおり、数年前の妹を想起させる。

 ……とはいえ、そんな頃の僕は妹を寝かしつけといて自分も眠くなるようなチビっ子だったっけ。

 甘くて苦い思い出をクスクス笑ってると、無意識に小さな欠伸を漏らしてしまう。

「僕も流石に疲れたか……」

 そういえば今日は、朝の入学式に加え、衝撃の小人との出会い、そしてミニチュアベッド工作と、何かと疲労が重なる日だった。まだ昼過ぎとはいえ、睡魔が襲っても仕方がない。

「ちょいとシエスタ……」

 床に尻を付けたまま、傍のベッドに頭を預けて目を閉じる。

 夢世界に飛び込む直前、妹よりは大人びた雰囲気の寝息が、優しく耳に入ってきていた。




※※※




 ————。

 ———————。

 —————————————ん?

「……ふぁ」

 どうやら寝てしまっていたらしい。何か夢を見ていた気がするが、つい数秒前の記憶は一切蘇らない。

 ふと、寝る前には無かったタオルが私の身体を覆っていることに気付いた。どうやら康平が追加で作ってくれたらしい。

 礼を言おうとして彼を探すと、当人は両腕を枕にしてベッドに頭を傾けていた。閉じた目と薄く開いた唇から漏れる寝息が、彼の睡眠状態の良さを示唆する。

「……寝顔は、意外と可愛いのね」

 なんというか、母性を刺激される感じがすごい。

 お兄ちゃんのはずなのに、私は弟のように可愛いがれる自信がある。本人は嫌がるだろうけど。

「……りん、ごぉ」

 突然、康平の口からマヌケな声が漏れ出した。寝言というやつか。ってか何でリンゴ?

「あ、そういえば」

 私がつい眠る直前、確か私は康平にリンゴジュースを頼んだはず。本人はごねていたが、結局探してくれたのだろうか。やっぱお兄ちゃんだ。

 ウキウキしながら部屋を見渡すと、彼の足から少し離れたところに置いてあるが目に入った。

 お猪口ちょこって確か、お酒を飲むときに使う容器だったはず。

 つまり、あれの中にあるのは——お酒?

 しかもお猪口の隣にはマグカップが置いてある。そこには『こうへい』と大きく書かれている。つまり、マグカップは彼の、お猪口は私のだ。

「……」


 まさか―――私を酔わせる気!?


 いやいや!康平に限ってそんなこと……あるわけ……。

 でも待てよ。私は彼に飲み物を持ってきてほしいと頼んだわけではない。彼の意思でこの飲み物を持ってきた。

 もし彼が笑顔で「どーぞ♪」なんて出そうものなら、私はその善意を無下にできず、グビグビ飲んでただろう。

 な、なんて完璧な計画!そして酔って眠りコケた私は文字通り康平の手のひらの上で……!

「……んぉ、起きたのか」

 顔が熱くなっていく中、目を開けた康平は私があたふたしてるのに気付いて目を覚ました。

「どうした、顔真っ赤にして」

「う、うるさい!この変態!」

「……自室で昼寝しただけなのに罵倒されたのは何故だろうか」

 体をベッドから離し、一度大きく体を伸ばすと、足元のコップに手を伸ばした。マグカップを躊躇いなく右手で取り口まで運ぶ。

「……そうだ、コレ」

「うっ」

 未だ半目のまま、康平はお猪口を摘み私の前に置く。中には透明度の高い、しかし僅かに白濁している液体が揺れていた。それがお酒だと思うと、少し距離を置きたくなってしまう。

「どうぞ」

 こ、コイツ……言いやがった……同じ屋根の下、妹がいるというのに……。

 でも、どう考えても逃げ場はない。

「ん?どうした?」

 お猪口の前で静かに葛藤してる私を見て、康平は目を擦りながら疑問を示す。

 まずい、このまま疑われると厄介だ。強硬手段に出られたら勝ち目がない。

 ……安全に生きられると悦んだ、私が馬鹿だったのか。

 仕方ない。これが運命だったのだ。

 なんだか頬が熱っぽい気がする。


「———乱暴に、しないでね……」

「は?」


 目を瞑り、お猪口に口を付けグッと縁を傾ける。絶妙な角度を維持して、多少ぬるいが僅かに冷気を纏う液体を喉に通す。

 一度床に置き、口内を刺激する液体に味覚を集中させる。濃すぎず薄すぎない酸味の中にほのかな甘みを含有しており、すぐ二杯目に向かいたくなる味だ。

「これ……りんごジュース?」

 顔を上げると、康平としっかり目が合った。ただし、眉間にしわを寄せているが。

「当たり前でしょ。逆に他の可能性があるのか?」



 ————やってしまった。



 顔全体がどんどん熱を持ち始めるのを、手で触ることなく感じられた。

 どうか冷却スプレーで凍らせてほしい。




※※※




 僕は、自分が決して優しいやつだと思ったことはない。歳の離れた妹がいたから世話を焼く癖がついたものの、自尊心が満たされるわけではない。

 とはいえ、もし僕の世話焼きが相手にとって余計なものだったら、酷く落ち込むだろう。自分の身勝手な善意が相手を不愉快にしたとなっては、とてもじゃないが気分は優れないからだ。


「そして、今回の行動は決して余計なお世話だと思ってない。それは分かる?」

「は、はい……」

 顔を真紅に染め上げお猪口の前で座る少女は、俯きがちのまま小さく頷いた。

「僕が善意100パーセントでソレを持ってきた結果……君はあらぬ誤解で恥辱の限りに悶えた、と」

「………………はい」

「傑作だな」

「やめてぇ!」

 顔を両手で覆って「だってぇ、だってぇ……」と身体をクネクネさせながら呟いてる。よっぽど恥ずかしかったのだろう。イジり倒すのはこの辺でやめてあげようかな。


 数分前、僕はたまたま食器棚の隅にある父さんのお猪口を見つけた。但し父さんは酒豪というわけではないので、殆ど出番を見たことはないが。

 普通のコップに比べたらマシか——と、そこにリンゴジュースを注ぎ部屋に持ってきた結果、1人でアレコレ妄想させてしまったわけだ。流石に寝起き直後の「変態!」という罵倒は刺さるものがあったが。


「とはいえ、1個明確な課題が見えたね。君に見合うサイズの物を用意するときは、すれ違いが起きるかもしれない、と」

「……そうね。自分で言いたくないけど、私自身あまり世間を知らないもの」

 それは決して彩音が努力を怠ったわけではなく、ベッドで寝たきりという束縛があったからだ。別に彼女が後ろめたさを感じる必要はないが、それは彼女の為人ひととなりが許さないだろう。

 それに加えて『小人と普通の人間』という、世界観が全く異なる2人が暮らすのだ。ズレが生じて当然ではある。

「何にせよ、このままだと彩音に不自由を強いることになる。出来れば君の身の回りの用品を揃えてあげたいけど」

「……うーん、提案は嬉しいけど、別に気にしなくていいよ?寝床を貰えただけでも充分有難いし」

 そうは言って控えめに断ってくる。

 しかし、コップ1つでここまで面倒が起きたのだから、僕としては早めに手を打っておきたい。

「流石に寝床だけってのは……でも、彩音に丁度良い用具なんて、それこそミニチュアとかになるからなぁ……」

 僕も茉由もミニチュアで遊ぶタイプの幼少期を過ごしてこなかった。いくら家を探してもそんな都合の良いものは発掘できない。

「これは、新しいのを買いに行くしかないか……」

「か、買いに行くの?」

「そうだね。ちょっと日も落ち始めてるけど、今行けば夜には帰れるでしょ」

「え!?今行くの!?」

 外を見ると、空が薄い橙色に染まっていた。時間は5時なので、今から出掛けると帰れるのは夜になるだろうけど。

「まぁ9時までには帰れるよね。そうと決まればすぐ行こう!」

「ひょっとして私も一緒!?」

「そりゃね。僕のセンスで選ぶと壊滅的なデザインの新居ができるよ」

 第一、僕はファッションとかインテリアとかに欠片かけらも興味がない。いくら彩音でも、可愛い道具やオシャレな家具で過ごしたいはず。曲がりなりにも高校2年生になる年頃だし。

「で、でも、私が外出するのは……ホラ、誰かに見つかってもマズイし……」

 ……何かと思えば、彼女は外で自分の存在が他人に認知されるのが怖いのか。そういえば最初僕に見つかったときも凄く怯えていたな。

 要は、外に連れて行った彼女が他人に見つからなければ良いということ。

「じゃあ……こういうのはどう?」

 そう言って、僕は着ている制服の胸ポケットに親指を立てた。

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