2ー5
息を荒くしながら、心を落ち着けるつもりでゆっくり階段を降りる。
脳裏には、さっきの質問がへばり付いている。
「も、もし僕が彩音を運んだなんて知られたら、次は確実に信頼を失う……!」
※※※
少し遡って、昼寝後にリビングで遅めの昼食を摂っているとき。
母に作り置きしてもらったカレーを食べ、デザートがてら前から取っておいたシュークリームを手に取った瞬間——無意識に、手に収まった小人の感触が蘇った。
「あ」
間抜けな声と同時に、シュークリームが手から零れ落ちる。幸い梱包されたままだったので、デザートは問題なく食べれる。
問題があるのは、数分前の自分の行動——横になって夢世界に浸る小人を、掬い上げて運んだこと。
……手のひら全体を、女子高生の柔らかい触り心地が支配していたのだ。
昨日も同様のシチュエーションは遭遇したが、あのときは彩音が激憤してたこともあり、一切その柔和な感触を味わうことはなかった。
「……味わうって、どんな表現してんだよ」
危険な邪念を断ち切るように頭を振り、床のシュークリームに手を伸ばす。
再び手にした途端、その優しく反発する感覚が、断ち切ったはずの邪念を舞い戻らせる。
そして、思春期男子の思考が完全に下卑たものに染め上がる。
彩音はとても女性らしい体型をしている。何なら女性の中でも秀でた曲線美を誇る。それにより、ところどころに備わる膨らみが男子の煩悩を刺激するのだ。
触りたいとか、自分のものにしたいとか、そんな
ただ脳内で訴えてるのは、あの触感を忘れられないという本能。決して清くなく、でも
————————。
———ここまで来たら、認めざるを得ない。
「……さっきの、結構貴重な機会だったんだなぁ」
自分でも訳の分からない結論に溜息を
※※※
昼食時の最低な思考を思い出し、心の底から悶えた数分後。
彩音の空腹を満たすため、リビングからチョコチップ入りクッキーを持ってきた。途中、廊下ですれ違った茉由からの鋭い視線がグサグサと刺さったが、涼しい顔で無視しておいた。
彩音をティッシュハウスに戻して遅めの昼食を楽しんでもらってるうちに、例の『自己紹介カード』なるものを完成させなければ。
これは今日渡された課題で、明日持って行ってクラス内交流で役立てるらしい。要はコレ見せて話すきっかけにしろ、ということだろう。コレを貰った瞬間、恐らくクラスの全員が「小学生かよ!」と心の中で突っ込んだはず。彩音も言ってたし。
とはいえ、いくら悲鳴を上げたところで課題は消えないので、嘆息を堪えて紙面に向き合う。
大体は既に埋めたが、残った2つが妙に厄介だ。
『将来の夢』
『誰にも言えない秘密』
「セレクトのパンチ強すぎだろ、あのじいさん……」
渋い顔しながら頭を抱えつつ、一つずつ思案してみる。
まず『将来の夢』。小学生への質問の代表格だと思われるが、まぁ『好きな食べ物』よりよっぽどマシだろう。
問題は、僕がこの質問への回答を持ち合わせていないこと。高校生にもなって、将来への指標が影も形もないのだ。
いくら頭を捻り尽くしても、適切な文言が絞り出てこない。
「ここはテキトーに『親の跡を継ぐ』にしとくか」
肝心の両親の職業を知れば、みんな腰を抜かすだろうけど。
「これがラスボスだな」
最後の質問欄に相応しい敬称を与えつつ、ペンを近づける。
『誰にも言えない秘密』
「……改めてツッコミどころ満載の質問ね。小学生が作ったの?」
いつの間にか、昼食を食べ終えたらしい彩音が、プリントを傍から覗き込んでいた。
「いや、小学生どころか幼稚園児でもここまでアホな質問しないだろ」
なぜ門外不出の秘め事を、出会って2日の人間どもに白状する必要があるのか。
誰にも言えない秘密なんて、誰にも言えないのだから、ここに書くわけがない。
もし書いてきたやつがいるとすれば、恐らく隠さなくても大丈夫なレベルか、そもそも嘘か。どちらにせよ、くだらない回答になるのは見え切っている。
別に笑いを取りに行く気は微塵もないが、一体何を書くべきか。
自分が抱える秘密を想起し、真っ先に現れるのは……
「ん?どしたの?」
僕に見つめられ、彩音は繊細な可愛い瞳でこちらを見つめ返す。
「いや、僕が直近で隠し持ってる秘密っていえば……」
「……あーー……」
口に出すことなく意見を伝え、見事に受け取った彩音がはっきり声のトーンを下げる。
誰も悪くないのに、一瞬で暗闇のどん底のようなムードになる。
不器用にペン回しをしながら、どうにか体裁を直そうと言葉を取り繕う。
「も、もちろん書かないよ!けど、書いたら『うっそぉ!』って笑われないかな……?そしたら面白いジョークで盛り上がれるかなーなんて……」
「……中途半端に白けて、君の学校生活が最悪の形で幕開けをするだけだと思うけど」
「ですよね……」
机に肘を突き、唸りながら頭を抱える。我ながらなんと愚かな発想をしてしまったのか。
しかし、包み隠さず落ち込んだおかげか、彩音が小さく吹き出す。
「ふふっ、冗談冗談。別に気に障ってないよ」
口を隠すように手を添えて、クスクスと肩を震わす。
冗談、と言ってくれたが、一体どこまでが冗談なのか。というより、どこまでが本当なのか……。
「それよりないの?私に言ってないような秘密」
どさくさ紛れに個人的な興味が混じってる気もするが、それを他所にして考えてみる。
彩音はもちろん、茉由や両親にも隠していることなんて、あるのだろうか。世界で僕しか握っていない事実が。
「詩とか書いたことないの?」
「ないよ」
「小説は?」
「ない」
「漫画は?」
「ないってば」
「ポエムは?」
「詩と同じでしょ」
「ちぇーっ」
「お前ただ僕の黒歴史知りたいだけだろ」
生憎と彩音が求める商品は持ち合わせていない。妹が隣の部屋にいる手前、男の子らしい過ちを犯したこともない。
こうなると、秘密の規模を一つ下げるしかない。
次に考慮するのは、家族の秘密。だが茉由は特に僕に厳しいので、簡単に私情を漏らすことがない。そういえば、なんで僕が中学の人間と連絡できないこと知ってたんだろ……。
深まるばかりの謎は後で考えるとして、続けて両親の秘密も思案してみよう。
クラスメイトとの交流で親の秘密を暴露しろ、というのは流石に倫理観を疑われる危険性もあるが、背に腹は代えられない。なにかあるだろうか……?
悩み続けること5分、一番まともそうな隠し事を記入する。
個人的には大した秘密ではない気がするが、試しに彩音の反応を窺ってみる。
「あ、え……?」
しかし彼女は予想の遥か上空の反応を露見する。
顎が外れそうなくらい口を開けており、眼は焦点が定まらなくなっている。
「ほ、ほんとなの、そこに書いたこと……?」
錆びたロボットのような関節駆動で首を回し、信じられないと言わんばかりに僕に尋ねかける。
黙って首肯すると、途端に彩音が腰を抜かした。そのまま勢いよく尻もちをつく。
身軽とはいえ激しく痛覚を刺激したはずなので少し肝を冷やしたが、彼女の右手は尻ではなく頭を
「頭、痛いのか?」
「そりゃ痛くなるわよ……こんなの知ったら」
バツの悪そうに口をへの字に曲げ、プリントを見下げる。
「こんなの持っていったら、きっと一躍注目の的になるわよ」
「そ、そうかなぁ?」
頬を掻き、僕も同じく口を曲げてしまう。
あまりの指摘っぷりに訂正しようか迷ったが、これ以上は思考が働きそうになかったので、ペンを手放して終了を決め込む。
「さすがに、注目の的はないだろ……」
思わず笑ってしまうが、不思議と乾いたものになった。
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