1ー8

 イルミネーションに浸ること数分。気持ちの整理が終わったのか、彩音が「もう大丈夫」と涙を拭った。それを合図に僕は再び歩き出し、ショッピングモールの中へ入った。

「分かってはいたことだが、人の量が尋常じゃないな……」

 フロアを埋め尽くす人々。そのほとんどが家族連れのようだ。時間的にも、外食に来てるのだろうか。

 人の数に比例して喧騒も増している。これなら胸元の小人と話していてもバレる心配はないだろう。

 何にせよ、まずは目的の店に行くのが最優先だ。

「確か、おもちゃ売り場は3階だったっけ」

 人混みを掻き分けエスカレーターに辿り着く。コンベアの昇降に身を委ねてると、彩音が僕の胸を叩く。

「ねぇ、私あそこ行きたい」

 彼女が指さす先には、全国的に人気な服屋があった。

 入り口の中心で堂々と立つ女マネキンは、身体の曲線がハッキリ分かるドレスを着ていた。紺色のようなそれは、どこか彩音を連想させる。

 あそこに行きたい、ってことは、服に興味があるということか。

「でも、あそこに君の着られる服は無いと思うぞ」

「いいの。女の子は服屋さんを見て回るだけでも楽しめるんだから。そんなことも知らないとモテないよ?」

 なんだ最後の嫌味。てか服ってのは着飾って楽しむものなんだろ?僕はファッションなるものに欠片も興味ないから分からないが、見てるだけで何を得るのだろうか。

 でも本人がそう言うのだから、強く否定する気にはなれなかった。仕方なくその店に向かうことにする。

「……ちなみにさ、あまり訊きにくいことなんだけど」

「いいよ、何でも答えるよ」

「——お言葉に甘えて。君、多分だけど服屋に行ったことないよね?」

 もしかした幼稚園前後に行ったことはあるかもしれないが、だとしたら記憶はかなり薄いはず。

「……そうだね、行ったことないよ。少なくとも記憶のある内には」

「そうか……じゃあさ、どうして『服屋を見て回るだけでも楽しい』って思ったの?」

「……え?」

 素っ頓狂な返事と共に目を丸くする彩音。

 さっき呼び方の話題だったときも「女の子には呼び方が大事だ」みたいなことを言ってた気がする。

 言い方は悪いが、病院で1人毎日を過ごしてきた彼女に、果たしてああいった一般論が通じるのか。僕にはそこが気がかりで仕方なかった。

「どうしてって……ほら、私この1年ずっと女の子たちの近くで過ごしてきたから」

 女の子たち、というのは、僕ん家の隣に住む雪村姉妹のことだろう。

「あの子たちの会話とか聞いて、色々知ったのよ。今時の女子の流行は何か、みたいな女の子らしい情報から、義務教育で日本人はどこまで得るのか、みたいなお堅い知識まで」

 苦笑いして「もちろん全部じゃないけど」と付け足す。

 必死に言い訳をしてる、というわけでは無さそうだ。彼女も彼女なりにこの1年を有意義に過ごしたというだけ。僕にとやかく挟み込む余地はない。

 彼女の解説を聞いてるうちに、目的の服屋に到着した。

 そういえば、はるかはこの店のブランドが好きだったな。もしかして彩音が他の店ではなくここを選んだのもそれが影響してるのだろうか。

「なるほど、納得できた。ありがとう」

「いえいえ、じゃあお店を見て回りましょ?」

「良いけど……僕が女性服のコーナーに行くのか?」

「当然です」

 一刀両断。僕に反抗する機会はないのか。

 ……というか、ちょっと待て。

 よく見たら、店のものは全て女性向けだ。服は勿論、所々に添えられている装飾品まで。つまり、何気なく入店した僕は相当な異物ということになる。しかも見渡す限り男がいない。せめて店員に男混ぜろよ!

 しかしここまで来て、彩音の期待を裏切るわけにはいかない。入る前から断っておけばまだ希望はあったが、入ってから「やっぱやーめた」と言うのは流石に酷いだろう。

「し、仕方ない……彩音、行きたいとこ教えてくれ。周りの人目は僕が注意する」

「やった!じゃあね、まずはあっち行きたい!」

 周囲の視線を気にしながら、彼女は興味の向いた一角を指示する。

 せっせと足早に指定されたコーナーに向かう。肩ぐらいまである棚が無数に並ぶなか、あるタイミングで僕はすぐ異変に気付いた。


 ——店中の女性店員が、僕を見てる。


 厳密に言うと僕の視界に限っての話だが、恐らく背後にいる店員たちも同じはず。

 びっくりして背筋が凍りそうだったが、それは辛うじて塞いだ。もし表情や行動に不安を映すと、嬉々として服屋を楽しんでいる彩音に心配をかけてしまう。

 落ち着け。なぜ僕が注目の的なのか考えよう。

 珍しい男性客だから?まぁ理由の一端ではあるだろうが、それで全員が僕を見ることにはならないだろう。

 でも他の理由が思い付かない。ここは妙な勘繰りは諦めて、素直に彩音を楽しませる思考に切り替える。

「色んな服があるんだね」

「そ、そうだな」

 イルミネーションのときとは違う理由で目を輝かせている。僕はなるべく違和感がないよう屈んだり座ったりして、彼女の視野を物理的に広げてあげる。

「……にしても、ホントに色々あるな」

 服の種類に限らず、柄や色使いも無限の組み合わせがある。なるほど、女性が服屋に時間を掛けるのも当然か。

 そんな風に1人で勝手に感嘆していたせいだろうか——僕は周囲への警戒を怠っていたようだ。

 そして、僕へ静かに近づく1つの影が視界の端で揺れた時には、もう遅かった。

 ——奴らが、直接攻撃を始めた。

「お客様、男性お一人でご来店頂いたということは、どなたかへのプレゼントでしょうか?」

 突然耳朶じだを打った甲高い声は、僕に急接近してきた女性店員のものだ。満面の笑みで勢いを抑えることなく尋ねてくる。

「え?いや……」

「お見受けする限り高校生の方かと思いますが、もし宜しければ選別するためのお手伝いを致しましょうか?」

 この人が僕の買い物目的を『プレゼント』と半ば断定してる以上、その贈り相手は彼女か近親者だと思っているのだろう。

 ただ申し訳ないことに、僕の目的は彩音にオシャレな服を見せることであって、購入の意思は欠片もない。肝心の彩音は胸ポケットの深いところで丸く収まっている。まず彼女が見つかる心配はないだろう。

 となれば……恥も外聞もなく、まずはこの店員を撒かねば。

「まずはプレゼントを贈るお相手の詳細について伺ってもよろしいでしょうか?大体で構いませんが」

「す、すいません!買いに来たわけではないので!」

 じりじりと距離を縮める店員さんに深く頭を下げ、僕は足早にその場を離れる。後ろから「いつでもお声掛け下さい〜」という言葉を背中にぶつけられた。

 特に目的地もないまま店内を徘徊しつつ、さっきの店員から逃げるためにひたすら歩きまわる。

「お、おっかねぇ……噂には聞いていたが、まさかここまで迫力があるとは……」

「す、凄かったね……もう大丈夫じゃない?」

 その言葉を聞いて、僕は足を止める。振り返ると、さっきいた場所から既にかなり離れていた。

 息苦しさを感じ、マスクを外す。ふぅ、と息を吐き、呼吸を整える。流石にマスクを着けたまま運動すると息苦しくなるらしい。果たしてこれが呼吸器が原因の息苦しさなのかは不明だが。

 耳の奥で響く脈動が収まるのを感じつつ、僕はポケットで丸くなる彩音に声をかける。

「これからどうしようか……まだ見たい?」

「うーん、ホントはまだまだ見たいけど、これ以上は君が危ないかも」

 あ、しまった。結局気を遣わせてしまった。

 とはいえ正直なところ、さっきのが続けば、僕が持たないかもしれないのは事実。

 彩音には申し訳ないが、店を出るのが最善だろう。お互いのために。

「また今度、必ず連れてってあげるから」

「うん、ありがとう。楽しみにしてるね」

 一切反発することなく首肯する彩音。嬉しい限りだが、同時に柔らかく僕の心を締め付ける。

 僅かな罪悪感を咀嚼しながら、店を出るために出口を探す。しかし、目の前に太い柱があるせいで視界が悪い。

 何も考えず柱を曲がると、その先にあった人影にぶつかりそうになる。

 思わず「おっと」と声を漏らしつつ、僕より一回り背の低い女性の目の前で止まる。あと1歩出てたらぶつかるところだった。

 ぶつかってないとはいえ、自然と「すいません」と口にしていた。それに対して相手も「いえ、こちらこ……」と返事をするが、何故か語尾が固まった。

 どうしたのか、と何気なく顔を見ると、僕はその女性——否、少女と目が合った。

 淡い茶髪のショートボブが揺れ、整った目鼻立ちはどこか幼さを感じさせる。しかし、この少女が小学生や中学生なんかではなく、同い年であることを僕は知っている。


「な、なんで康平が、こんなところに?」


 幼馴染の雪村 はるかが、目を丸くしていた。




 ———おもちゃ屋が遠い!

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