2-9

 空を仰ぎ見ると、半分以上が茜色に染まっていた。燃え上がる空に熱はなく、柔らかな陽気が1日の終わりを歓迎しているように見えた。

「じゃ、また明日」

「うん。じゃあね」

 尽きぬ話にどうにか終止符を打って、2人それぞれの家に戻る。

 駅で電車を待ってるときも、電車に揺られてるときも、下車して改札を背にしてからも、会話が途切れることはなかった。

 なんでここまで盛り上がったのか。そう考え、ふと直前の話題が甦る。

『そういえば、こうやってちゃんと話したのって、小学校以来だな』

『そうね。連絡先交換してからも、電話なんて一度もしなかったし、メッセージも数回送っただけだから。最後に送ったの、中1のときじゃなかった?』

 正直僕は覚えていなかったが、「そうだね」適当に相槌を打った。

 要するに、お互い話の噛み合わせは完璧なのに、ここ数年まともに顔を向かわせなかった反動で、話題が盛り沢山だったということか。

「……お互い、ガキみたいだな」

 自虐もそこそこに、僕は家に入った。




※※※




「うへー、疲れたぁ……」

 怠惰な呟きが尾を引きながら、僕はベッドに飛び込んだ。

「毎回、帰ってくるたびにそうやってるよね」

 ティッシュハウスから出てきた彩音が、労うことなく乾いた笑いとともに指摘する。

 確かにこの3日間、学校で疲労を積んでくるばかりだ。

 ただし今日については、別にはるかとの会話に疲れたわけではない。

 何せ、はるかが『三宅に尾けられてるかも』なんてほのめかしたことに加え、その影響なのか、歩いてる最中も時折後ろを振り返ることもあり、僕もかなり周囲に気を張ってしまったのだ。まして、家に着く直前に背後から気配を感じてしまった。そのときは、振り返っても誰もいなかったが。

 僕の杞憂はとにかく、問題は三宅の執拗な接近戦だ。

 今朝僕に声をかけたのはつまり、僕に彼の恋愛を手伝ってほしかったのだろう。

 後押ししたいのは山々だが、あの勢いでははるかをより一層畏怖させてしまうだけ。ならまずは根本から変える必要が……。

「どうしたの、康平?眉間に皺なんて寄せちゃって……今日はもうゆっくり休んだら?」

 僕の思考を断ち切るように、遠くから彩音の軽やかな声が届く。そこには、温かい心配が滲んでいる。

 その優しさにとろけてしまいそうだ。

「そうしたいけど……実は、他にやるべきことがあるからなぁ」

 それは学校の課題ではなく、僕と彩音に関すること。


 ――実はまだ、一昨日買った人形たちを処分していないのだ。本当はゴミ箱に鎮めてお別れしたかったのだが、もし母さんや茉由に見つかれば、言及されかねない。

 そのため今は、部屋に備え付けられているクローゼットの隅に押し込んである。流石にそこなら見つかる心配はないからだ。

 肝心の処分のタイミングだが、今夜が丁度いい。

 明日はゴミ出しの日。母さんは前日にゴミ袋を纏めておく人なので、恐らく既に準備が整っているはず。

 あとはみんなが寝静まった隙に、抜き足差し足でゴミ袋のところに行き、そこに人形たちを捻じ込むだけ。これで誰にもバレずに最後の証拠隠滅が為せる。


 今夜のプランのことを脳内で再確認していると、突然に彩音が現れた。

「やるべきことって、人形のこと?」

 聴覚を淡く撫でるような音を立てて、ベッドに壮麗な着地をしてみせた。

 出会ったときに着ていた紫のワンピースを波打たせながら歩みを進めるその姿は、天使が雲の上で散歩を愉しんでいるような美しさが漂っていた。

 だが僕は、その紫紺の芸術に息をのむより、彩音の動きに対する驚きが漏れ出した。

「あ、彩音……さっきまで、机にいたよね?もうここまで移動したの?」

 苦労を強いる去年1年間のおかげで、かなり高い身体能力を獲得したことは聞いていた。それにしても机からベッドまでは、小人にとって相当な長距離のはず。僕には想像も着かないが、20秒弱で駆け抜けられるとは思えない。

 そんな疑念も込めた問いかけだったのだが、当の本人は素知らぬ顔で首を傾げた。そして、質問の意図を咀嚼したのか、小さく鼻を鳴らし、

「簡単な話よ。康平が学校に行ってる間、何もすることがないから、走ったり登ったりを繰り返して移動の練習をしてたの」

 腕を組んで、自慢げに語ってくれた。僕を驚かせられたのがよほど嬉しいのか、満面の笑みが薄れる様子はない。

 そんな可愛い笑顔に僕も口許を綻ばせつつ、彼女の言葉の裏側を読み取る。


 体躯が極めて小さい彩音は、本を読んだり絵を描いたりして時間を潰すことができない。だから、苦渋の決断で研鑽を積むことにしたのだろう。それが結果的に自分のためになると理解したからこそ、有意義な使い道だと判断した。

 そう思うと、改めて、彼女は本当に自分のやりたいことができない立場だと実感する。

 安心の住まいを得たとはいえ、まだまだ彼女が切望することは無数にあるはず。

 それを実現させるためには、僕が手を尽くすほかない。しかし決して楽な道ではないだろう。例え僕が有象無象の矢面に立ったとしても―――


 守りたい笑顔が眼前で輝いた、瞬間の静寂。

 その静寂は、悲劇の再来を暗示した。

「ん?」

 ――足音が、聞こえた。音源は廊下。その一歩一歩が妙に重たい。

 明らかに母さんではない。もし母さんなら、どんな理由でももっと軽い足取りを刻むはず。

 てことは、この歩みの持ち主は……。

 僕の懸念が深まる一方で、彩音は特に気にする気配がない。それは恐らく、なら自室に向かうと思っているから。

 というか、そうじゃないのか?

 なんで僕は、アイツの目的が他にあると考えているんだ?

 その理由を、全神経を研ぎ澄まして再考する。そこまでする必要はないのかもしれないが、無情にも本能が警鐘を叩き鳴らしているので、その危険信号に全身で応答するしかない。

 そして見つける――たった1つ、最悪の可能性を。


 家の前で錯覚した人影――あれがもし、茉由の影だとしたら?

 そして――はるかとの話を聞かれていたなら?


 寒気が神経を逆撫でし、鳥肌がたちあがると同時に、僕の推測を確信に変える出来事が起こる。

 ——足音が明らかに近い!

 違和感を察知すると躊躇いなく、彩音の腰辺りに手を添えて半ば強制的に移動させる。

「ちょ、え、康平?」

「しーっ、動くなよ」

 最小限の小声で、最大限に意志を伝える。

 彩音を移動させた先は、扉を開けるであろう来訪者から死角になる場所。ぎりぎり僕の頭で見えないはず。

 丁寧な移送が完了した瞬間――扉が、盛大に解放される。

 そして、そこに仁王立ちする我が妹―――茉由に、視線を向ける。

 顔に塗りたくったような無表情の中に、薄く苛立ちが混ぜ込まれている。それだけで、彼女の真意が汲み取れる。

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

「……入るときはノックしろよ」



 頭蓋骨の最深部で、ゴングが甲高く響いた。

 ―――ラウンド2!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る