第2話「小さな秘密」
2ー1
「それじゃあ、前から教科書をどんどん後ろに回して——」
教卓に手を突いて、担任の朝倉先生が指示を出す。整えた口髭と頬や額に刻まれた皺からして、なかなかにベテランの先生であると推測できる。
机の上に配られたばかりの教科書が塔を築く。全て配り終えたときにはすでに目線の高さまできていた。
「じゃあ、1冊ずつ落丁等ないか確認するように」
指示に従い、クラスメイト全員がパラパラと教科書をめくる。入学式翌日というだけあって、誰も一言も話さない。故に、ただひたすらに紙の
僕も周囲に合わせて教科書を開くが、実は全く集中していない。否、集中できない、と言うべきか。
僕の思考は、完全に別を向いていた。
「……彩音は、大丈夫かな」
自室に腰を据える小人の少女に対し、思わず一抹の不安を口にする。
※※※
康平曰く、今日は12時には帰ってくるらしい。
つまり、私がこのティッシュハウス(康平が命名)で彼を待つ時間は、おおよそ3時間といったところ。
その間、やることはたくさんある。昨日買ってきた家具の整理、山のような服たちを収納する場所の確保、などなど……。
しかしそれらは昨夜大体済ませたので、このあと1時間もあれば終わるだろう。問題は、最も時間と労力がかかる作業である――
「――『武器』の獲得」
『武器』というのは、私が住み着いてる家を駆け巡るときに必要な道具たちのこと。あまりに使う機会が多かったので、『武器』と名付けて重宝していた。
具体的には裁縫針やら粘着テープやらといろいろあったが、どれも私が仮住まいにしてた雪村 はるかさんの部屋で手に入るものだった。彼女が寝静まった深夜にこっそり持ち逃げすれば、それ自体は大したものじゃないのでバレずに過ごせた。ところが、今いる康平の部屋はとにかく品揃えが悪い。いや世話してもらってるくせに、この言い方はダメだろうけど。
そして、この家においても武器は必須になる、と考えてる。
最初は、武器の調達くらい康平に頼めばいいと思っていた。でも同時に、そうやって何でも頼るのも良くない、と己の自制心が働いたのだ。
昼間に住人がいる中で家を動き回るのは久々だ。バレるリスクの高さに思わず足が震えそうになるが、そこはグッとこらえる。
「ふぅ……部屋の整理はこのくらいで十分かな」
予想通り、家具と衣類の整頓は1時間もせずに済んだ。これでしばらくは充実して部屋を使えるだろう。
こちらの作業が一段落着いたところで、休憩を挟んで次の作業へ移る。
「次の方が本命なんだけどね……」
唇を軽く舐め、ゆるゆると緊張を
昨日は一日中康平に擁護されていた。その安心感は計り知れない。
だが今回はそうはいかない。もし康平のお母さんや妹の茉由ちゃんがいるなら、その人たちにバレないよう隠密行動しなくてはならない。
「どうか、誰もいませんように……!」
強く祈りながら、私は康平の部屋を出た。
あ、この自前ナレーションいいかも!
※※※
まずは家に誰がいるのか確認するため、階段付近へ移動した。目を閉じ、1階から漏れ聞こえる物音に耳を澄ませる。
「……ぇで……ぅも……」
――明らかに誰かいる!!
テレビの音が邪魔で会話の内容までは聞き取れないけど、確実に1階に2人はいる。どうやらどちらも女性のようだ。私の記憶の中でこの声色に該当する人物は……
「茉由ちゃんと、お母さん……」
私の数秒前のお願いは、どうやら神様に却下されたらしい。
こうなれば仕方ない。私は
幸いドアは少し隙間があり、体重をかけて押せばゆっくり開いた。
通れるだけの隙間ができたところで身を滑り込ませ、ドアを部屋側から押し止める。流石に隙間の幅を覚えてることはないだろうが、念のため。
ドアが静止するのを確認し、侵入した部屋を見渡す。
勉強机の上には教科書類がきれいに整頓されて並んでいることや、ベッド横の本棚には大量の小説や漫画が本屋のように収納されているところから、持ち主の几帳面さが垣間見える。
ベッド横の壁には賞状が3枚貼られており、1枚は『体育大会100メートル走個人 優勝』、残り2枚には『ピアノコンクール最優秀賞』と記されてる。加えて、勉強机の正面には『目標:定期試験で学年1位キープ!』と貼り紙されている。
「なるほど。文武両道、才色兼備とはこのことね……」
厳密には茉由ちゃんの顔を見たことはないが、ここまで中身のクオリティが高ければ外見なんて桁外れなんだろう。どちらにしても、運動万能、高学力にピアノなんて、さぞかし学校ではモテモテに違いない。
妹がこんなに運動や勉強ができるのだから、兄の康平も同等の実力があるのだろうか。そういえば、彼のそういう面は見たことないな……。
「……なんて、道草食ってる場合じゃないや」
万が一ここで茉由ちゃんが部屋に来てしまえば、一巻の終わりだ。手早く用件を済まさないと。
康平への興味からどうにか切り替え、目的の品々を回収するために走り出した。
――ちなみに、康平の性格が温かくて優しいことは、私が誰よりも知ってる。
※※※
「
最上級のどや顔で闊歩し、部屋を後にする。
ワンピースの左腰辺りには、戦利品である待ち針が刺さっている。ちなみに右側には先日獲得した手縫い針2本を帯刀している。また、待ち針を裁縫セットから抜き取るとき、合わせて白い手縫い糸も頂戴し、今は腰にワンピースの上からぐるぐる巻きにしている。
唯一心残りがあるとすれば、お菓子が見つからなかったことくらい。
「まぁこればかりは仕方ないか。まだビスケットも余ってることだし」
とりあえず無事にこれだけの成果がでただけでも万々歳だ。喜びのあまりスキップしながら自室に戻る。
愉悦に染まった感情と態度は、向上する一方で――
「――やっぱお兄ちゃん、部屋で誰かと話してる」
その言葉が聞こえた瞬間、気分が奈落の底へ引きずり落される。
「今の声……茉由ちゃん……?」
いつの間にかテレビの音は消え、おかげで下からの会話が簡単に届いた。
ただし、あくまで声が届いただけであって、私の理解が追いつけるかは別。
……さっきの発言、聞き間違いじゃなければ。
「まだ言ってんの~?」
次いで、お母さんの陽気な返事が聞こえる。
その言葉にほんの僅かだけ安堵し、筋肉が凍結したかのような両足に鞭打って、どうにか階段の傍へ移動する。
「電話してるのよ、きっと」
「でも、出会って初日の人と連絡先を交換できるようなコミュ力はないじゃん」
「それはー、否定できないわね」
「あと中学の友達の連絡先は知らないはずだし」
「なんで茉由がそんなこと知ってるのよ」
完璧な推理だ。流石は学年1位。にしても中学の時代の繋がりがないなんて妹に知られて、あの男は悔しくないのか?
康平の残念さはともかく、問題は茉由ちゃんの疑いの目だ。お母さんに相談してるあたり、まだ不確定なんだろうけど……。
焦りと不安で激しくなる脈動が脳内に響く中、再びお母さんの声が聞こえる。
「じゃあ仮に茉由の言う通り誰かと喋ってるとして……誰と話してると思うの?」
「……そうだよね。そこが分かんないの」
はっきり分からない、と明言されたのを聞けたので、ホッと一安心する。
どれだけ彼女が才女でも、小人と話してるなんて発想にはならないだろう。私たちの完全勝利だ。
「そう。なら諦めて……」
「だから———本人に直接尋問する」
「えっ」
その間抜けな声は、果たして私のかお母さんのか、または両方のか、判断できなかった。
※※※
「ふへー、疲れたぁ」
ばすん、と音を立てたベッドに倒れ込む。
ほぼ初対面の連中と丸一日同じ空間で過ごすのは、交流せずともまともに体力が
僕の惨めな疲労体を、机の縁に腰掛けた小人が見下ろしてる。
今日は黄緑のワンピース。そして足には黒を基調に緑の線がいくつか刻まれたスニーカーのような靴。昨日買った人形から拝借したものだろう。
ワンピースにスニーカーは
「高校ってそんなに疲れるの?」
「高校が、っていうよりは初対面の集団がキツいんだよ」
顔を枕に
「お疲れのところ申し訳ないんだけど、ちょっと相談していい?」
「相談?」
自分のバタ足に視線を切り替え、僅かに真剣な面持ちで言った。
これはただならぬ相談だろう、と息を呑んで内容に耳を傾ける。
「単刀直入に言って、茉由ちゃんが康平のことを怪しんでる」
茉由が?僕のことを?
思わず眉をひそめる。枕に顔の左半分を沈ませたままだが。
「多分、部屋の話し声が外に漏れたんだと思うの」
「ま、まさか、彩音のことがバレたのか!?」
「いやいや、まだ私に気付いたわけじゃないよ」
宥めるように両手を前で振る。華奢な腕がワンピースを弱く波打たせながら、
「ただ、誰かとお話ししてる、って睨んでるみたい」
「……アイツに疑われるのは厄介だな。妙に鋭いところがあるから」
どうしたものか、と唸り声をあげる。
現状、茉由が持っている情報は足りないが、とはいえ僕のごまかし方を誤るとより言及される恐れもある。
……ん?なんで僕、ごまかすなんて考えてるんだろう?別に部屋に閉じ籠って黙秘権を行使すればいいじゃないか。
まるで、アイツが直接尋ねてくると思ってるかのような……
「そういえば、茉由ちゃん最後に『直接尋問する』って言ってたから、気を付けてね」
「それを先に言えぇぇ!」
断末魔の如く叫び、ベッドから飛び起きると同時、ドアのノック音が部屋に響いた——。
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