2-12

「――待ってたの!!」

 自分でも驚くほどの大声を残して、全力で自室に駆け込む。

 そのままティッシュが重ねられた簡易ベッドに飛び込むと、そのまま顔をうずめる。

 呼吸が苦しい。でもそんなこと気にならないくらい、胸が苦しかった。


 自分の目の前に、康平がいる。少し歩けば、届く場所に。

 でも、届いてなかった。



 茉由ちゃんの話が本当なら、康平は今日、お隣の雪村 はるかさんと帰ってきた。2人きりで、仲睦まじく。

 私の方が雪村さんより近い場所にいるのに、ずっと遠くにいるような、そんな気分になった。

 康平が帰ってくるまで、ひたすらに彼の帰宅を切望した。その気持ちを紛らわすため、無意味に運動を重ねた。

 でも忘れられなかった。片時も頭から離れなかった。

 そんな風にこいねがっていたとき、一方で康平は雪村さんと仲良くしていた。それが悔しくて、悔しくて――


 ―――そうやって嫉妬してる自分が、腹立たしくて。


 理不尽なのは私だ。そんなこと考えるまでもない。

 康平には、好きな時に好きな人と好きなだけ話をする権利がある。それは、普遍で必然の権利。

 それなのに、私の自分勝手で怒って、想いも告げられなくて、単なる怒号に身を任せた。


 さっきの作戦を思いついたとき、密かに期待してしまった。

 上手くいけば、雪村さんへの嫉妬もなくなるのでは、と。


 結論としては、全くの逆効果だった。


 人形を放った後、康平は茉由ちゃんに追撃の言葉を浴びせた。そのおかげで、彼女は折れてくれた。

 よく考えれば、康平の言葉がなかったら、人形が現れたことを疑問視してクローゼットを覗かれた危険もあった。それを防いでくれたのは、やはり康平だった。

 再度、私は実感した。

 康平が守ってくれないと、私は所詮生き抜くことも困難なのだ。

 幾度も痛感してるが、こうして抗おうとしたから、より一層その感覚は増した。

 だが雪村さんは、何食わぬ顔で康平と平等に過ごせられる。

 康平は私に届いても、私からは届かない。どれだけ手を伸ばしても、近づく気配が微塵もない。


 許せなかった。

 一方的に自虐しといて、その怒りの矛先を、何の罪もない康平に向けた自分に、憤怒を覚えた。その憤怒ですら康平に投げつける自分を、許せなかった。

「……うっ」

 嗚咽が漏れる。辛うじてベッドに顔を沈め、壁の向こうにいる男に聞こえないように息を止める。

「なんで、届かないの……」


 

『どうしてみんな、離れていくの?』



 遠く、脳裏に木霊が響く。

 遥か過去の記憶の中、私が願ったこと。

 私の身元の行方を巡って、お父さんとお母さんが喧嘩をしていた。

 止めたかった。でも、止められなかった。

 その後悔は、私をいつまでも呪い続ける。

 届かない。どうして、届かないの?

 自問自答を繰り返す。あまりに生産性がなく、無慈悲な時間を無価値に浪費する。


 もし、届いたなら。


 仮定の話だ。どれだけ渇望しても、螺子ネジを巻いて時を巻き戻すすべはない。

 なら——未来の話ならどうだろう?

 両親に届かなかった手。今夜、康平にも届かなかった。果たして、金輪際届くことはないのだろうか。

 同じ失態を、繰り返していいのか。


「——いつか、届かせる」


 それしかない。本能が、そう嘆いている。

 時間はある。まだ彼と出会ってから、3日目を終えようとしてるだけ。

 散々、辛酸を舐めた。ただ一途に醜悪を積もらせた。

 でも、そんな辛い経験ができたのも、康平がいたから。

 なら、逆転の経験をするのも、可能でしょ?

 例え康平を頼らなくても、自分を信じ抜くことはできる。それを原動力に変えればいい。

 小人になって1年、いくつもの壁にぶつかってきた。だからこの障壁も、意地でも乗り越えてみせる。

 まるで、両親に背中を押される気分だった。

 あれだけ喧嘩してた2人は、いつも笑顔で送り出してくれた。


 ——私は知ってたよ。2人は、私のために喧嘩してたんだよね。

 ——でも喧嘩したら、届くものも手放してしまうかもしれない。

 ——もう手放したくないの。だから、康平の手を取るために……。



 ガチャ、と扉を開ける音が聞こえた。康平が廊下に出ようとしている。

 目的は分かっていた。彼の夕食の時間だ。

 背中を優しく押され、私は顔を持ち上げる。

「……ごはん、持ってきてよ」

 願いはただ1つ。

 向かい合って、話がしたかった。

 気持ちに整理がついた今、伝えるべきことは多い。

 でも、今夜すぐ全てを伝えるわけじゃない。

 まずは謝って、そこから他愛ない話をしよう。

 今夜はただ笑顔で食事を共有しよう。

 柔らかい気持ちになれば、今夜はおしまい。

 一歩一歩、丁寧に進んていけばいい。

 雪村さんに勝つため、という目標は、とにかく遠い。やはり届くのか、不安になる。

 だからこそ、重く一歩を進めることで、自分が近づいてることを強く意識できる。


 不遇を呪い、不遇を嘆き、不遇をよろこんだ。

 状況の好転に、康平の助力を求めてはいけない。

 雪村さんとの対決——というのは建前で、本当の敵は私自身。

 もし勝てれば、その時は康平に届くはず―――



※※※




 その夜。

 私は、普段通りに夕食を摂った。

 いつもと違うのは———目の前で、一緒にクッキーを頬張る康平がいること。


 全てを伝えることはなかった。でも、最低限伝えるべきことは告げた。

 葛藤の真意も、両親と馳せた想いも、今はまだ私だけの秘密。

 いつか伝えるべき日の自分に、託しておこう。

 その小さな秘密が、私を彩るのだから。

 その彩りを糧に、康平に届いてみせる。

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身長15センチの彼女 木板 実 @Minoru_kiita

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