2-7
周囲に連ねる家を見下げながら、私は大きな口で欠伸を盛大に露呈する。
首を上に向けると、ちょうど頭の真上に世界の光源が煌めいている。
「たまには、こうして外に出るのもいいなぁ……」
私の気の抜けた声が、草津家の屋根上で、風と共に消える。
雲一つない快晴を仰ぎ見ながら、ゆっくり背中を屋根に付ける。両手を頭の後ろで組み、深々と深呼吸を繰り返す。
なんて、気持ちいいんだろう……。
表情が緩み、体温が周囲の気温と共にぽかぽかと温まる。恐るべし春の陽気。
ついうたた寝してしまいそうだが、昨夜ぐっすり寝たためか、眠気が襲ってくる気配はない。
呑気に鼻唄を弾ませながら、眼を閉じると瞼の裏には彼の姿が浮かび上がる。
昨日知ってしまった草津家の秘密。それが頭から離れず、今思い出しても少し驚愕を表情に漏らしてしまう。
比較的常識の欠けた私ですら阿鼻叫喚してしまうのだから、果たして彼のクラスメイトはどんな反応をみせるのか。
どうか、面倒くさく言及されることだけはありませんように。
遠く、学校で頑張っているであろう康平に、心の中で祈りを送る。
柔らかな春風が、この祈りを届けてくれると信じて。
※※※
「ねぇ、あれホント?」「流石に、ねぇ……」「すげぇよな……」
授業終了を告げるチャイムの直後、クラス中が騒めきに包まれた。お前らもうそんな仲良くなったのか。
その全員の言葉の矛先には、僕がいる。
男女の壁はあるものの、みんなが繋がるきっかけを与えられたのは嬉しい。夢中になって会話をしていて、いやぁ結構結構。
「――なんて、自分をごまかせるのも限界あるな……」
この騒動を起こした原因であるプリントは、すでに机の奥底に捻じ込んだ。自らを呪い殺す気概も込めて。
少し気を抜くと、昨日の彩音の忠告が脳裏を
見事に彩音の予想通りになってしまった。彼女にはこのことを隠さなくては。
きっかけはさっきの授業。プリントを用いてのクラス内交流を図った担任の朝倉先生の指示で、みんな昨日のうちに例の『自己紹介カード』なる紙を書き込んできた。そしてそれを自分の机に置き、みんなが教室内を移動して内容を見回る、という典型的なもの。
僕も興味半分に見て回っていたが、ふと、ある座席に生徒が集中しているのに気付いた。
注視すれば、それが僕の席であることはすぐ分かった。
その後、先生が「ちゃんと全員のやつ丁寧に見ろよ〜」と声掛けしてくれたおかげで、チラホラと集合を崩し始めたものの、そのお陰で逆に彼らの好奇心は昂まったらしい。
そして今の悲惨な状況に至る。
見れば、教室の隅ではるかが、近くの席の女子と似たような話をしており、相手の女子はチラチラ僕を流し見るのに、はるかは軽く目を逸らして苦笑いしている。
――完全に孤立した。
どうにか無心になろうと、机から読みかけの小説を取り出し、栞の挟まれたページを開く。どこまで読んだか思い出そうと、文章に視線を走らせると、
「ねぇ草津君、ちょっといい?」
今朝と同様、正面から呼ばれる。今回は男の低音ではなく、女子の軽い声だ。
「見て分かんない?読書中なんだけど」
と拒絶することも出来るが、そうするといよいよ最悪の高校生活になってしまう。
ゆっくり目線を上昇させると、その女子はもじもじと両手を腰の前で捏ね回していた。
視線を合わせたり逸らしたりを繰り返し、なかなか口を開かない。
「あの……なにか用ですか?」
「あ!いや、そのぉ……」
確か名前は
僕の2つ前の席のはずだが、間の席の人はどこにいったのか。
「あのっ!」
思考の方向性を勝手に切り替えていたが、突拍子のない呼び声に意識を戻される。
ばんっ!と大きな音を立てて両手を机に突く。目は力一杯に開け、息は荒く、頬は熱を持って赤らんでいる。
ふと周囲の視線が濃くなった気がしたが、木下があんな大きな音を響かせれば、そりゃみんなびっくりして見ちゃうよな。
クラスの注目なんて気にも留める気配のない噂好き女子は、構わず本能のままに質問をぶつけてくる。
「草津君の親御さん、同時に宝くじ1等2等を当てたって、ほんと!?」
※※※
屋根で寛ぐのもそこそこに部屋に戻った私は、お昼ご飯のクッキー(昨日康平が持ってきてくれたやつの残り)を一人楽しく頬張りながら、昨夜康平に問い
『数年前、両親が2人同時に宝くじを当てた』
彼が『誰にも言えない秘密』の回答欄に記入したのは、そんな唐突なものだった。
驚きを中心とした様々な感情の波に打ち
そして就寝前、翌日の準備をスクールバッグに運ぶ康平に、さらなる詳細と展開を尋ねてしまった。
「おかげで豪遊街道まっしぐらだったんだけど、誠実に貯金する道を選んだみたいだよ」
「そ、そうよね。この家も普通の一般家庭っぽいし……」
「うん。まぁ、代わりに両親は仕事を辞めたけどね」
「…………ん?」
一切表情を変えることなく、忙しなく準備を継続する康平。
「なんせ余生を無職で謳歌できるだけの大金が流れ込んできたからね。父さんも母さんも別の中小企業で働いていたんだけど、躊躇いなく辞めていったから、それはそれは清々しかったよ」
―――――。
「僕には事後報告だったし、当時小学生だったから、能天気に応答してたけど……今思えば、相当クレイジーな行動だったなぁ」
「……ご両親、いろいろ濃すぎない?」
子供が真似るほど弁が立ち、宝くじの大当たりを2人で一緒に
頭の悪い中学生が考えそうな人生設計を、康平の両親は歩んでいる。
対照的に、康平や茉由ちゃんは特別風変りな姿勢が見当たらない。お母さんとは面と向かって話したことはないし、そもそもお父さんは声を聴いたことすらない。
「って、ほんと康平のお父さん見かけないよね?家に帰ってるの?」
「あれ、言ってなかったっけ?父さん、世界を旅してんだよ」
「また強烈なパンチが飛んできた」
いよいよ脳内にお花畑が広がってるのでは、と疑いたくなる。それも宝くじが原因なのだろうか。
「なんか小さい頃からの夢だったらしいよ。気球に乗って世界を旅するのが。勿論、現代は気球で海を越えるのは不可能だから、現実的な手段で国境を跨いでるけどね」
「現実的な方法で非現実な行動してる……」
私の存在くらいツッコミ所満載なお父さんだが、単に自分のやりたいことを実現しているだけ、と言われたらそこまでだ。
お父さんへの論及は一度目を瞑るとして、問題はやはり……
「でもさ、あの秘密をみんなに知られちゃったら、やっぱ注目されちゃうんじゃない?」
全員が食い気味に言及することはないだろうけど、数人が寄ってくる可能性はある。
しかし私の懸念は、昼と同様に軽く受け流されてしまう。
「そんときはそんときだよ。流石に初対面でがっついてくることは無いでしょ」
微苦笑を溢して、康平はベッドへ移動した。道中、僅か2歩分だけ背を向けていたが、その背中は堂々としてる気がした。
それを見て、私はそれ以上の追及を諦めた。
その判断が、正しかったのか間違っていたのか——
※※※
「し、しかも、2人とも無職!?」
大声で、木下が騒ぎ散らかす。おかげで、クラスの喧騒がより濃くなる。はるかは最早頭を抱えて
冗談半分に聞き流されるか、調子付いた男子が友好の証(?)に食いついてくるか、という程度だと考えていたが、まさかこんなミーハーがいたとは。
「ご両親、無双してるね……ってことは、豪邸に住んでるの?」
「いや?みんなと同じような普通の家だよ」
何せ、お金の大半は父さんが世界にばら撒いてるからな。家を新調する余裕なんて持ち合わせていない。
だが、父さんの世界旅行のことはみんなに隠しておこう。この段階でこれだけ急接近してくるのだから、それを知られたらいよいよ僕が持たなくなるかもしれない。
それも含め、今は目の前のミーハー娘を捌かないと……
「ねぇ草津くん!もっと詳しく聞かせてよ!」
「ちょ、馴れ馴れしすぎるだろ……」
というか顔が近い!!
その後、次の授業が始まるまでの5分ほど、木下からの追及が止むことはなかった。
脳内の奥深くで、彩音が僕を指さして笑ってるような気がした。
どうやら、昨日の彼女は図星を的確に突いていたようだ。
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