第14話 温もりを感じたいとき

「ははははは」


 なぜか喉からかすれた笑い声が飛び出した。右腕で必死に体をまさぐるものの、あるはずのものにまったく触れられない。


「ははははは」

「ちょっと……何やってんの。アンタ服着てないんだから、その、見ててちょっと引くわ」

「キモイか?」

「キモイ。ちょっともういいでしょ、ペチペチ自分を叩かないで。お願い」


 マルタは露骨に顔をしかめた。そしてなぜかエリーを守るように上半身を曲げ、エリーの閉じた瞼の上にその手を重ねた。

 きっとエリーが目覚めた時に俺の醜態を見せないようにするためだろう。優しいやつめ。


「マジで無い。――ま、まずいぞ。お、俺はあれがないと気が変になるんだ!!」

「え? 逆でしょあんなのやってるからアンタ変なのよ」

「俺はまともだ! 今日も朝一にキメたから、な」

「……そう」


 マルタは小さくそう呟くと何かを諦めた顔をした。


「こんなに反省するのは生まれて初めて」

「?」

「あぁ、うん、分からないでいいわ。――丁度いいじゃない、これを機に薬物から足を洗えば?」

「馬鹿! 俺の存在意義にも関わってくるんだぞ!」


 あれがないと俺は5歳児にも劣る。


 ――国から見放されちゃうだろーが!


「……触媒なんて他にもあるでしょ」


 はるか空の星の光がこの世界に魔力を降り注いでいる。それは万物に宿りそれぞれの許容量を超えるまで蓄積される。

 だから確かに他にも触媒になり得る物はあるが、俺はあれじゃないと……。


「それこそアンタ、魔人と仲良いんだからあいつらの使ってる触媒を使えばいいじゃない」

「ふざけるな」


 ――魔人の触媒を使えだと?


「その意味を理解しているのか?」

「えっ……その……」


 マルタの目が泳いでいる。彼女にとって今の俺の行動は理外の出来事だったのだろうか。それとも初めて会った時とは比べ物にならないほどの剣幕に、さすがの彼女も怯んだのか。

 しばらく待ってみたが返事はない。


 ――まさか本当に知らないのか? それとも……。


「まぁいい。――それだけはあり得ん」

「な、なんでよ?」

「ブリタンで直接理解するといい。俺からは以上だ」


 マルタはそうした方がいい。きっと彼女自身の目で肌でそれを感じなければ、彼女は本当の理解をしてくれない。そんな気がした。

 俺が真剣である事が伝わったのだろう、マルタはそれ以上突っ込んでこなかった。


 ――体が震えてきた。


 体内のヤクが切れてきているのだ。このままブリタンについてしまったら、パンイチで小刻みに震え続けるヤバいやつとしか思われないのではないか。


「これは、マズイ。――へっくしょいっ!」

「あ……。やっぱり寒いんじゃない!」

「いやこれはヤクが……」

「んな訳無いでしょ! さっさとこっち来なさいよ意地っ張り!」


 マルタに急に腕を掴まれて引き寄せられる。抵抗する間もないまま俺は彼女の隣、肌が触れる距離。背中の半分に毛布が被される。


「おお、ぬくい」

「アンタこうまでしないと言う事聞かないんだから」

「俺が入るとお前が包まれないだろう。それを心配してやったわけだ」


 先ほどまで完全に包まれていた彼女の上半身は、正面を開けられて吹く風に当てられている。


「ばーか」


 そう言ってマルタはそっぽを向いた。


「分かる? 人肌のが温かいのよ」

「なるほど、だからエリーも膝の上に乗せているわけか」


 さすがマルタ。俺には到底思いつかないような事を考えている。


「……ばーか。アンタやっぱり変よ」


 どこか虚無を見つめる顔を見せたかと思うと、マルタは目を閉じて何も言わなくなった。

 どうにもマルタの様子がさっきからおかしい。


 ――まさか……。


「俺に惚れたか?」

「馬鹿。なんでそうなるのよ」

「違うか」

「はぁ、冗談でも止してよね」

 

 マルタは呆れた顔で俺を見ると、ぽつりぽつりと話し始めた。


「……あたし、誰かと何かするのって初めてなの――」


 ――小さい頃からいつも一人で遊んでた。

 王宮には話の合う人なんていないし、お父様もお母様も忙しそうだったから。

 お姉さまたち? ……あの人たちは論外よ。普段は顔を合わせることもないわ。

 とにかく、あたしはいつも一人で遊んでた。

 王宮の中でも外でもそっちのが楽しかった。

 それに、何か研究するにしろ、誰かに教えてもらうより一人でやる方が効率が良かった。……専門家なんて言っても何も知らないヤツばかりだった。質問しても答えられない奴等に頼るより、あたしが調べたほうが早い。

 ――そう。あたしは、一人で居る方が何をするにもやりやすかった。

 ……でも一回だけ誰かを頼ったことがあったわ。

 あたしが誕生日に花を探しに行った話。何故か有名になったから知ってるでしょ?

 あれ。そう、それよ。あれね、協力してくれた人がいたの。

 あたしに送られるプレゼントの山の中に差出人不明の物が紛れ込んでて、その中に透明化の薬が入ってた。

 おかげ様で、良いサプライズが出来たわ。誰だか知らないけど感謝してる。


「――そっか。ならあたし、誰かと何かしたことがないわけじゃない。誰かと一緒に行動したことが無いのね」


 そう言うとマルタは俯いて、続ける。


「でも、できると思ってた」

「できる?」

「うん、――」


 その時、不躾な光が瞬いてマルタの開きかけた口を閉まった。


「証拠品だぁ」


 俺たちの乗る籠の横を併走してクルミが生身で飛んでいた。その目にはゴーグルを掛けて手にはカメラを持っている。


「へー。珍しい物持ってるじゃない」

「あ〜、スキャンダじゃまだ流通してないんだっけ? 航空隊はみんな渡されてるんだよね〜」


 クルミがマルタの言葉に答えた。


「たしかダゲレオタイプだったか?」


 俺がそう聞くとクルミは疑問符を顔に浮かべる。


「なにそれ? 古い型? これはポラロイドカメラっていうらしいよ〜?」


 彼女がそう言う間にカメラから写真が吐き出された。


「へー! すぐ出てくるのね!! どうなってるのかしら!? ――ていうか証拠品ってなによ?」


 マルタが不思議そうな顔をして聞くと、クルミはふくれっ面をした。


「ブリタンに通信したら、いま忙しいから入島時の手続きをそっちで進めといてくれって……。それでね〜、お兄ちゃんいま怒られてるんだ〜! 怒られるのはイヤだよ!」


 ――さてはこいつアモンを置いて逃げてきたな。


「それなら証拠品じゃなくて、ただの証明写真だろ」

「証拠品だよ。だってそんなに密着して――」

「ちょっと寒いのよ」


 マルタがクルミの言葉を遮るように言う。


「風邪引いちゃうでしょ」

「……へー。人間さんっていいね――」


 クルミは人差し指を唇にあてて、物欲しそうな声を出した。


「――そろそろ魔力が勿体ないから飛ぶのやめるね〜。あっ、もうブリタンの領空だからそろそろ島が見えてくるよ」

「来たわね!! 望遠鏡貸して!」


 それを聞くなりマルタはエリーを起こさないようにゆっくりと立ち上がり毛布から抜け出して、回るプロペラの先を望む。

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