第22話 王女の冒険 ③

 チョコの後ろに付いて通りを歩いている間、マルタは自分に視線が集まっているのを感じていた。右を行く人も左を行く人も、街灯の下で睦まじくしていた男女さえ、物珍しそうに顔を向けてくるので気が気でない。


 ――大丈夫大丈夫、バレてはないはず。だってチョコも珍しいって言ってたし。


 魔人の制服を着ている人間というだけでも、きっとそうなのだ。ズボンを持ち上げる手に力が入る。加えてこの大きさ何だから目立つのはしかたない。

 せめて少しはやれることをと考えて、その顔を隠すために額と鼻をチョコの背中にくっつける。すると甘いような苦いようなチョコ独特の香りがした。マルタは思わず肺を一杯にするような深呼吸をする。

 そのティーシャツを吸われるような感触にチョコが言う。


「なに? もしかして、私の服で鼻かんだりしてないよね」

「してないわよ。あんたからすごい匂いするから、それでちょっと、気になっただけ」

「えっ? そんな臭う?」

「そうね。だいぶ匂うわ。チョコの匂いが」


 マルタがすんすんと鼻を鳴らす。どこかクセになりそうな不思議な香りだ。

 チョコが言う。


「そんな臭わんでよ。恥ずいし、そんなに顔くっつけんくても」

「ごめん無理」


 顔を隠すためにはくっついていないと。だからこれは不可抗力だとマルタは思う。


「……部屋干しがまずかったか」


 チョコが苦笑いして、そして二人でのんびり歩いていく。



 そして左右に露店が立ち並ぶ通りまで来た。ここは夜中の露店ということもあって街灯が多い。

 前より明るい通りに入ったので、マルタはより深くチョコの背中に顔をうずめた。顔中にチョコの匂いが広がるような感じがして、気分が良い。マルタはこの匂いを気に入っていた。

 背中のマルタが見ているか確認もしないまま、チョコは街並を指差して案内を始める。


「ここが市場〜。そこの食器屋は主人の趣味で作ってて高品質、オススメ。でも持ってく時は褒めたげて、じゃないと怒られるよ。そこの野菜屋は輸入品を扱ってて、ルクスとかイベリアとか、スキャンダのもあるね。お野菜の見分け方とか分かる? 分からないなら大将に聞いて、ちょっとウザいけど分かりやすく良いの選んでくれる。そんで……」

「……ふーん」


 チョコの言う店は分からないが、マルタはその話をしっかり聞きながら横目でチラチラと市場を観察していた。

 陽気と活気がある。店頭で物色している魔人は笑顔で店の主人と話しているし、人通りも多く賑やかな雰囲気が満ちている。今が夜だと考えると昼はもっと人が多いか。いや、少なくなるのか。黒の制服を着た魔人が見えた。仕事終わりにここに寄ったのだろう。

 しかし、ここにいる皆が店の品々に夢中だからだろうか、通ってきた道より人が多いにも関わらず自分に向けられる視線が少ない。それがチョコの匂いと相まってマルタの張り詰めていた気をほぐした。

 そしてホッと一息つくとマルタはふと思いついた。


 ――変ね。


「みんな元気なのね」

「ここはいっつもこんな感じ。……なんかトゲあんね、どしたん?」


 チョコがマルタに横顔だけ振り返った。しかしマルタの肩が見えるだけで、彼女からその様子はうかがい知れない。

 マルタが答える。


「昨日の深夜、そう、まだ今日の話よ――」


 ――グゥゥゥゥ……。

 マルタのお腹から声がした。彼女は小さく驚いて、顔を赤く染める。


「……そういえばご飯がまだだったわ」


 気づくと急にお腹が減りだしてたまらない。頬がこけたような気さえする。


「そんなに長いこと食べてなかったん!? そりゃ不機嫌になるね! おいで! とりあえずご飯食べよ!」


 チョコはそう言ってマルタの手を強く引いた。向かう先は料理屋か。露店の並ぶ通りの外れへ連れて行こうとしている。


「まって! そうじゃない! ――ちょっ、ゆっくり歩いて!!」


 ――顔が離れる!!


 チョコはすっかり慌てた様子で、マルタの声が聞こえていない。マルタはそんな彼女の背中を必死になって追いかける。密着していなければ、顔が剥き出しになる。それはどうしても避けたかった。


「あっ、ごめんごめん。落ち着いて行こう……。ズボン落ちちゃうもんね、そうだよね」


 チョコがそう自分に言い聞かすとマルタに合わせて歩き出す。行き先は変わらず露店の外れ。


「ホントそれ。頼むわよ……」


 ――忘れてたーー!!


 マルタはグッとズボンを引き上げる。自分の着ている衣服のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。何かに思考が寄ると夢中になって、別の何かを取りこぼすのだ。気をつけているのだけど、直すにはまだまだ時間がいりそうだ。

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