第21話 王女の冒険 ②

 その魔人は手に持った氷菓子を口に咥えて、顔だけをマルタに向けて路地裏の入り口に立っていた。

 今が肌寒い季節にも関わらず、やけに動きやすい格好をした魔人だった。白いハーフパンツに、上はいくつか文字列の書かれた黒のティーシャツを着て、ツノは小さいのが一本、短めの黒髪を分けておデコの上辺りから生えている。

 その胸の膨らみから女性であるとマルタは気付いた。二十歳そこそこだろうか。すると自分の胸に打ち鳴らされていた動悸が少し収まるのを感じて、慌てて気を引き締め直す。放っておいてもずり落ちるズボンを手で持ち上げて、ブカブカの上着はボタンを全部閉めてもその隙間から肌が見えるほど大きい。だから女の人で良かった。こんな格好、男の人に見られるよりマシだな。なんて思ってる場合じゃない。


 ――まだ安心する時間じゃないわよアタシ!


 自然と手に力が入り、握る衣服にシワが入った。

 それを見て、魔人が興味深そうな顔をした。


「へー、珍しいね。――私らの制服着たかったん?」


 そう言ってマルタに体を向けると、ゆっくりと近づいてくる。実際にはスタスタと軽快に歩いてきているのだが、余裕のないマルタにはそう見えた。


 ――あぁぁぁ!! どーしよ!?


 じりじりすり足で後ろに下がる。するとズボンがずり落ちて、持ち上げると同時に踵が裾を踏んづけた。


「きゃっ」

「おっと」


 仰向けに転びそうになったマルタの手を引いて、魔人が彼女を抱き締めた。


「ケガない? ……お」

「だ、大丈夫。……あ」


 僅かな沈黙の時が流れる。魔人が持っていた氷菓子が抱き締めた弾みでマルタの背中を濡らしていた。しかしそんなことよりも、さっきまでマルタの手で引き上げられていたズボンが、今は二人の足元に転がっていることの方が問題だった。

 二人の視線はマルタの下半身に釘付けとなった。


「っ――」


 マルタが声にならない叫びを上げる。それにハッとした魔人が何も言わずにサッとズボンを拾い上げ、マルタの露出した股間にあてがうと顔を横にそらして一言。


「見てない」


 大ウソをついた。

 マルタは魔人の手からズボンを奪い取ると、片足ずつ履こうとして、止めた。そして飛び跳ねるようにして両足を同時にズボンに入れた。すぐさまベルト通しに指を引っ掛けて引き上げる。

 

「おお、早着替え」

「……」


 その様子を横目で覗いていた魔人をマルタが睨む。最後まで見てない素振りをしてくれれば良かったのに。

 マルタの睨みは魔人に効いていないようで、さっきの気遣いがまるで嘘だったかのような軽薄さで彼女は言った。


「サイズヤバ」

「うっさいわね! 分かってるわよそんなこと!」

「っと、そんな泣かんくても。とりあえず付いてきなよ、ちゃんとしたの見繕ってあげる――どこから盗ってきたんそれ?」


 どうやら制服を盗んだことはバレバレで、しかしそれを責める気は無いようだ。マルタはしばし考える。魔人が口にした事に嘘はない、と聞くが、果たして実際どうなのか。そうだ、さっき「見てない」と嘘をつかれたではないか。ならこの話は真実ではない。


 ――てことは、アタシがアタシだと知らないフリしてる可能性がある。


「……そこの集合住宅の一階の、あの部屋」


 それでも、マルタはとりあえず彼女に従ってみることにした。この服装のままブリタンを歩くのは無理があるし、虎口に飛び込んでみるのも面白そうだ。


 ――虎穴に入らずんば虎子を得ず! だっけ? 虎って何か知らないけど!!


「おぉ、マジか〜あそこは私一人じゃ荷が重いな。後で一緒に返しに行こう。――私チョコ」


 そう言って魔人はマルタに手を差し伸べた。

 マルタが応える。


「マリーよ。……チョコってあのチョコ?」

「そう、あのチョコ。食べたことある?」

「えーと、ううん。聞いたことがあるだけ」


 マルタは嘘をついた。チョコは邪神に奪われた向こうの大陸にしか生息していなかった木の実から作られる。大陸コナータでも栽培されているものの、数は少なく質も低い。よって希少価値が高く、平民が口にできるような食品ではない。

 しかし王族である彼女は何度かチョコを食べたことがある。

 マルタは、あくまで平民の、ちょっと好奇心の強い子であるとした。だから嘘をつくことにした。

 マルタの嘘に、チョコは笑った。食べたことがない、と聞いたのがよほど嬉しかったのか、にやにやが止まらない口元を握手していない方の手で隠した。今は無くなった氷菓子の刺さっていた木の棒が「当たり」をマルタに向けている。

 それを見てマルタは気分を害した。


「なによ? チョコを食べたことがないのがそんなに面白い? ヤな性格してるわね」

「あーごめんごめん。ちがうんよ。チョコってな、めっちゃ美味しくてな。だから初めて食べる人を眺めるのが好きなの」

「……どういうこと?」

「服、ちゃんとしたらご馳走するってこと。私の家にいっぱいあんだよね、チョコ。――じゃあ行こうか」


 チョコが握手したままの手を引いて表通りに出る。マルタはもう一方の手でズボンを持ち上げて、彼女の後ろに隠れピタリとついていくのだった。

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