第23話 王女の冒険 ④

「こんばんはー。その、持ち帰りできます?」

「いいよ。袋に包んであげよう」


 料理屋の入り口から少し入ったところで、マルタの手を引いたチョコと店主らしき人物が話しだす。彼は頭髪をカラフルな布で覆い隠し、白い前掛けを着けている。その皺の付いた顔にはシミも浮かんでいて、相等長い年月を生きてきたのだと分かる。

 布で隠されてツノが見えないが、楽しげに振られている細い尻尾を見るに魔人だろうから少なくとも100歳以上か。とマルタは推測する。彼らの見た目がなかなか変わらないというのを彼女は知っていた。


「……」


 マルタは店主から見えないようにチョコの背中に隠れ、辺りの様子をうかがう。

 店の中は一見するとレストランのようだ。イスとテーブルが等間隔に並べられ、今もそのうちのいくつかが埋まっている。灰色の壁には絵画らしきものが掛けられてその味気なさに花を添えている。

 しかし厨房の方に目をやるとその奥、奇妙なことに部屋があった。生活感丸出しの部屋が壁や幕などの仕切りもなく、剥き出しのままそこにあった。厨房から地続きで、ベッドやらタンスやらがあるその部屋まで繋がっていた。


 ――店主の部屋かしらね。


 何にしてもおかしな造りで、これでは私生活が丸見えである。彼らはそういうことを気にしないのだろうか。


「何か気になることでも?」

「きゃっ!」


 壁からひょっこり現れるように、チョコ越しに店主の頭が飛び出してきたのでマルタが悲鳴を上げた。店主のその顔には楽しくてしょうがないといった笑みが咲いている。皺のある顔をさらにクシャクシャにした強烈な笑顔だ。

 ドクドクと早鐘を鳴らす胸を呼吸で落ち着かせてマルタが言う。


「ふう、心臓に悪いわ」

「おお、確かに。――でも大丈夫。寿命が縮んだりはしない、ありゃ迷信だ。安心してくれて良い」

「は? ……何言ってんの?」


 おかしな返答に笑うこともなくマルタはただ呆気にとられた。ビックリさせてすまないとか、イタズラが過ぎたとか、謝られるものとばかり思っていたのに。

 そんなマルタの心中など知らず店主が続ける。


「驚きは体に良いのさ。知ってたかな?」


 ――いきなりなんなの? なにこれ?


 そう思ってチラリとチョコを見ると頷かれてしまう。ただし苦笑いだった。どうやら助けは求められそうにない。

 「何言ってんのアンタ?」といつもなら突っぱねる所なのだが、今は騒ぎを起こしたくない。

 マルタは渋々、店主に答えることにした。


「知らない」

「それは良い! さてお嬢さん、君はどんな時に驚いてしまうかな?」

「……。そうね、さっきみたいに死角から人の顔が飛び出てきた時とかかしら」

「そうだね。君はさっきとても驚いていた」

 

 店主は両腕を組んでウンウンと笑顔のまま頷いた。それにマルタの眉がピクリと動いて、それを見たチョコが繋いでいない方の手を彼女の肩に乗せて落ち着かせる。いつの間にかマルタはチョコの正面に立たされていたのだが、しかしマルタは気付いていない。


 ――コイツ!! 馬鹿にしてんの!?


 彼女は周りの目など気にならないくらい、怒り心頭の中にいた。それでも騒ぎを起こしてはダメだという意識だけは残っていて、口から弾けとんでいきそうな烈火の言葉をかろうじて抑えつけている。普段ならこんなことでここまで怒りを覚えたりしないのだが、今の彼女は彼女が思うより疲弊していた。

 そんなマルタに店主が油を注ぐ。


「そう! 今の君みたいに、普通、驚きは怒りや不安を生む。いや、その前段階だと言っていいね。驚きは、怒りや不安の感情を抱く準備段階。または、怒りや不安をそれと理解する前の感情といえる」

「はぁ? だから?」

「そうそう! やっぱりだ! さっきの君の驚きは怒りだったという訳だね!」

「――ッアンタ」

「マリーちゃん、どうどう」


 チョコがマルタの肩を撫でる。しかし効果はなかった。烈火が飛び出る。


「アンタねぇ! 大人しく聞いといてあげたけどさっきから何なのよ! なーにが驚きは体に良いのさ、よ! ワケ分かんないこと言って結局君の驚きは怒りってフザケてるわけ!? アンタのせいでムカムカして体に悪いわよ!! ねぇケンカ売ってる!? 買ったるわよ!?」

「あぁぁぁぁマリーちゃん、おちつ、おちついて……」

「もう落ち着いてらんないわ!! とりあえず一発殴らせて! おっぱじめましょ!」

「みんな見てるから、ほら」


 「あ」と小さく喉を鳴らしてマルタは気付いた。ここのいる全ての人が彼女と店主の様子に注目していることに。そしていつの間にかチョコという壁から自分が表に出ていることに。


 ――あ、しかも殴ったらモロ見えね。


 そしてしぼむ様に落ち着きを取り戻す。殴るならチョコと繋いでいる手を離して殴ればいいのだが、彼女はそれを思いつかず、ただ体に重くのしかかるような疲れを感じて自分が平常でないと理解した。

 そんなマルタとは対照的に、店主は変わらない笑顔で続ける。


「この驚きは何だろうね」

「……ここまでいくとすごいわね。――チョコ、ご飯はいいわ、もう行きましょ。やっぱり先に服をどうにかしなきゃ」

「もうご飯貰ったよ? 食べながら行こ」

「え?」


 マルタが振り返ると、チョコの尻尾がパンパンに膨らんだ紙袋を掴んでいる。


「いつの間に。え、ならなんでこんなヤツと話させたの」

「ぜひ話をさせてくれって言われて……まさかこんなことになるとは思わんかったよ」


 そして申し訳なさそうに眉を伏せた彼女をマルタは許した。自分と話し出す前の店主は人の良さそうな人物に見えたし、本当にまさかだったのだろう。

 店主が言う。


「行くのかい? まだまだ話足りないのだけど」

「行くわ。次からそういう話は相手を選んでしなさい。例えばカカシとかオススメよ。どんなツマラナイ話でも最後まで聞いてくれるわ」


 そう言ってマルタはチョコの後ろに隠れた。店主はそれに気を悪くするどころか、むしろ笑みを深めた。

 チョコが言う。


「すみませんけどそういうことで。どーもです!」

「はいよ。またおいで」


 そしてマルタとチョコは店を出た。マルタは来た時と同じようにチョコに手を引かれてその後ろを歩く。すると店主からの視線を背中に感じて、なので意識して振り返らないようにして心の中で呟いた。


 ――二度と来ないわ!!




 その見えなくなった背中に、皺をより深くして店主が呟く。


「怒りと不安のない驚きは好奇心を生む。――だからここに来たんだろう?」



 マルタは結局、道の脇に立ち止まって食べることにした。歩きながら食べるのではチョコの背中に隠れられないし、繋いでいた手を食事の為に離してしまうと未だ人通りの多いこの市場で離れ離れになってしまうかもしれないと考えた。

 街灯が誰もいない地面を照らしている。目立つのを避けるため、それと夜の闇とが交わる境に二人立ち止まり、そしてチョコが袋から店主からの頂き物を取り出した。


「……え」


 良く知る料理に、マルタが目を丸くした。

 それはスキャンダの家庭料理、白身魚をベースにした生地をバターで焼き上げたものだった。


「フィスクカーケ……」

「なにこれ? あ、美味しい」


 不思議なものを見る目をしてチョコはすぐに一口食んだ。どうやらこれが何処の何という料理か知らないようで、とりあえずマルタは安心する。


 ――よかった。知っててこれにしたのかと思った。……。


「ねぇ、さっきの店はスキャンダ料理の店なの?」

「んー? 違うよ創作料理ばっかの店。お口につまめる物を頼んだらこれだったんだけど、これってスキャンダの料理なん?」


 スゥっと肝が冷えるのを感じてマルタは息を飲んだ。偶然か、それとも、知ってこれを提供したのか。

 不意に夜風が冷たく自分をあしらって、未だざわつく市場へ逃げていくのをマルタは見送った。


「アイツ、なんなの?」

「あーごめん。その、確かに変だったけど、いつもはちゃんとした人なんよ」

「ちがうの、そうじゃなくて」

「――あ、マリーちゃん見てこれ」


 そう言ってチョコが袋の奥から取り出したのは、一枚の封筒。


「小さなお嬢さんへだって」


 チョコが封筒に書かれた文字を読んでそれをマルタに手渡した。

 マルタは一切逡巡せずに口で封を開け、中身を取り出した。それは大きな一枚の、折り畳まれた紙だった。片手でそれを広げるのが難しかったので、チョコに言って広げてもらう。

 バサっとチョコが広げると、二人の間に巨紙が壁を作った。


「おぉー。これブリタリスの地図だ。しかもめっちゃ最新。――あれ? なんか丸されてる」


 表を見たチョコがそう言う。対して、マルタが見たのは白紙にデカデカと書かれたメッセージ。


『私はおしゃべりだが、余計な事は口にしない。昼はにいるから、もっと驚きたいならおいで』


「……」

「マリーちゃん?」


 チョコが地図を縦に折り曲げて、やけに静かになったマルタに問い掛けた。

 マルタは震えていた。彼女自身、それに気付いていた。それがなんであるか、どういう感情がそうさせるのか、すべて理解した上で彼女は宣言する。


「面白いじゃない! あの言葉は訂正するわ! カカシなんかじゃ役不足よ!」

「えっ、ちょ、マリーちゃん?」

「ちょうだい!」


 握るズボンがジットリ湿っている。手汗が止まらない。だから、口をあんぐりと開けた。

 戸惑いながらもチョコが答える。


「えっ? 地図? あ、ご飯の方ね。はいどうぞ」


 そして袋をよこしたチョコに、マルタが言う。


「ちがうわ! 口に放り込んで!」

「え、自分で食わんの? ていうかアーンしていいん?」

「ドンと来なさい!」

「おお? まあいいや。あ~ん……ちょっ、食べ方!? めっちゃガッツクね!? ――なんかほんとに餌付けしてるみたい」


 ――絶対に行くわ! 待ってなさい!


 食べかすを盛大に溢しながらマルタはそうやって自分を奮い立たせる。

 しかし今からあの店に戻って彼と話をする、なんて勇気はとても湧いてこないのだった。

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邪神討伐~おてんば姫とヤク中将軍~ 幸 石木 @miyuki-sekiboku

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