第17話 彼の大きな欠点

「きゃぁぁぁぁぁ!」


 一番に叫んだのはエリーだった。彼女は頬に手をあて、まじまじと俺の股間を覗いている。

 背後のプロペラ機から声がする。


「なに? ッキャー!! お兄ちゃん! やっぱりあの人たち変態だよぉ!」

「見るなクルミ!!」


 基地に降り立ってからというもの、魔人兄妹は操縦席に引き篭もっていた。そうして隠れていればこれ以上怒られずに済むと思っていたのだろうが、エリーの声に反応してしまったようだ。

 周りの魔人たちも異変に気づき始めた。

 ある者は叫び、ある者は目を逸らし、ある者は興味深そうに頷いている。そしてある者は慌ててこちらに、いやエリーに駆け出している。


「え!? な、なんでしゅかあなたたちは! そこに立たれると見えましぇん!!」

「君! 危ないからこっちに来るんだ!」

「えっ? えっ!?」


 そしてエリーを攫っていった。無理もない。

 エリーの隣に立っていた魔王が明らかに怒っているからだ。


「あー!! めんどくせー!!」


 そう言って魔王は万歳し、地団駄を踏んだ。それは子どもがよくやるグルグルパンチをしてきそうな体勢で、見た目には可愛いものだが、裏腹、彼女の圧倒的な力を知る者には恐ろしく映る。実際、魔人たちがおどおどし始めた。

 さて、どうするか。なんて考え始める前に魔王が俺にジト目を向ける。


「なに堂々見せてんだ隠せ」

「なんだって? これは俺の誇りですよ?」


 ――今は、コイツで騒ぎを大きくするしかない!


「どうしたんです? さっきからやけに目を合わせてくるじゃないか。しっかり下を見てもらっていいんですよ」

「てめっ……」


 怒気が強まったのを感じる。魔王の表情に分かりやすい変化はないのだが、纏う空気が圧を強めている。もう少し顔を赤らめたりとかしてくれれば「照れちゃって」とか言えるんだが。


「――はぁ、用意周到だな」


 魔王が言った。彼女は額に手をやって頭を振っている。どういう意味か分からず俺はそのまま聞き返す。


「用意周到? パンツを脱いだことか?」

「それも。てかいい加減パンツはけよ」

「いやだ! まだ見せ足りないね!!」

「……はぁぁぁ」


 クソでかため息。いや、威嚇だったのだろうか。その吐息に、魔人たちの顔が引きつったのが分かった。俺の股間に騒々しかったのに、周囲の音はピタリと止んでいる。遠く、基地の外の生活音が聞こえてきそうなほど静かだ。


「わかった。――うちがはかせてやるよ」

「はぃ? っ!」


 ぐわっ、と大きな力を股間に感じる。これは……握られている?

 魔王の好きな魔法に、“見えない魔法の手”というのがある。なんでも、魔力を固めて手のように使う魔法らしい。詠唱いらずの即発動ができるため、敵の首を掴んだり、足を掴んで転ばしたり、遠くのものを取りたい時などに使う、らしい。

 いま魔王は俺のパンツを握っているかのように腕を伸ばしている。そうだ、魔法の手が掴んでいるのは、足の間に橋を掛けている俺の――。


「や! まって! いますぐはきます!! 許して!」

「うるせーバカ! 仕置きだ!!」


 魔王は俺の股間を強打した。


「アアアアーッ!!」

「うぇぇえぇ。ぐにゅってきたぁ……」


 腹の奥に響く鈍痛が股間から襲ってくる。クソほど痛い。涙も出てきた。

 魔王が俺の股間に触れた手をもう一方の手で払っている。ばっちぃものを触った後みたいな動き。どうやら魔法の手の感触は使用者にそのまま返ってくるようだ。


「ったく! とりあえずそれで許してやる! ――おーい」


 魔王は近くの魔人に声を掛けた。


「第三王女がいなくなった。見回りの奴らに連絡して探すように言っといてくれ」

「――なに!?」


 その言葉にやっと気づいた。マルタがいない。彼女は音も気配もなく消え去ってしまった。いや、衣服だけがそこに残っている。


「いつの間に!?」

「それ、お前が言うのかよ。――パンツずり下げてすぐだ。透明化の薬を飲んで消えたよ。あれ魔力も感じなくなるから厄介なんだよなぁ」


 魔王はケラケラと笑った。

 そうか。そういうことか。マルタは一人でならいつでも逃げられた。俺もエリーも一人一人なら強制送還の可能性はない。だから彼女は俺たちから離れることを決めたと。そういうことだと思う。

 それにしても。


「第三王女だと、初めから気付いていたんですか」

「おー。モチよ。だからわざわざ来たんだ。しっかし、警戒しすぎだろー?」


 魔王は頭を掻いた。そしてひとつあくびをして眠そうに目を細める。


「ご案内しようと思っただけなのに」

「ぬっ?」


 なんだって?


「ぬっ? じゃねーよ。――お前また思い込みで行動したな。いいかよく聞けよ、第三王女が行方不明だなんて今日やっと知ったわ。あのエドワード王が他国にそんな情報漏らすわけないだろ。んで、スキャンダにわざわざうちから連絡入れるわけないだろ。そこまでやる義理も契約もねーわ」

「つまり、マルタは問題なくブリタンに居られた?」

「そういうこと。スキャンダの大使館はあるだけでうちらに関わってこないし、黙ってりゃバレねーの」


 そう言うと魔王はうずくまる俺の側に立った。そしてお母さんのように背中をポンポン叩いてくれる。そういえば彼女は、まだ俺が小さい頃にこうして慰めてくれたな。


「ほら、はよ立て。――そこの兄妹も!! 早く出ないとメッてするぞ!」

「「はいぃ」」


 アモンとクルミはモソモソと操縦席から這い出てきた。

 それを見て魔王が言う。


「よし! じゃーお前ら、まとめてお仕置き部屋行きな」



「おいこれトイレはどうすんだ!」

「催した時におっしゃってください」


 そう言って目の前の監視は柔和な笑みを浮かべた。

 彼から目を逸らし、改めて独房の中を見てみる。簡易な折りたたみベッドにイスと机がある他は何もない、まったくもって殺風景。今からマルタが見つかるまでこんな所で過ごさなければならないのかと思うとゾっとする。


「あっ! 風呂も入れないじゃないか!」

「それもおっしゃってください。では、私はこれにて」


 そう言って彼はまた柔和な笑みを浮かべた。そして手に提げた袋から小さなベルを取り出すと、鉄格子の隙間から俺によこしてきた。


「何かあればこれでお呼びください」

「えっ!? どこ行くの!?」

「そろそろ晩ご飯なんです」

「そうだ、俺の飯は!? 俺もまだ食ってないよ!?」

「後で持ってきますから……じゃ、そゆことで」

「あっ、まっ――」


 彼は俺の言葉を聞く前にさっさと外へ出ていった。彼のしっぽがするりとドアの向こうへ消えて見えなくなる。やるかたなく鉄格子の隙間から伸ばした右手をゆっくりと戻して、足元に置いたベルを見る。いまやこれが俺と外界をつなぐ唯一の手段か。


 ――くそぅ。


「マルタぁ!! 早く出てきてくれぇ!!」

「ちょっとアルさ~ん静かにしてよ~」


 隣の独房からクルミの声がした。彼女は兄のアモンと同じ独房に入れられていた。


「マルタが見つかるまでこんな所で過ごさないといけないんだぞ! 静かになんてしてられるか!」

「お兄ちゃんがもう寝ちゃったから起こさないで」

「むぅ」


 そう言われては落ち着くしかない。クルミが話を続ける。


「それにこんな所って、娯楽がないだけで割と普通の部屋でしょ~。……私たちは遅刻の件も併せてだから出てくるご飯もマズいんだよ」


 クルミは、たしか自分の名前の由来を探している最中に変なものを食べて腹を壊して遅刻したんだったか。そうか食欲旺盛なんだろう。そんな彼女にとっては、食事がまずいというのは良いお仕置きになる。


「おいしいご飯が食べられないなんて地獄だよ」

「まぁ、たしかに」

「……どーでもよさげだね」

「んなことないさ。つらいよな」

「そう思うんならご飯分けて~」

「なにが出てくるかによっては考えてやる」


 クルミは「えっ」と小さく驚いた。どうせ拒否されると思っていたんだろう。


「どうした? 俺は別に構わないぞ。どーせしばらくは動物の肝とかばかりだからな」

「あっ、そっか~。じゃ、レバー以外が出たらその時だけいいかな」

「ガメついな……。まぁそれもその時に」

「イエーイ! ――あの~、どうしてその腕、すぐに治さないの?」


 何気ない風にクルミが聞いてきたので、俺も同じように返す。


「魔人の触媒を使いたくないから」

「あ~」


 クルミはすぐに理解してくれたようだった。

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