第7話 眉間に皴ができるほど

 この世界では、星は神である。

 星は魔力を大地にもたらし、太陽よりも長く人々を見守っている。

 しかしそんな星がまれに、堕ちてくる。

 人はその現象を“星落とし”と呼んで恐れた。



「走れ!!」


 俺の叫びにマルタもエリーもすぐに反応した。瞬時に星落としに背を向けて走り出し、坂を上りこの丘の上を目指す。星落としの眩しさに真っ白に埋められていた視界が、光に背を向けたことでジワリと色を取り戻した。

 風が強く吹き抜けるような音がして、星落としの息吹が背後から聞こえてくる。

 何かが集束し、生まれる前の刹那の息吹。


 突然だが、俺は生まれた時のことを覚えている。

 母親の腹の中で意識を持った、その瞬間の記憶がたしかにある。

 蠢く、透明な闇の中で、闇という概念が存在しない深淵の中で、確かに俺は目を覚ましたのだ。

 その時の奇妙な感覚と似ている。

 何かが、生まれようとしている。

 あの白く眩しい堕ちた神から、人を脅かす異形が、目覚めようとしている。


「あぅっ」


 エリーが転んだ。彼女が地面に手をついてしまう前に、俺は何も言わずエリーを右腕に抱え上げて走り出す。

 思っていたより軽かった。しっぽの分、もっと重いと思っていたのだが。


「ひゃっ! あ、ありがとうございます。運動は慣れてなくて……」

「あっ、ちょっと!? ずるいわよ! あたしも抱えていきなさいよ!」


 遥か前方を走るマルタがのんきな文句を叫ぶ。あまりにも走るのが速すぎる。後ろを振り返る余裕まであるのか。

 ――なら。やるべきことは一つ。


「おまえは余裕だろうが!? ――俺たちに構わずさっさと走れ!!」

「なによそれ!? 二人を置いてけっての!?」


 ――バカ野郎。素人め。


「そうだ!! お前だけでも生きろ!」

「な、何言ってんの!? そんなのって――」

「星が落ちた直下にいて、助かった奴はいないんだよ!! ――足を緩めるんじゃねえ!!」


 俺は必死に叫ぶ。徐々に近づいてくるマルタに、俺たちに速度を合わせようとするおバカなに叫ぶ。


「生き残った奴がいないから何が起きるか分からん! 星落としは幸いフェンスの向こう側、おまえは俺たちのはるか向こう側! 助かるかもしれん!!」

「そんな、そんなの……」

「さっさと行けえ!!」


 だが、ついにマルタは足を止めた。止めてしまった。俺たちに、星落としのいる方に体を向けなおす。


「いやよ」


 ――頼むから逃げてくれ。そんな顔をするな。覚悟をするな。

 ――この世界はお前が思うほど、救われやしないんだ。


「いやよ!! 一緒に逃げるのよ! ――ていうかなんもせずに逃げるとかやっぱり無理! ここで仕留めちゃえば他所に被害も出ないでしょ!!」


 ――ヴェルメ――


 とマルタの呪文が聞こえた。こぶし大の熱球が、両腕を左右に広げたマルタの掌に作り出される。


「まぶしくてよく分かんないけど喰らえっ!!」


 ――ロス――


 両腕を光に向けて振り払う。熱球が光弾となって俺とエリーの横を通り、白い光りの中へ吸い込まれていく。

 ドゥッと土が爆ぜ飛び散る音が聞こえた。


「やったわ!」

「やってない」


 丘の頂上で、俺はついにマルタに追いついてしまった。

 背後から激しく瞬く星落としの煌めきが、徐々に収まっている。白に塗りつぶされた世界に少しずつ色が満ちていく。


「……逃げろと言ったのに。もう遅いぞ」

「ここで生き残れば世界初の人よ。世界の誰も知らない経験、興味深いわ」


 話を聞いていないのか。会話が微妙に成り立っていない。

 マルタはまっすぐ星落としを見つめ、そして次の熱球を作り出していた。


「生き残るわよ。全力を尽くしなさい!」


 そう言ってニヤリと笑う。自信満々。天真爛漫な笑顔。


 ――こまったねえ。


 このお姫様は危うい。失敗を知らぬ万能感。自身の能力の高さからくる過信。

 いつか周囲を巻き込んで大きな災いをもたらしかねない。


 ――クソガキだな。

 ――けどその無鉄砲さは、嫌いじゃない。


「あとで後悔すんじゃないぞ!」


 俺はエリーを降ろして振り返った。煌々と光る星落としは何らかの形を成そうとしている。


 ――やってやるよ。


 俺は負けず嫌いだ。そう、負けたままではいられない。

 ここでいつかのリベンジだ。


「ばかね。生きるか死ぬかよ。後悔なんてできやしない。――」

「――ブリタンを見るのが楽しみだわ!!」


 マルタの瞳には、眩い輝きしか映っていない。


 ――嫌いじゃない。


「わ、わたしも楽しみでしゅ!! んがっ」


 黙っていたエリーがぐっと両腕でガッツポーズをして、口を大きく開いた。

 そういえばこの少女は竜人だった。小さくても軽くても、人間をはるかにしのぐ、力を持つ者の末裔。


「がんありましゅ!」


 ――ゲブルル――


 聞いたことのない呪文だった。

 エリーの顎が外れるほど口が開き、そして魔力が集積していくのが感じ取れる。青い光をした球体が高温をもって彼女の開いた口の前に現れる。

 すごい熱。ぶっちゃけとても肌が熱い。


「あっつ!?」

「しゃがってくらはい!」


 エリーの言葉に俺とマルタは素早く彼女の背後に下がった。青い球体からの熱波は徐々に膨れ上がり、俺たちはそれを避けるようにじわじわと後ずさる。


「いきまふよ~!!」


 地面を揺らす轟音が響き、青い球体は線となって弾けた。一直線に星落としへと伸びていく。

 一方で、周辺の空気が押し出され、広がり、強い圧となって俺とマルタに襲い掛かった。

 マルタがその風圧に負け、吹き飛ばされそうになる。


「きゃっ!」

「おっと」


 それをマルタの背中に手を回して受け止めてやった。


「……あんた初めて役に立ったわね」


 感謝くらいしてほしいものだが。小生意気なガキである。

 エリーの放った青い光線は白く輝く星落としに直撃しているようだが、いかんせん眩しすぎてどうなっているのか分からない。

 効いているのか、効いてないのか。さっぱり分からない。

 しかし余波だけでこの威力、これはもしかしていけるのでは。


「!! ふせてくだしゃい!」


 何かに気付いたエリーが叫ぶ。両腕を俺たちをかばう様に広げた。俺はマルタと共に、言われるがまま大地にひれ伏す。

 瞬間、エリーの左腕が弾け飛んだ。

 音の無い衝撃波が、その切断面を通り過ぎていった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る