第1話 鬼才と秀才

 ここスタベンジャーのレストランは、港町らしくシーフードがメニューの主を占めている。すでに料理が提供されているテーブルの上にも、やはり海で取れる魚や甲殻類などを調理したものが見えた。


 ――こまったねえ。


 人の話し声と食器のこすれ合う音がガヤガヤとうるさい。

 ランチの時間だから仕方ないが、ちょっとした人込みも俺は嫌いだ。


 そんな人目の多いシーフードレストランの中、第三王女マルタと俺はテーブルを挟んで向かい合っていた。


 第三王女マルタは煤けた頬に――これは化粧か?――そばかすをつけて、着ているボロは同じものを何か月も使っているかのようにツギハギだらけで、土に汚れていた。加えて頭に被っているほっかむりは彼女の美しいプラチナブロンドの髪を隠して見えないようにしている。

 これほど完璧な変装は初めて見た。どこからどう見てもド田舎の、誰も気にも留めないような普通の女の子だ。


 この一か月の間、誰も王女を捉えられなかったわけだ。


 この14才の才女は今までに何度も家出を試みている。もう数回、いや数十回になるだろうか。片手で数えられたのは彼女が7才の頃までだったと思う。

 そして彼女はその企みをすべて成し遂げていた。


 初の家出はなんと5才の誕生日の時。

 その頃には既に異才、いや鬼才の片鱗を周囲の大人に見せつけていた彼女は、誕生日ケーキを吹き消すときの暗闇に紛れて音もなく部屋を抜け出してみせた。

 もちろんスキャンダ首都スエードの大鉄芯城アルアインでは夜通しの大混乱に陥った。


 誰かと共謀してサプライズを仕掛けた、小人になる薬を飲んだ、透明になる魔法を使った、など王女の性格を理解していた者はと考えたが、王とその妻はそうは思わなかった。

 曲者に攫われたと騒ぎ、御身のその足がすり減って血を流しても、真夜中の市中を走り回って娘を探した。


 そして結局見つからず太陽が昇り、へとへとに疲れた王たちが城に戻れば、中庭のど真ん中でマルタは大の字に眠っていたという。

 そしてその手にはスエードの外にしか生えていない希少な花が握られていたとか何とか。


 だから今回の大捜索も結局、第三王女が自分の意思で戻らなければ終息しないだろうと兵士の間ではもっぱらの噂だった。

 いや噂というか、経験と結果から導き出される当然の帰結と言えるか。

 事実1ヶ月の間、第三王女は影も形も踏ませなかった。


 ――それがまさか俺の前に出てくるとは。しかも最悪のタイミングでなぁ……。ついてない。


 さて、はたから見て俺たちの間に緊迫したような雰囲気はないと思うが、近寄りがたい物々しさを纏っているだろう。

 なぜなら俺はいま、黒を基調に金糸の意匠で拵えられたこの国の軍服を着ている。何なら背中には銃剣付きのマスケット銃を背負っているからな。


 平民は将校に近寄りたくはないものだ。


 そんな俺を指さして、周囲に聞こえないほどの声量でマルタが話し出す。


「あんた明日からその恰好はやめてよね。目立っちゃうから」

「オイオイ。王女殿下、これは正規の俺の仕事着でな、そう簡単に脱ぐわけにはいかないんだ」

「あんた……自分の立場分かってる?」


 そう言ってマルタは俺の胸元にその指を向け直した。

 そこには俺の栄光を示す勲章が数多く揺れている。


「その勲章が一瞬で意味をなさなくなるわよ」

「あー、はいはい」


 そう言って俺を脅すマルタは自分の立場を理解していない。


 あんたを探してひと月、追っ手の誰もあんたを見つけちゃいない。

 そして俺だけは、あんたに手が届く。


「……なあ王女殿下、俺があんたを殺すかもってな考え、ないのか?」


 俺はマルタの勘違いを正すために、右足に括りつけてある短刀に手を伸ばして声に怒気を込めてみた。

 加えて強く睨みつける。

 ここでマルタを彼女は行方知れずのまま、俺もしょっ引かれることはないんだ。


 ――これで怯えてくれるといいが。一緒にアルアインまで行けば、王女を見つけたってことで勲章が貰えるかもな。はは……。


 しかしマルタは薄く笑った。余裕を感じる。

 そして俺の強面を指差した。


「ふっ。何、その顔? ウケる」


 このガキ……!


「……即断、即答のアルフォンス。スキャンダの若き金獅子と呼ばれた男が、回りくどい上に訳の分からない事はしないでしょ?」

「俺もなめられたもんだ。はたから見たら今のあんたは。対して俺は名の知れた将校様だ。俺に無礼を働いたとしてこの場で殺しても、誰も疑問に抱きやしない。――この状況で、どうして余裕でいられる?」

「あんたは殺すつもりがないでしょ?」


 即答。そしてマルタは囁くように続けて話す。


「あたしを殺さなきゃ、あんたはいつまでも一発監獄行の証拠を捕まれてるわけよ? 即断と呼ばれている男が脅しなんてするかしら? 殺るつもりなら見つかったその時に殺るはず。――なのにこれから仲良くランチタイムよ? 今ここに二人でテーブルを囲んでるってのが、あんたの証拠」

「……俺が諦めてる? なにを?」

「今の地位と名誉、ひなたでの生活。つまるところ監獄行を受け容れてるわ。――」

「――あんたはあたしを殺さない。殺すつもりがない。なんでだろ? ……そう、きっと優しいのねアルフォンス。わざわざ脅すフリしてまでしてくれるなんて、いい人ね」


 言い切られてしまった。彼女の読みは、ほぼ当たっている。

 ただ一点、俺は優しいわけじゃない。14才の少女を欲望のままに殺すほど、腐っちゃいないだけだ。


 そこまで読み切ったとしても、その年じゃ心と体が追い付いてないもんだが。

 だがマルタは、俺の脅しを軽く跳ね除けてみせた。

 やはり鬼才だ。そしてそれを使いこなす胆力もある。


 ――こまったねえ。嫌いじゃないんだ、こういう奴は。


 長く嘆息した俺を見て、マルタはニヤリと笑う。


「ご心配どーもだわ! あんたじゃなけりゃ、あたしとっくに死んでたかもね。でもあたしは見ただけでその人がどんな人か分かっちゃうの! だからヤバイ人には近寄らないわ。安心して」

「俺は俺のことをヤバイ奴だと思うがね?」

「薬吸ってるだけじゃない」


 普通はヤバイんだが。


「あたしはあんたを探してたのよ。25歳という異例な若さ、驚異的なスピードで准将になった若獅子アルフォンスその人をね。だからそんな程度気にしないわ。――出会った時に言ったでしょ? ……あたしの旅についてきて。そしたら内緒にしといたげる」


 俺は再び嘆息した。右足の短刀から手を離し楽にさせることにする。おてあげだ。

 そんな笑顔をされては、従うほかないだろう。


 そしてちょうど注文していた料理が給仕によって運ばれてきた。

 俺はスキャンダで一般に食べられているゴロ牛の肉を赤ワインで煮込んだものを、マルタはこの港で取れる珍魚の赤身を火で炙り味付けしたものを注文していた。


「んん~~!! おいしそう! ――ちょっとあんた、なんでそんなどこでもあるような物食べてんのよ。せっかくスタベンジャーにいるのにもったいなくない?」

「俺はこの町に来て長いんだ。魚料理ばっかで飽きてんだよ、好きなもん食わせてくれ」

「それならいいわ――ハムハグムシャムシャ!!」


 いただきますも言わずに食事に食らいついたマルタの姿は、まさに田舎娘のそれだろうか?いや、これは田舎娘に失礼だ。彼女らも人前での食事の流儀というのはわきまえている。こんなに飛び散ったりはしない。

 先ほどまでの知的で可愛らしい少女はどこに行ったのか。


 ――けど、すごく美味しそうに食べてるな。


 俺は野良猫のように魚に食らいつく王女殿下に告げる。


「飯を食い終わったら、詳しい話を聞かせてくれ王女殿下」

「ハムハグっ! ……その呼び方はやめて、マルタでいいわ」

「なら俺もアルと呼んでくれ、マルタ」

「はーいアル、よろしくね――ハムハグムシャムシャ!!」


 そしてマルタが食べ終わるまで、俺は何も言わずに彼女のここまでの旅路を憂いていた。


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