第21話 いつもの空間で

 一方的にだけど、社長のことは少し年の離れた兄のような存在のように感じていた。

でも、仕事の取引相手ということもあって、今まではプライベートな話はあまりしたことはなかった。

今日は、他の社員の人たちはみんな帰ってしまって周りに誰もいないということもあって、ついそんなことを話してしまった。


「お、片思い中ってことか?」

「あーそうですねぇ。今、返事待ち中?」

「おお! そうかあ。上手く行くといいな」

「……まだ、何ともいえないんですけど」

「俺の、自論だが彼女や奥さんを大事にするやつは出世する! 仕事に対する姿勢も女性に対する姿勢も、大事なものという意味では同じだと思ってるんだ」

「なるほど……そうですね」

 比べるものではないと思うけれど……、確かにそれは一理あるなと思った。

真面目に聞き入る俺の顔を見て、社長はフフンっと嬉しいそうに笑った。

「上手く行ったら……その子のことちゃんと大事にしなきゃだめだぞ」

「はい。もちろんそのつもりです」

「たった一人の女性さえ幸せに出来ない男は、どんな仕事をさせてもダメだ。愛する女は誠心誠意で守ってあげなきゃな。相手を幸せにしてあげることで自分も幸せになれる……。結果、仕事も上手くいく」

「んー……俺にはまだわからないですけど、きっとそうなのかもしれませんね」

 社長は女性を大事にすることと、仕事を大事にするということはリンクしていて、そのバランスをとることが大切だということを、熱く語った。

社長が、愛妻家であることは噂で知っていて、きっとこの社長を影で支えている奥さんがいて、社長もその奥さんを大切にしているのだろうと思った。

仕事には厳しいというのは、薄々感じていたけど、その顔は厳しさだけでなく、どこか優しさのようなものも含んでいる。

そのせいなのかは、わからないけれど、この会社の社員もみんな仕事に対する姿勢がエネルギッシュで、チームワークもよく取れている。

社内の空気感が、すごくいいのだ。

きっと社長は奥さんや仕事だけでなく、社員のことも大事にしているのだろうと思った。

「ま、あくまでも俺の自論だけどね。だけど……三山君なら、大丈夫だな」

「一途という意味では、大丈夫だと思うんですが、俺も色々頼りない所いっぱいあって」

「いやいや、大丈夫だよ。君の仕事ぶりを見ているとわかる」

「そ、そうですか? ……ありがとうございます」

 照れ臭くなって、それをごまかすように缶コーヒーをグビグビッと飲んだ。

「ま、頑張んなさい」

「……はい。頑張ります」

 社長は、今度は俺の肩をポンポンと二回叩いてまた大きな声でガハハと笑った。

「今度よかったらゆっくり飲みに行こうかぁ」

「ああ、ぜひ」

 相談できる相手が、もう一人増えたようでちょっと嬉しかった。

この先、俺は愛する女性を本当に守って行けるのだろうか?

どうやったら幸せにしてあげられるのだろうか?

そのヒントを、この人生の先輩である社長が教えてくれるような気がした。


 最終チェックをして、パソコンの電源を落とし、もう一度社長にお詫びとお礼を言い、遅い帰路についた。


 帰り道、夕飯を食べていなくて空腹なことに気づき、途中のラーメン屋に立ち寄り、ペコペコの腹にかきこむ。

 みんなで食べた田舎料理もおいしかったけど、一人で街中で食べるラーメンも、それはそれでおいしかった。

その後コンビニ寄ったりして、やっとマンションに帰り着いた時には、もう日付が変わっていた。

そこはいつもの部屋で……なんともいえない安心感に、急に力が抜けソファーにドスンと座り込んむ。

(怒濤のような一日だった……)

 朝いた周りの風景と、帰ってきてからの風景のギャップがあまりにも大きすぎる。

田舎留学で過ごした時間が、まるで夢のようで現実感がない。

夢というより、もしかしたら虚空の時間だったのではないかとさえ思えてくる。

そのふわっとした時空から、一気に現実に引きずり戻されたような感覚だ。

自分でもよくスイッチを切り替えられたなと、ちょっと感心する。

でも、一度帰ってきた時に、放り投げるように置いたバッグが目に入り……ファスナーを開けてみたら、少し土の香りのするデニムが出てきてた。


──夢でも虚空の世界でもなかった。


きっと、いつもと違う空間で、いつもと違う時間を過ごした田舎留学は、忘れられない記憶として、ずっと残り続けるのだろう──



 有給休暇は、まだ一日残っていたが、次の日から出社した。

信頼のおける仲間に任せておいたとはいえ、やはりすべてが回せていたわけではなかった。その、一つ一つを片付けていつものペースに戻るのに数日はかかった。

「正直、三山が少しでも早く戻ってきてくれてよかったよ」

 仕事がひと段落して、社員食堂で休憩をとっていたら、同僚もコーヒーを手に持って隣に座ってきた。

「ああ、悪かった。色んな事を頼み過ぎてて負担かけてしまった」

「いやー、この位何でもないと思ってたけど、やっぱお前にしかできないこともあるからさー」

「それは、お互い様だよね。お前にしか出来ないこともいっぱいあるから」

 

──と、その時、スマホにメッセージが届いたという通知が画面に表示された。


「……あっ」

 メッセージの送り主は沙也ちゃんだった。

溜まっていた仕事を片付けるのに必死で、すっかり連絡するタイミングを失っていた。


『大貴さん。こんにちは。

 仕事の方は落ち着きましたか?

 もしよかったら時間ある時に連絡ください。』

 そして、一行空けて

『会いたいです。』

 と記してあった。

そのメッセージを読んで、思わず顔がほころんでしまう。


「三山さ……もしかして、彼女いるの?」

「……いやぁ」

「え、でも今それ読んでる顔、めっちゃにやけてて……彼女からの愛のメッセージが届いたのかと思ったけど」

 同僚のツッコミに、ふふっと笑って見せた。

すぐに、返信をしたかったけれど、同僚に仕事の件で頼みたいことがあったからそっちを優先した。

「そう言えば、この前頼んだ……会社の奴だけど……」

「ああ……」

 同僚は、ちょっと怪訝そうな顔しながらも、すぐに仕事の話に聞き入った。


「……ということだから、その部分をお前にお願いしたいんだ」

「そうか、わかった。任せて」

 仕事の話が終わると、すぐにスマホを手に取った。

横に座る同僚の顔を見ると、またニヤリと笑っていた。

「ちょっと返信したいから、悪い」

 そう言って顔を見られないように、同僚に背を向けて沙也ちゃんに返信を打った。


『沙也ちゃんこんにちは。

 連絡ありがとう。

 この前は何も言わずに帰ってしまってごめんね。

 体調の方はどう? 元気になった?

 俺も会いたいです。』

 返信を送って、同僚の方に向き直ると、コーヒーをすすりながら、目を細めて疑うように俺をじっと見ている。

「ほら~その顔、絶対彼女だ」

「さぁ、どうだか」

 確かに、大好きな相手ではあるけれどまだ彼女ではない。

すると、すぐに次の返信が届く。

『今度の週末、もし時間あったら、どうですか?』

『うん。大丈夫だよ。

 でもできるなら、もっと早くてもいいよ。

 今日これからでも。』

 連絡がきたことが、嬉しくって、ついせかすようなことを書いてしまった。

『今日はごめん。ちょっと無理。明日はどう?』

(そうだよね。いくら何でも、今日は急ぎすぎだよね。でも、明日なら大丈夫なんだ)


「じゃ、俺先に戻るから」

 隣でコーヒーを飲み終えた同僚が、椅子から立ち上がった。

「ああ、わかった。俺もすぐ戻る」

「はいはい。彼女によろしくな」

 そう言いながら、食堂からを出ていく。

「だから、違うって」

 でも、早く彼女と言える日が来ればいいなと思いながら、もう一度返信を打った。

『OK!明日仕事終わった後でよかったら大丈夫だよ。』

 明日会えると思うだけで、急に心がソワソワとし始めるのだった。


──次の日。


沙也ちゃんに会えるという喜びを糧に、仕事に集中した。

だけど、こんな日に限って……次から次へと仕事が立てこんでしまう。

定時には終わりそうにない流れに、少し焦ったがここで投げ出すにはいかない。

とにかく、集中してきちんと終わらせることに、気持ちをシフトした。

やっと仕事を終えたのは、定時から1時間ほど過ぎていた。

(やっばっ。急がなきゃ)

 急いで、帰り支度を始めると、それを見つけた同僚が近寄ってきた。

「なんか今日の三山、話しかけにくい位仕事に集中してたね」

「えー、それじゃまるで俺が普段は集中して仕事してないみたいじゃないか」

 俺は冗談でそう言うと二人で一緒に笑った。

「仕事もスパッと終わったみたいだし、どう久々にこれから飲みにいかない?」

 こういう状況の時の、”あるある”なお誘いだ。

「悪い。今日は人と会う約束してて……」

「え~なんだぁ。やっぱりそういうことか」

「やっぱりって?」

「彼女に会いに行くんだろ? だから必死で仕事終わらせたんじゃないの?」

「だから、違うって」

「もうさー俺たちの間には隠し事ナシで行こうよ」

 完全に同僚の中では、俺に彼女がいる疑惑が膨らんでいるようだ。

「嘘じゃないよ。でも、確かに大切な人に会う約束があるから、仕事を早く終わらせたというのはその通り」

「ふ~ん。大切な人ねぇ」

「そう、大切な人。まだ彼女じゃない」

「まだ?」

 つい言ってしまった”まだ”という言葉を、同僚は見逃さなかった。

「あーわかったよ。ちゃんと言うよ。今日会うのは、彼女になってくれたらいいなと思っている人。でも、まだ彼女じゃないし……。だからまだ誰にも言いたくなかったの。フラれた時、恥ずかしいだろ」

「そういうこと」

「そう、そういうこと。じゃぁ俺急ぐから! お疲れさま!」

 一方的に話を切り上げ、俺はカバンを手に取り、逃げるように会社を出た。


 本当は、一度家に帰って着替えていく予定だったけれど、もう時間が足りない。

会社から、約束の場所まで直で行ったとしても、少し遅刻しそうだった。

仕方なく、このまま仕事のスーツ姿で行くことにする。


──もうすぐ、会える


少し緊張もしながらも、胸をときめかせながら約束の場所へと向かった。


ただ……その約束の場所というのが……。

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