第6話 変わらない笑顔
彼女を好きだとという気持ちも、悔しい思いをして苦しかったことも……俺の中で想像以上に記憶が深く刻み込まれている。
あの事があった後、俺はすべてを胸の奥にしまい込んで、忘れることにしたはずだった。
所詮、叶わぬ思いだったのだから、心の中から消してしまうしか方法はなかった……。
だから、自分の思いなんて最初からなかったことにするために、必死で消したつもりだったのに……。
──消したつもりだった思いは、蓋ををして抑え込んでいただけで、何も消えてはなかった。
彼女のことが好きで仕方なかったあの頃と何も変わらない感情が、一気に胸の奥から湧きだしてきて、自分でものすごく動揺している。
あの時のことを知っている俺に、立花さんが心を開いてくれるだろうか?
今日は、とりあえず話をすることはできたけれど、このまま友達にだってなれる保証もない。
もしこれが、もう一度与えられたチャンスなら……。
たとえフラれたにしても、ちゃんと話して気持ちを伝えられたら、俺は心の中のこの硬く固まってしまったマイナスの塊を砕くことが出来るのかもしれない。
でもそれは、自分のエゴのようにも思えた。
あの頃と変わらない俺の「無難に」という気持ちと、
あの頃にはなかった俺の「挑んでみたい」という気持ちが
複雑に入り混じって、何が正解なのかわからなくなってしまった。
──次の日。
早朝から畑の作業をするスケジュールが組まれていた。
ロビーに行くと、くじ引きを引いて、作業に行く畑が割り振られた。
作業場所は二か所で、くじ引きはAグループとBグループに分けられていた。
俺が引いたくじは、「B」
祐太が引いたくじは「A」
「あらら、別れちまったね」
祐太が自分が引いたくじと、俺の引いたくじを見比べ残念そうに言った。
「あーん。……祐太さんと一緒じゃなくてさびしいわぁ~」
俺がふざけてそう言うと、祐太は遠い目をして俺を見た。
「キモいって」
「……ひどい」
朝からそんな調子で、二人でふざけてると、先にくじを引いて立花さん達が向こうで話しているのが見えた。
「お、沙也ちゃんと瑞樹ちゃんだ。行ってみよう!」
祐太はそういうより先に二人の元へ向かった。
「あ、ちょ……待ってよ」
いつも祐太より行動が数秒遅い俺は、慌てて後を追う。
「二人はどっち~?」
祐太がひときわ大きい声で二人に声をかけた。
「えっと、私はAで瑞樹ちゃんがBです」
立花さんが、手に持ったくじ引きの紙をこちらに向けた。
「じゃあ僕が瑞樹ちゃんと一緒で、大貴が沙也ちゃんと一緒だ」
「えっ……?」
(違う。逆だろ?)
俺がBで祐太がAだったから、祐太が立花さんと一緒で、俺が瑞樹さんと一緒なはずなのだけど……。
祐太が気を使って、俺と立花さんを一緒のグループにしようとしてくれるのだと、すぐに気づいた。
「じゃ、瑞樹ちゃん一緒に行こう! 沙也ちゃん、大貴のことよろしくね。レッツゴー♪畑~♪いや~初めての畑仕事!楽しくなりそうだね~!」
内心焦っている俺の顔を見て、祐太はニタニタと笑いながらバスの方へ歩き出した。
「……ったく」
俺は、手に持っている「B」と書かれたくじを、そっとバッグのポッケにしまい込んだ。
「じゃ、俺らも行きましょうか」
「はい」
立花さんは、俺の顔見てニッコリ笑った。
朝から、この笑顔で、いきなりテンションがマックスになりそうになる。
だけど、祐太みたいにストレートには顔に出せない俺は、出来るだけ自分を落ち着かせようと、一人で小さく深呼吸をした。
畑に向かうマイクロバスに乗り込み、自然と立花さんと隣同士で座った。
(どうしよう……何か話さないと……)
バスが動き出し、しばらく二人の間に沈黙が続く。
俺は緊張して、手のひらに汗をかいた。
「沙也さん……。僕は祐太みたいに、テンポよく話が出来なくってつまらないかもしれないけど、すみません」
勇気を出して、話を始める。
しかも、思いきって”立花さん”ではなく”沙也さん”と呼んでみた。
でも、立花さんは特に気にする様子もなく、少し微笑みながら、俺の話を聞いてくれたので内心ほっとした。
「祐太は、誰ともすぐにフレンドリーに話せるんだけど、俺は……」
「そんなことは気にしないでください。私も……。私も知らない人と話すの苦手だし、実は、今もちょっと緊張してます」
「え……?」
沙也さんの言葉に、ちょっと気持ちが緩んだ。
「そうなんだ。じゃあ、一緒だね」
そう言いながら、なんだか嬉しくって自然と微笑んでいた。
大人になってから、昔ほど人前で話すことに抵抗はなくなったけれど、さすがに今は、こうして隣に座っているだけで緊張している。
(そう言えば……)
昨夜、沙也さんが言っていた”事情で”というのが気になっていたので、聞こうかどうか迷った。
(でも、やっぱりあえて聞くことでもないかな)
そう思ったのに、他に何を話したらいいのかわからず、つい聞いてしまった。
「沙也さんの……」
そこまで言って、ハッとなり言葉を止める。
「?」
「あ、いや、やっぱいいです」
「私の?」
「ごめんなさい。今のは忘れてください」
「えっと……」
そんな俺の、中途半端な質問に沙也さんは首をかしげる。
「そうですよね……こんな風に言ったら気になりますよね。ごめんなさい」
正直、失敗したなと思いつつ、話を続けることにした。
「あの時……沙也さんが自己紹介された時、”事情で時間が出来た”って言われた”事情”ってなんだろうってちょっと気になったもんだから、つい。いやホントすみません」
俺の焦りまくってる顔見て、沙也さんは少しキョトンとしている。
「そんなのいちいち聞かれたらいやですよね。……なので忘れてください」
一瞬の間があり、その後沙也さんはクスっと笑った。
「私なんかの事情を気にしてくれて、ありがとうございます」
沙也さんは、嫌な顔一つせず俺の質問に答えようとしてくれたのだけど……。
ちょうどそこでバスが畑に到着して、俺たちの会話はそこで途切れた。
(わー広いなぁー)
バスを降りると、外は抜けるような青空が広がっていて、そよそよと土の香りを含んだ風が吹いていた。
想像以上に畑が広く、それと繋がる空はもっと広く、言いようのない感動で気持ちもスーッと健やかになる感じがした。
いつもの生活の中では、到底得ることのできない爽やかさだ。
「気持ちいいですね」
一人で広がる畑をぼーっと眺めていたら、沙也さんが後ろから声をかけてきた。
「そうですね」
沙也さんのちょっとした、声や動きにいちいちドキドキしてしまう。
でも、俺はできるだけ平静を装い、両手を広げ大きく深呼吸をして、彼女へのときめきをごまかした。
すると沙也さんも、俺の真似をして、両手を広げ深呼吸する。
(……かわいい。……やばいこのままじゃ俺の心臓が持たない)
ふと、これでいいのかと、田舎留学に来た意味を思い返えす。
(いや、深い意味など最初からなかったけれど……このままじゃなんか違う方向に行ってしまいそうだ)
これではいけないと、動揺しまくっている自分を戒めた。
植え付ける野菜の特性や、植え付け方の説明をスタッフから詳しく聞いた後、早速作業を始めた。
俺は、いちいちドキドキしてしまう自分が嫌で、あえて沙也さんと少し距離を取った場所で、作業を始めた。
耕された土に、一つ一つ苗を取って植えこんでいく。
そんな単純作業だったけれど、意外に難しく要領を得るのに少し時間がかかった。
しばらくはその作業に集中したおかげで、余計なことは考えないですんだ。
トレー一枚分苗を植え終わって、腰を伸ばし周りを見渡してみた。
みんな、それぞれに楽しそうに植え付けをやっている。
ふと、苗を片手に持った沙也さんが視界に入ってきた。
慣れない手つきで、畝間にしゃがみこんで一生懸命苗を植えている。
(沙也さんも頑張ってる。真剣な顔ももかわいいな)
俺は、沙也さんの姿をに見惚れて、つい無意識に顔が緩んでしまっていた。
(あ……)
その時、沙也さんの少し後ろで作業をしている、少し年配の女性と目が合ってしまった。
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