第7話 涙

(やばい。……顔がゆるゆるになってたの見られてしまった)

 俺は、あわてて何事もなかったかのように、汗を拭きながら次の苗を取り行くふりして、向きを変えた。

(昨日から調子が狂ってだめだ……しっかりしろ俺!)

 一人の女性の存在に、こんなにも気持ちが揺さぶられるれ、かなり戸惑っている自分がいる。

 俺は首にかけていたタオルを外し、戸惑いをかき消すように、顔をゴシゴシと拭いた。



 お昼になり、スタッフの声を合図に昼食タイムになった。

畑の横の木陰にテーブルと椅子が用意してあり、そこにおにぎりと少しのおかずそして、お椀に入ったお味噌汁が並べてあった。


 苗の入っていたトレーを倉庫の方に片付け、用意してあるテーブルの方に向かう。

見ると、沙也さんはもう椅子に座っていた。

ちょっと、迷ったけど少しでも話す時間を作ってみようと思い、沙也さんに声をかけた。

「お疲れ様」

「お疲れ様。えっと……」

 すぐに答えてはくれたけど、沙也さんは少し様子がおかしいように感じた。

一瞬、視線も外された。

(あれ? 声かけちゃいけなかったかな?)


 

「えっと……上手にできましたか?」

 ちょっと心配になったけど、すぐに沙也さんはこっちを向きなおして話を始める。

(よかった……もしかしたら、考え事でもしてたのかな)

 ちょっとほっとしながら、無難に話を続けた。

「ああ、最初はちょっとへたくそだったけど、だいぶん慣れてだんだん植えるスピードも速くなってきましたよ。俺、なかなか素質があるかも」

 少しでも沙也さんの緊張が解けるように、俺はそう言いながら笑って見せた。

すると、沙也さんもクスっと笑い返してくれる。

でも、お互い緊張しながらの二人の会話は、まだちょっとぎこちなかった。


 そんな二人のぎこちなさを一気に打破してくれたのは、お昼ご飯に出された「塩にぎり」だった。

 テーブルの上の真っ白な塩おにぎりをが、予想外に美味しかったのだ。

「美味しい!」

「うん」

 一口食べて、二人同時に顔を見合わせた。

きっと、美味しいお米も、それを炊く時に使う美味しいお水も、この町の自慢のものなのだろう。

味付けは塩だけのおにぎりが、こんなにおいしいと思ったのは初めてだった。

他に用意された、野菜たっぷり入ったお味噌汁もおかずもどれも美味しくて、二人で何度も、顔を見合わせながら「美味しいね」を繰り返し言いながら食べた。

 朝ずっと東にあった太陽は、かなり高い位置に登っていて、空の青さも増している。木漏れ陽の中ゆっくりと流れる時間をの中、沙也さんの笑顔を今こうして近くで眺められる幸せを感じていた。


 お昼を食べ終わり、そのまま木陰に用意された椅子に座って一息ついていた時だった。

「私……」

 沙也さんが、ポツリとつぶやいた。

(……?)

「……さっきバスの中で聞かれた……」

 さっきの話の続きをしようとしているようだった。

「あ、もういいですよ。変なこと言ってしまってごめんなさい」

 俺が質問したことで、言いたくない話を、無理やり言わせてしまってるのかもしれないと思った。

でも、沙也さんはすぐに小さく首を横に振り話を続ける。

「隠しておきたいとかじゃなかったんですが、あえて言うことでもないかなって言わなかっただけでなんです。……失業中なんです。ただそれだけの事」

(失業……? そうだったんだ)

 正直「失恋」でなく「失業」と聞いて、ちょっと安心した。

(いや、でも失業も精神的に結構きついよな……)


 失業した経緯は、突然会社が倒産してしまったということだった。

続くはずの日常を、突然奪われてしまい、途方に暮れてしまったに違いない。

その後、就職活動をするも、なかなかこれという仕事が見つからず、ずっと悩んでいるようだった。

そんな日々が、続けば誰でもネガティブになって、だんだんやる気が失せてくるだろう。

沙也さんは、次に進めない自分を責めていて、どうしたらいいのか、行き先を見失ってしまっているようだ。

「私ってこんなダメ人間だったんだって思い知らされました」

「そんなことないですよ」

 俺はすぐに否定したけれど、沙也さんは切ない顔して首を横に振った。

「本当に、もうダラダラになってて……こんな自分が嫌でしょうがないのに、でもどうしたらいいのかもわからないんです」

「それだけ、苦しかったんですね。でも、自分を責めちゃだめですよ。誰だって、ずーっと続くと思っていた日常を、突然奪われてしまったら、どうしたらいいかわからなくなると思います」

 ──ありきたりのことしか言えなかった……。


それでも沙也さんは

「ありがとうございます」

 と、必死で笑顔を作りながら言った。

「もしかしたら、それを誰にも言えず、一人で抱え込んでいたんじゃないですか?」

「……」

 とても切ない顔して、視線を下に落とす沙也さんを見て胸が痛む。

「慌てずゆっくりでいいと思います」

「はい。……そう言ってもらえるだけで楽になります」

「沙也さんは何も悪くないから」

「……ありがとうございます」

 もっと沙也さんが元気がなれるよう、気の利いたことが言えればよかったのだけど……。


 午後の作業も終わるころには、日差しもだいぶん和らいでいた。

朝乗ってきたマイクロバスに乗って、ホテルへ戻ると祐太たちのグループが一足先に戻っていた。


「お疲れ~ジュース買っといたよ!一緒に飲もう!……ほら、大貴もこっちこっち!」 

 ロビーのソファーに座って待っていた、祐太に呼ばれる。

みんな、結構疲れきっているに、あいつだけはすこぶる元気だ。

「お疲れお疲れ!はい。ジュース!」

 祐太がせっかくジュースを買ってくれてたので、そこでそれを飲みながら、しばらく四人で話をした。

もしかしたら、俺と沙也さんが少しでも話せる時間を増やすための祐太の図らいだっただったのかもしれない。


 話している時に、祐太から「敬語禁止」が発令された。

もう、友達なんだし敬語は堅苦しいからということらしい。

 祐太はなんの違和感もなく、沙也さんとも瑞樹さんともスムーズに話せているのに、俺は、まだちょっとぎこちない。

慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだ。

でも、祐太が上手に話を盛り上げてくたおかげで、俺もその調子に合わせて冗談を言ったり、ちょっとふざけてみたりで、みんなで笑いながらその場は笑いが途絶えなかった。


話が一瞬途切れたタイミングで、沙也さんの視線が、ロビーの窓の方に向かう。

沙也さんの視線に気づき、他の三人もつられて窓の方を見ると、外は夕焼け色に染まっていた。


遠くに見える海に、大きな太陽がゆっくり溶け込むように沈んで行く。

空は濃いオレンジ色で、かすかに浮かぶ雲が芸術的な模様を作り出している。

まるで映画のワンシーンを見ているかのような絶景だ。

その美しさに見惚れて。さっきまで賑やかだった四人もは思わず無言になった。


綺麗な夕陽を見ている内に、胸の奥がじわっと熱くなってくるような感覚を覚えた。

なぜだかわからないけれど、何かかがこみ上げてきて、不覚にも俺の目からは涙があふれ出てきた。

(あれ……やばい)

みんなに見られないように、みんなより一歩前に出て窓の方をじっと見続ける。

 あふれだす涙の理由は特になかった。

ただ、その美しすぎる情景に、心が震えるほど感動し、自然と涙があふれてきたのだ……と思う。

ここ何年も、景色を見て綺麗だなんて感じることはなかった。

(どんだけ忙しかったんだ俺……きっと知らない間に、心も疲れきっていたのかもしれない)

「綺麗だな……」

 思わずそう呟いた。

「本当に、こんなに綺麗な夕陽を見たのは初めてかも」

 そう言う沙也さんに、あふれている涙を見られるのが恥ずかしくって、俺は窓の方を向いたまま黙ってうなずいた。

(もしかしたら、見られてしまった……?)

 俺の一番近くにいた沙也さんの位置からは、俺の涙が見えたかもしれない。

少し恥ずかしさもあり、じわじわとあふれてくる涙を、みんなに見られないようにするために、そっと体の向きを変えた。

 ちらっと後ろを振り向くと、涙を拭っている沙也さんが視界に入った。

(あ……沙也さんも泣いてる?)

 そう思った瞬間……

「あれ、沙也さん?」

 瑞樹さんも、沙也さんが泣いているのに気づいたようだった。

「どうしたの? 何か悲しいことでも思い出したんですか?」

 瑞樹さんは心配そうに沙也さんを覗き込む。

「ううん。違う。その……。なんかわからないけど、夕陽見てたら自然と涙が出てきちゃって……」

(あ……一緒だ……)

 祐太と瑞樹さんが、心配して沙也さんに色々話しかけている隙に、俺は汗を拭くふりをして、涙も一緒にタオルで顔を拭いてごまかした。

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