第8話 密かな決心

 みんなが沙也さんの心配をしているおかげで、俺が泣いたことはバレなかったようだ。

少しほっとして、みんなの方を見てたら俺の視線に沙也さんが気づいた。

俺が、思わず微笑み返すと、沙也さんもゆっくり微笑み返してくれる。

(あ、やっぱり、沙也さんは俺が泣いていたの気づいてる……?)

 でも、それを敢えて言わずにいてくれてるようだ……。

沙也さんの表情を見て、直感でそう感じた。


 夕陽が沈み切ったところで、俺たちは部屋に戻ることにした。

部屋に戻る前に、もう一度窓の外を見てみる。

さっきまで明るかった外の景色も夕陽が沈むと共に暗さが増した。

まだほんのり明るさが残っている水平線近くの空は、濃いオレンジと紺色のグラデーションの美しい色合いになっている。


 先に歩き出したみんなの元へ、少し小走りで後を追いかけた。

沙也さんが、ちょうどこちを見ていたので近づいてこっそりお礼を言った。

「さっきは……ありがとう」

「え?」

 沙也さんは一瞬何のことかわからなかったの、きょとんとしている。

「気づいてたでしょ?」

「?」

(あれ? 気づいてなかったのかな?)

「俺も……泣いちゃってたこと」

 俺は恐る恐る言ってみた。

もし気付いてなかったのなら、わざわざ俺の恥をさらすとになってしまう。

「あ……うん」

 沙也さんは小さく頷いて、俺の顔を見た。

(あ、やっぱり……)

 なぜか、ほっとしたけど、恥ずかしさも急に増して頬が熱くなった。

「黙っててくれてありがとう」

「あ、いえ」

 部屋に戻る廊下をゆっくり歩きながら、二人でコソコソと話を続ける。

「自分でもよくわからないんだけど、なんか涙があふれてきちゃって。俺、男なのに実は涙もろいんだよね……。テレビとか映画見てよく泣いちゃうし。なるべく人に見られたくなくって我慢しちゃうんだけど。でもさっきは、我慢することも忘れちゃってて……」

 恥ずかさをもみ消したくて、言い訳の言葉をたくさん並べる。

「わかります。私もさっきそうだったから」

 優しく微笑む沙也さんの顔を、真っ直ぐに見ることも出来ずに、赤くなった頬を隠すように視線を下に向けたまま廊下を進んだ。

 沙也さんは、そんな俺の気持ちを察してくれたようだった。

「誰にも言わないから大丈夫。安心して」

「ありがとう」

「私もさっき、ちょと恥ずかしいって思ったから、気持ちはわかるよ。……でも大貴さんの涙……」

「?」

「大貴さんの涙は……綺麗でした」

「え?」

(綺麗……?)

 涙が綺麗だなんて、そんな風に考えたことも、もちろん言われたことも初めてだった。

「感動して涙を流すこは恥ずかしいことじゃない思う。素直に泣けるっていうことは恥ずかしいことじゃない……って、自分のことも弁明してるみたいだけど……」

 沙也さんはそこまで言って、改めて俺の方を見て言葉を続けた。 

「それに……ちょっと嬉しかったかも。泣いてしまったのが私だけじゃなかったのが」

「……?  嬉しかった?  ……の?」

「うん。自分と同じなんだなって、思ったら嬉しかった。……。変かな?」

 沙也さんの言葉に、俺の胸がトクンと音を立てた。

”嬉しい”と言われ、一瞬身体の芯がじわっとしびれるような動揺が走しる。

沙也さんが、俺の答えを待つようにこちらをじっと見たので、俺は慌てて首を横に振った。

「ううん。変じゃないけど……逆にそんな風に言われると」

(そんな風に言われると──めちゃくちゃ……)

「俺の方が嬉しいよ」

 そう言いながら、改めて沙也さんの顔を見ると、さっきの涙の余韻だろうか、彼女のまつげがまだ少し濡れていて、瞳も潤んでいるように見えた。

そんな憂いのある顔を見てしまったら、胸の鼓動がどんどん早くなるのを止められることが出来ない。


(やっぱり……好きだ……)


──そう改めて確信した瞬間だった。


「もうすぐ夕飯の時間だね。急ごうか」

 少し前を歩いてた祐太が振り返り、後から歩いてくる俺達をせかすように呼んだ。

「ああ、ちょっとゆっくりしすぎたみたいだな。早く部屋に戻って着替えなきゃ」

 俺も、何事もなかった顔して歩くスピードを上げ、エレベーターに乗り込んだ。


 沙也さん達との部屋とは階が違うので、先に俺達がエレベーターを降りた。

エレベーターの扉が閉まったところで、祐太が俺の顔見て急にニヤリと笑う。

「なに?」

「沙也さんと、何話してたの?」

 祐太は興味津々に俺の顔を覗き込む。

「いや、特に大したこことは……」

「なんか、いい感じじゃん」

「……どうかな」

 照れ臭くって先に歩き出した俺を、祐太はすぐに追いこし、にやけた顔で話を続ける。

「俺もね、瑞樹ちゃんに色々聞いてみたんだよ沙也ちゃんのこと」

「え?」

「瑞樹ちゃんも、まだ知り合ったばかりで、詳しくは分からないみたいだったけど、彼氏はいないっぽいよ」

「……そうなんだ」

 その情報はとても嬉しいけれど、今は照れ臭い方が勝って、つい、そっけない返事になってしまった。

「なー大貴。これは奇跡の再会なんだから、もっと積極的に行こうよ」

「んー」

(奇跡……だよな。本当に)

 でも正直、俺の中ではまだ複雑な心境もぬぐい切れない。

「な! 俺は大貴のこと思って言ってるんだよ。この奇跡を無駄にするなよ」

 そんな祐太の言葉にもテンションが上がらない俺の態度に、祐太はちょっともどかしいようだ。

でも、祐太が思っている以上に、無駄にしたくないという思いは大きく、密かに胸の中は熱くなっていた……。


「それから大貴くん」

「ん?」

「泣くなよ……も~」

「え!? ……気づいてたの?」

 驚いた。まさか祐太にも気づかれていたとは思わなかった。

「泣いてる顔は見えなかったけど、お前の動作で俺にはわかるの。何年一緒にいると思ってんの」

「……ばれないようにしたつもりだったのに」

 俺は思わず頭をくしゃっと掻いた。

「俺にはバレバレだよ」

「祐太には隠し事出来ないよな。……いや、もうこれは自分でも、制御できなくって」

「ガキの頃思い出しちゃったよ。覚えてる? 小学校の頃大貴の家族と、俺の家族と一緒に花見に行った時……」

「花見?」

「ほら、あん時も大貴泣いちゃってたじゃん」

 そう言われ、遠い記憶が蘇ってきた。


 それは俺らがまだ小学校の低学年の頃、満開に咲いた桜が散り始めている頃に花見に行った時のことだ。

祐太の家族と俺の家族、他にも何組か家族が一緒だったような気がするが、その辺はあまり良く覚えてない。

満開に咲き乱れた桜が、風に揺られハラハラと花びらを降らしていた。

大きな桜の木の下に立ち、宙を舞う無数の花びらを見ていたら、その美しさと、花の命の儚さに切なくなってしまい泣いてしまったことがあった。


「……そう言えば、そんなこともあったな……」

「大貴の母ちゃんがさ、”なんで泣くの?!”って、何度も怒っててさ」

 祐太に言われて色々思い出した。

母親は、そんなことで泣いてしまう俺のことが理解できなかったのだろう。

男の子は強くあってほしいという思いや、周りの人達に対して恥ずかしさもあったに違いない。大きな声で何度も何度も怒鳴られた。

「泣いてないもん!……て、言い返してた俺?」

「そうそう。母ちゃんに顔が見られないように向こう向いて涙を拭ってた」


その日の夜、ベッドの中で一人……祐太に言われた花見の時のこと思い返した。


──なんで泣くの! 男の子なんだから! 恥ずかしいから! 泣かないの!──


そんな言葉で何度も、罵倒された。こわばった顔の母親の顔が脳裏に蘇る。

結局、俺は母親の望む、”強い男の子”にはなれなかった。

母親にとっては、きっと情けない息子でしかなかったんだと思う。

ずっと、母親の理想の息子になるために、頑張ろうとしていた自分もいて、でもその期待に応えられず、何度も心が押しつぶされそうになった。

大人になった今は、少しは母親の気持ちもわかるようにはなったつもりだけど、いまだに母親の顔を見ると、萎縮してしまう。


──だから、泣くことは恥ずかし事だと、ずっと思っていた。


でも今日、沙也さんが俺の涙を「綺麗」だと言ってくれた。

そんなことを言われたにのは、本当に初めてだった。

そう言ってくれた時の沙也さんの顔を思い出し、また胸の鼓動が早くなってしまう。


沙也さんが好きだ……笑顔だけじゃない。見た目だけじゃない。

もっと心の真ん中の部分で、惹かれていくのを感じている。


 ベッドの上で、そんな考え事をしながらしばらく天井を見ていた。

次第に眠くなってきて、うつぶせになって枕に顔をうずめる。

(今度こそ、この気持ちをちゃんと沙也さんに伝えたい)

あの時から終わってない、この遂げられない想いに決着をつけたい。

たとえ、失恋という形で終わったとしても……。

 そして、やっぱりあの時のことを知っているということも話そうと思った。

黙っていてもいいことかもしれないけれど、隠し事をするのはやっぱり苦手だ。

この先、恋人になれなくても、大切な友達として繋がっていたい……。

そのためにも、ちゃんと話しておきたかった。


 

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