第19話 胸に渦巻く不安

「これ、ケースに入れてく……」

 沙也ちゃんの声が途切れたすぐ後に、ドサッという鈍い音が聞こた。

慌てて振り返えると、地面に倒れこんでいる沙也ちゃんの姿が目に飛び込んできた。

収穫した野菜を、ケースに入れるために立ち上がろうとして、そのまま倒れてしまったようだった。

「沙也ちゃん!」

 俺は急いで駆け寄り、沙也ちゃんの上半身を抱えるように起こしてみる。

「……。ごめん……なさ……」

 意識がもうろうとしていたので、そのままぐいっと沙也ちゃんを抱き上げて、休憩室の小屋へ向かった。

中に入ると、クーラーが設置してあるわけではないけれど、日陰になっていて窓から入ってくる風だけでだいぶん涼しい。

木製のベンチが目に入ったので、そこに抱きかかえてる沙也ちゃんを寝かせることにした。

(あ……でもこのままだとちょっと痛そうだな)

 木製の座面が硬くて、寝心地がよくなさそうだったので、一度寝かせた身体をもう一度そっと起こして、自分の腰に巻いていた上着を敷いて寝かせなおす。


「沙也さん大丈夫かな」

 異変に気付いた祐太と瑞樹ちゃんも、一緒に駆け付けて沙也ちゃんの顔を覗き込む。

「具合悪いのに無理しちゃったんだね」

 俺は、そう言いながら沙也ちゃんの首にまいてあったタオルをとり、おでこの汗をそっと拭う。

「それに、今日はこの暑さだし」

「具合悪いって言ってくれればよかったのに」

「俺、ちょっとタオル濡らしてくるね」

 身体を少し冷やしてあげた方がいいだろうと思った。

「あ、私は冷たい飲み物もらってきます」

 瑞樹ちゃんも、機転をきかし飲み物をもらいに行ってくれることになった。


 沙也ちゃんのタオルは、汗拭き用にそのまま枕元に置き、俺は自分の荷物に予備のタオルが入れてあったので、それを取り出し水場まで走った。

「立花さん大丈夫?」

 途中で、同じ参加者の田中さんという女性が心配そうに声をかけてきた。

この女性は、ご夫婦で参加されている奥さんの方だ。

「はい。今ちょっと休憩室に寝かしてきました。熱中症か貧血かちょっとわからないですけど……」

「そう。体調悪かったのかしらね?」

「んー、たぶん朝から顔色があまり良くなかったから……」

「スタッフの人がちょうど今、この畑の持ち主の所にあいさつに行ってるみたいで、ここにいないのよ」

「あ? そうなんですか?」

「今、ウチの主人が呼びに行ってるから、すぐ戻ってくるとは思うんだけど」

「わかりました休憩室の小屋にいますので、戻られたら伝えて下さい」

「わかった。私も主人が戻ってきたら、様子見に行くわね」

「ありがとうございます」

 俺は急いでタオルを濡らし、すぐに走って戻った。


「タオル濡らしてきたよ……え?」

 そう言って休憩室へ駆け込んだその時……祐太が、沙也ちゃんの汗を拭いてあげるている姿が、目に飛び込んできた。

寝ていたはずの沙也ちゃんは起きていて、祐太がおでこや首元の汗を拭ってあげている。

その二人の距離感が、異常に近いように感じてしまい……。


──瞬間的に、嫌な記憶が脳裏に蘇ってきてしまった。

沙也ちゃんが中川に告白するシーン。

そして、二人が付き合いだし、いつも仲よさそうに寄り添って話してる姿……。

思い出したくない、消せない記憶が胸を貫く──


さらに、追い打ちをかけるように、昨夜の祐太の言葉が、心の中に響いてきた。


『──もたもたしてたら誰かにまた奪われちゃうよ』

『──なんなら俺が告白して奪っちゃおかな~』


今のこの状況と、それらは全く無関係だし、祐太の言ったことが冗談だということも理解しているつもりだ。

でも、言いようない不安が胸の奥でぐるぐると渦を巻き、その場で立ちすくんでしまった。自分でもどうかしてると思うのに、上手く気持ちのコントロールが出来ない。

とてつもなく重い石を、胸の中にドスンと置かれてしまったように、見えない暗闇に気持ちが引きずり落されていく……。


「沙也さん、意識戻りました? 水もらってきましたよ」

 ちょうどその時、ペットボトルの水を持って瑞樹ちゃんが戻ってきた。

「あ、ごめん瑞樹ちゃん。これお願い」

 俺はとっさに、濡らしたタオルを瑞樹ちゃんに渡すと、休憩室から逃げ出してしまった。



とにかく、人目のない所に行こうと思い、スタスタと早足で歩いて行った。

畑から少し離れたところに茂みがあるのを見つけ、そこに隠れるように入ってみた。

(息が苦しい……)

 それは、急いで歩いたせいではなかった。

泣きたいほどに、胸が締め付けられて苦しくてたまらない。

(何やってるんだよ俺は……?)

 頭を抱え込み、そこにあった切り株に座り込んでしまった。

こんな風に逃げてきてしまったら、祐太だけでなく沙也ちゃんにも嫌な思いをさせてしまう。これじゃ、まるで思い通りにならなくてふてくされる駄々っ子と同じだ。


こんな態度とって、人を困らせてしまうなんて……大人げない自分が嫌になる。

子供じみた自分の行動が、恥ずかしくなり頭を抱え込んだまま、髪をクシャクシャっとかき乱した。


「おーい大貴ぃ~どこ~」

 祐太が俺を追ってきて、探している声が聞こえてきた。

でも俺は、どんな顔して会えばいいのかわからず、返事をすることが出来ない。

そのまま、見つからないようにじっと息を殺していた。


──でも


……勘のいい祐太にはすぐ見つかってしまう。


「いたいた。もーこんなところでかくれんぼ?」

 そう言えば、子供の頃やったかくれんぼでも、祐太にはすぐに見つけられていたのを思い出した。

「……」

 祐太には、いつも敵わないなと思っていた。今も……。

「大貴……ごめ……」

「わかってるんだよ!」

 思わず祐太の言葉をかき消すように、強い口調でそう言った。

「大貴ぃ……」

「……わかってるんだよ……祐太はそんなつもりじゃないってことなんて!」

 何かを拒むように、俺は言葉を強く言い放つ。

そんな俺をなだめるように、祐太は、そっと横にかがみこむと、肩に手をかけてきた。

「なぁ大貴。とりあえず謝らせて。ごめん。なんか、また勘違いさせるようなことしちゃったみたいで、本当に、昨日から色々ごめん」

 必死で謝る祐太に、俺は首を大きく横に振って見せた。

「昨日言ったことは、俺のこと思って言ってくれてることだって、わかって……」

「いや、昨日のことは、悪い冗談すぎた。本当に悪かったと思ってる」

 祐太はすまなそうに、俺の顔を覗き込む。

祐太の優しさを感じ、胸が熱くなった。


子どもの頃に遊んでいて、けんかしたことが何度かあった。

そんな時、いつも先に誤るのは、祐太からだった。

でも、今思えば、祐太が怒るということは、ほとんどなかったかもしれない。

俺が、一方的に怒ってふてくされてしまうというパターンが、ほとんどだった気がする。

今回のことと、同じように。


「……祐太が悪いんじゃない。なんか俺、おかしくなっちゃてるよ。自分自身の中にコントロール出来ないことがあって、ちょっとのことで感情がぐらぐらしてしまうんだ。自分でもどうしようもなくって、どうしたらいいかわからなくて……ホント自分でも情けない……」

 そう言うと、急にせつない思いがこみ上げて涙が出そうになる。

「もー大貴ぃー。そんな悲しそうな顔してー」

 そう言って、祐太は自分の首にかけていたタオルで、ポンポンと俺の溢れかけた涙を拭ってくれた。

いつもなら、そういうのは恥ずかしくて、すぐに拒否するのだけど、なぜかこの時だけは素直に受け入れてしまった。

「大貴はさ、凄く繊細で俺にはないきめ細やかさも持っていて……本当に優しい奴だよ」

 そんな言葉に、さらに涙が溢れそうになる。

「ばーか。そんなに優しいこと言うなよ。泣いちゃいそうになるじゃん」

「くくっ。もう泣いてるじゃん。もっと泣いていいよ。俺がその涙拭ってあげるから」

「もういい。やめろ」

「やめないよ。大貴がね自分がダメって思ってることって、本当は逆なんだよ。消極的って思うのかもしれないけど、それはちゃんと相手のこと考えているからでしょ? 俺みたいにズカズカ入り込んで相手のこと何にも考えないのと違って、大貴はいつも一番に相手のこと考えてるんだよね」

「……」

「沙也ちゃんも、お前のその優しさに気が付いてると思うよ。お前みたいなヤツに愛された彼女は幸になれると思うよきっと。自分のことより相手のことを一番に考えることって、簡単そうで意外と難しいから」

 祐太は小さい時からそうやって、何かあると俺を褒めて慰めてくれた。

「相変わらず、褒め上手だな」

「まぁね。でも嘘は言ってないよ」

 昨夜から少しぎこちなくなっていた二人だったけれど、こうしていつもの二人の会話に戻れて、少しホッとする。

「それからさ、あの時、沙也ちゃんのこと傷つけたっていうけど、よーく考えてみな。あの出来事はお前のせいなんかじゃない。沙也ちゃんが、あの中川っていう奴を好きになってしまったことも、ある意味運命。お前が、止めたって止められなかったことだから。沙也ちゃんも、お前も、それぞれ違う形で傷ついてしまったかもしれないけど、それもいい経験をだと思ってさ、いつまでもそこに囚われてないで、次のステップに進んで幸せになって欲しいなって……俺は思うわけよ」

「……」

「ま、俺がこれ以上言わなくても、わかっているだろうけど」

「……早く、気持ちリセットしなきゃ……って、ずっと思ってはいる」


「たぶんさ、大貴も沙也ちゃんもその深い傷のせいで、ずっと苦しんでいるのかもしれないけど、なんか、その時間ってもったいなくない? それよりもこれから二人で一緒に楽しい時間を過ごすこと考えた方が絶対いいって。結果、その傷もお互いに癒しあえるんじゃないかなって思うよ」

「癒しあえる?」

「そう、お互いのことよくわかると思うし。傍から見たら似た者同士」

 祐太はそう言ってクスっと笑った。

性格が似ているかどうかはわからないけど、話すペースや笑う場所が同じだったり……

「……似てるのかな?」

 そう言えば、夕陽を見て泣いたのも一緒だった。

「うん。感覚的なことが似ているんだと思う。あ、それから……昨日さ、”いつまで待つ気なの?”みたいなこと、つい、言っちゃったけど、それ却下ね。大貴が待てるんだったら、焦らずとことん待ってあげていいと思う」

 祐太にそう言われ、自分がすごく焦っていたことに気づいた。

”待つ”と言った言葉とはうらはらに、気持ちは結果を急ぎすぎていたのだ。

「ん……そうだね。……沙也ちゃんが、本当の意味でちゃんと答えだしてくれるまで待つ……俺にはその選択しかないかな。その時間はきっとお互い必要な時間だと思うから」

「そうだね。よしよし。大貴はがそう思うなら、それが正解だ!」

「ありがとう。 俺、なに焦ってたんだろうね」

「それはさ、やっぱり……好きだからじゃない?」

「……!」

 祐太の言葉に、照れ臭くなって思わずプッと吹き出した。

「待った分だけラブラブな時間がやってくるさきっと。でも、俺の勘じゃ、待つ時間はそんなに長くないと思うよ」

「え……?」

 そんな風に言われ、急に恥ずかしくなり顔が熱くなってしまう。

「大貴くん、なに想像して、赤くなってんの?」

「ばーか。そんなんじゃないから」

 あわてて否定する俺を見て、祐太は声を出して笑った。 


「戻ろうか? 沙也ちゃんのことも心配だし、瑞樹ちゃん一人置いてきちゃったし」

 俺は頷き、一度大きく呼吸をして、胸をゆっくり撫でおろす。

「うん。戻ろう」

 立ち上がると、祐太がポンッと俺の肩を軽く叩く。

それ以上は何も言わなかったけれど、祐太の優しい思いが伝わってきた。

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