第11話 海の見える窓辺の席で

 ホテルで借りた自電車に乗り、緩い坂道をゆっくりと下って行く。

空は渡り、風が心地よい絶好のサイクリング日和だ。

ついスピードが上がってしまうので、ブレーキをかけながら時々後ろからついてくる沙也さんを確認した。

「大丈夫?」

「うん。大丈夫~。風が気持ちいいね~」

 そう言って微笑む沙也さんの顔は、この空よりも爽やかでまぶしい。

最高の天気と、沙也さんの笑顔……このまま、どこまでも走って行きたいくらいの気分だ。

長い坂を下りきると、交差点ににぶつかり、とたんに視界が開けた。

太陽の光を受けて、キラキラと光る海が広がっている。

水平線までくっきり澄み渡る空と繋がる海には、遠くに浮かぶ船やウインドサーフィンをしている人たちも見えた。


「海だぁ!」

「綺麗だね」

 二人で顔を見合わせて声を上げた。


どこまでも広がる綺麗な景色に心が沸き立つ反面、カフェに近づくほど、密かに緊張が高まって行く。


「自転車で来て正解だったね」

 沙也さんが嬉しそうに声を弾ませる。

「よかった。自転車で行くの嫌がられたらどうしようってちょっと思ったけど。そう言ってもらえて安心した」

「嫌がるなんて、そんな。自転車に乗るの久々でちょっと心配だったけど、全然嫌いじゃないよ。むしろ好きかも」

「なら、よかった」

「それに、この景色も最高だし風も気持ちいい!自転車できたのは本当に正解だったと思うよ。何度でも来たくなるね」

「そうだね」

 こんなに喜んでくれるなんて、我ながらいいチョイスだったと思う。


 そこからすぐの所にカフェの建物が見えた。

ネットで紹介してあった通り、おしゃれなログハウス調の建物だ。

自転車を止め、コーヒーの香りが鼻をくすぐる。

 あまり広くないその店内には、コーヒーの香りと一緒にアットホームな空気も流れている。

 運よく窓際の席が空いていたのでそこへ二人で座った。

窓の外には、海が見え最高のロケーションだ。

店内には、静かなヒーリング系のBGMが流れていて、ゆっくり話が出来そうだ。


(いきなり本題には、入りにくいな……)

 そう思い、しばらくは違う話でこの雰囲気になじむことを考えた。

「沙也ちゃんは……」

 今日、実はひそかに一つ決めていたことがあった。

今まで沙也と呼んでいたのを沙也と変えること。

これは、祐太からの助言でもあった。その方が、もっと親しくなれて距離が縮まるはずだと、昨日、アドバイスしてくれたのだった。

「沙也ちゃんは、甘いもの好き?」

 さんを、ちゃんに変えるだけなのに、一人緊張しまくる。

でも、沙也さんは何も気づかない。

「うん。好き。よく友達とかとカフェに行ったりしてケーキやパフェ食べるよ。大貴さんは?」

「俺も。......まー男一人じゃあんまりカフェには行きにくいんだけど、ケーキ屋に行ったりとか、コンビニスイーツとか買って食べたりはする」

「へーそうなんだ。ケーキ屋さんにいる大貴さんの姿を想像すると、ちょっとかわいいかもっ」

 そう言いながら、沙也ちゃんはクスクスと笑う。

「え? ……かわいいって……」

 俺は急に照れ臭くなって顔が赤くなってしまった。

「あは。ごめん。でも、なんか大貴さんらしいかも」

 沙也さんは、少し肩をすぼめながらもう一度小さく笑った。

そんな仕草は、あの頃と変わらない。


「沙也ちゃんは、どんな仕事をしていたの?」

「私は……下請けがメインの小さな会社だったけどね、そこの広報の仕事。そこに入って色々新しいことも学んだし、楽しかったの」

「そうなんだ。なのに急にそんなことになって本当に大変だったね」

 沙也ちゃんは、勤めていた会社が突然倒産し、強制的に解雇されてしまったことをこの前話してくれた。

「噂で会社の経営状態があまりよくないことは、ちょっと聞いていたんだけど、まさか突然こんなことになるとは思ってなくって。社長も何も言ってくれなかったし、本当にある日突然……って感じ」

「そうだよね。そりゃ誰だって動揺するよ」

「本当に、途方に暮れるっていう体験を初めてした気がする」

 沙也ちゃんは、そのままうつむきゆっくり目を伏せた。

そんな悲しげな表情に、俺の胸もきゅうっと苦しくなる。

「帰ったらまた就活かな?きっといい仕事見つかるよ」

 なんとか、元気づけたいと思うものの、ありきたりの言葉しか出てこない自分がもどかしい。

それでも、沙也ちゃんは小さく頷き、俺に笑顔を作って見せた。

「ありがとう。……大貴さんは? どんな仕事しているの?」

「俺はSEの会社で企画の仕事をしていて……」

「エス……イー……?」

「システムエンジニアね。クライアントに合わせたシステムを構築していく仕事」

「うーん。なんか難しくて大変そう」

「まぁ、大変だけど、俺も今の仕事楽しいって思ってる。結構、海外からの依頼もあって色んな世界の人たちとの交流もあるから、本当にたくさん刺激がもらえる」

「へー……大貴さん、なんか……すごいんだね」

 沙也ちゃんはちょっとポカンととした顔で俺を見る。

これ以上仕事の話をすると、つい熱く語りすぎそうだったので、セーブしてこの辺で押さえることにした。


一瞬の間があき、俺は小さく息をついた──。


「そう、ところで、この前の話すって言ったことだけど」 

 いよいよ本題に入る。

「……うん。くじ引きのこと?」

 沙也ちゃんが小さく首を傾げる。

「そう。なんで入れ替わったかというとね……」

「祐太は、俺が沙也ちゃんと一緒のグループになりたいんだろうと思って、あの時とっさにそうしてくれたんだ。なんでかって言うと……」

 緊張が走り、胸がドキドキと波を打つ。

「沙也ちゃんは……」

「……?」

「沙也ちゃんはね、俺の初恋の人なんだよ」

「……えっ?」

 沙也ちゃんは、驚いた顔で目をパチパチさせる。

「覚えてないよね。……ていうか、沙也ちゃんの記憶の中にはきっと俺は存在してないんだろなぁ」

「……ごめん。何もわからない。大貴さんは私のこと前から知ってたこと?」

 沙也ちゃんが、戸惑っているのは顔を見ればすぐにわかった。

「そういうことになる。こっちこそごめんね。……気持ち悪いよね? 会ってまだ数日の男に、突然初恋の人だっとか、ずっと思ってたとか言われたら引くよね」

……沙也ちゃんのことは諦めていたはずなのに、”ずっと思ってた”……という言葉が無意識に出てしまう。

「ずっと……思ってたくれての? 私のこと……?」

 まだ、動揺が隠せない沙也ちゃんは、ゆっくりと言葉を探すように問いかけてくる。

「うん。正しくはもう諦めていたんだけど、今回のこの田舎留学で再会して、再びあの頃の気持ちが蘇ってというか……あーごめん。マジで。でもちゃんと話しておきたかった」

 だんだん、話している内にどう伝えていいのかわからなくなってきた。

「再会? ……えっと、本当に思い出せなくて悪いんだけど。どこで私のこと知ってくれたの?」 

「それも本当は言っていいのかどうか、迷うところなんだけど」

 ここから先は、本当に話していいのか、この瞬間もまだ迷っていた。

「言って。そうしないと私のこの辺がモヤモヤのままだから」

 沙也ちゃんは、少し前のめりにになり俺の顔を覗き込んだ。

ここまで、話して往生際が悪いとは思いつつ、なかなか言葉が出てこなかった。

「……うん。──学生の頃通ってた英会話教室で……」

「え?」

「……中川のことは、もちろん覚えてるよね」

「あ……」

 沙也ちゃんの表情が、すーっと変わった。

更に、心が苦しくなって行くのを必死でこらえながら、話を続ける。

「俺と中川は、大学で知り合って仲良くなって、よく一緒にいたんだ」

「もしかして……?」

「そう。英会話教室の時も一緒にいた」


二人の間に、何とも言えない空気が流れる──。

 

「……もしかして、大貴さんは私が中川さんと付き合ってたことも、全部知ってるの?」

「いつも一緒にいたからね……嫌でも知ってる」

「そっか……」

 沙也ちゃんはカクンと肩を落とし、息をフーっと吐いた。

「ごめんね。思い出したくないよね」

「みっともない姿見られちゃったんだよね。……哀れな女だよね私。もしかして、同情した? それで好きかもって勘違いしたんじゃ?」

「違う! 違うよ」

 それは、大きな勘違いだ。

俺は、何度も首を大きく横に振った。


俺は、そうではなく中川と沙也ちゃんが付き合うずっと前から、好きだったことを伝えた。


「……何も気づいてなかった。ごめん」

 

そんな沙也ちゃんの言葉も、ちゃんと受け止められないまま、沙也ちゃんに恋したあの頃の記憶をたどるように話す。

「友達と楽しそうに話してる姿、誰かに英会話を教えてる姿、教室の講師に頼まれて山のようなプリントを落とさないように運んでいる姿とか。いつも笑顔で一生懸命で、キラキラ輝いて見えた。きっとみんなに信頼されるいい子なんだろうなって。俺は君の笑顔に惹かれ、本気で恋をした」

 沙也ちゃんは遠い記憶を思い出すように、瞳が小さく揺れる。

一方的に話過ぎてるとは思ったけれど、とにかく最後まで話してしまうしかなかった。

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