第22話 この思いを今もう一度

──ただ、その約束の場所というのが思いもしない場所で、ちょっと驚いてしまった。


 昨日、今日会う約束をした後、沙也ちゃんからここに来てほしいという連絡が入った。

その場所は、あの悪夢が起きたあの場所……。

そうそれは、あの時沙也ちゃんが、俺の目の前で中川に告白をした公園だった。


 電車で近くの駅まで行くと、すでに約束の時間を過ぎていた。

そこから数分かかる公園まで、少し小走りで向かう。

大学の頃通っていた英会話教室も、あの一件があって辞めてしまい、このあたりに来たのはそれ以来だった。

あの頃と変わらぬ景色と風の匂いが、胸の奥でキュンと蘇えらせる。

でも、決して嫌な思い出ばかりではなかった。


 まだ今より少し幼かった俺は、この街でどんな未来を想像していたのだろう。

あの頃自分が目指す職種に就きたくて、それにかかわるものは何でも学びたいと思っていた。

英会話も、将来的に絶対必要だと思って始めたことだった。

沙也ちゃんと中川のことがあった後、一度は辞めてしまったけれど、実はまた別の教室に通ってたのだ。


──失恋してずっと落ち込んでいただけではない。


俺なりに、気持ちを切り替えて前を向く努力をしてきたと思う。

ずっと、全てを必死にやっていたような気がする。そして、それは今も変わらない。

 あの頃、頑張ったから、今の会社にも入れたし……今の俺がいるのだ。

そう考えると、自分は決してダメな人間ではないと思えて来た。

つい弱い自分にばかり焦点を合わせてしまうから、いけないのだと。

自己評価の低さは、小さい頃からそうで……厳しい親に、何につけてもダメしされて育った癖なのかもしれない。


でも今、自分のことを客観的に見て改めて思った。ちょっと弱くてダメな部分もあるけど、それだけじゃなくて自分なりに頑張って強くなった部分もたくさんある。

一人の人間として……男として、成長できているはずだ。

(うん……!)

約束の公園までの、懐かしい街の景色ながめていたら、頑張ってきた自分をちょっと褒めたくなった。


 公園に着く少し手前で、いったんスピードを緩め息を整える。けれど、胸の鼓動だけは徐々に上がっていった。

田舎留学から帰ってきて、まだそんなに日にちはたっていないのに、現実の時間に戻ってから忙し過ぎて、もうずっと前のことのようだ。

沙也ちゃんにも、ずっと長い間会ってないような気さえしてくる。

 緩めた足をまたすぐに早め、公園の中に入って行くと、すぐに沙也ちゃんの姿を見つけた。沙也ちゃんもほぼ同時に俺に気づいて振り向いた。


「ごめん!待たせちゃっ……あ……」

 俺を待つその愛らしい姿に、思わず声がつまり、一瞬立ち止まる。

(か、可愛い……)

 この前より髪の毛が少し短くなっていて、おしゃれな服がすこぶる似合っている。

愛おしさがどうにも抑えきれないほどに、胸いっぱいに広がって、全身が痺れるような感覚を覚えた。

「あ、えっと、ごめん。仕事終わって急いで来たんだけど、ちょっと遅れちゃったね」

「ううん。大丈夫だよ。……スーツ姿を初めて見たからちょっとドキッとしちゃった」

 そう言いながら、沙也ちゃんは照れ臭そうにちょっとうつむく。

「それは、こっちのセリフだよ。今日の沙也ちゃん、すごくかわいくって……。あ、……いつもかわいいけど、今日はさらにかわいい」

 沙也ちゃんはチラッと俺を見てフフッと微笑んだ。

「ありがとう」

「それに……髪……切ったんだね」

「うん」

 一つ一つのしぐさが、たまらなく可愛いくて、今すぐにでも抱きしめたくなりそうな気持ちを必死で抑えた。


「……でも、どうしてこの場所に?」

 何故、わざわざこの場所を選んだのかがわからなくて、俺は首をかしげる。

「うん、あのね……。もう一度、ここからやり直せないかなって思って。時間は戻せないし過去は変えられないかもしれないけれど、ここに来て、記憶を上書きしたいって思ったの」

「上書き?」

「そう。あの時、相手間違って恋しちゃった私と、告白できなかった大貴さんの気持ちに上書きできないかなって。だからほら髪形もあの頃と同じくらいの長さにしてみた。服はさすがに若い時と同じスタイルにはできなかったけど」

(そんなことを、考えてくれたなんて……)

 その気持ちが嬉しくて、感動で胸がいっぱいになる。

沙也ちゃんが敢えてこの場所を選んだということは、それなりの覚悟もしてきたに違いない。できれば忘れてしまいたいであろうこの場所に来るということは、また嫌な記憶が蘇って苦しむんじゃないかと心配になった。


「……大丈夫?  ここに来るの辛くなかった?」

「それが、思ったより平気だったの。自分でもちょっとびっくりしたけれど」

 実は、それは、俺も同じように思っていた。

ここに来るまでは、どんな気持ちになるのか不安もあったけれど、意外に何ともない自分がいた。

むしろ、若い頃に必死で頑張っていたことをたくさん思い出し、嫌な思い出だけじゃない事に気がついた。


「そう。大丈夫ならよかったけど……」



──一瞬、時が止まったかのよう空気が二人の間に流れる。


 その空気をすっと動かすように、沙也ちゃんが顔をあげ、何かを決したように頷いた。

「大貴さん……お願いがあるの」

「なに……?」

 突然、何をお願いされるのかわからなくて、きょとんとしてしまう。

「ここで、あの時出来なかったことを、してもらえないかなって」

「えっ……?」

「ここで……私に……あの時出来なかった告白を、して……もらえませんか?」

(コクハク……?) 

 一瞬、その言葉に込められた思いが理解が出来ずに、すぐに返事ができなかった。

数秒かかって、やっとその意味を理解する。

記憶の上書きというのは、そういうことなのかと改めて納得した。


 こうやって沙也ちゃんが考えて、貴重なこの機会を作ってくれたことに、ちゃんとまっすぐに答えなくては思った。

あの頃の弱っちい自分に呼びかけるように、心の中で発破をかける。

(今のお前なら、大丈夫。がんばれ!)

大好きな目の前のいる彼女に、この思いを今もう一度……。


 少し緊張して肩に入った力を抜くように、一度大きく息をつく。

「……わかった。ありがとう、沙也ちゃん」 

 沙也ちゃんは、黙ったまま俺の言葉を待ってくれている。

「……立花沙也さん」

 震えそうな声を、ぐっと押さえながら名前を呼んだ。

「……はい」

 沙也ちゃんは、俺を真っ直ぐに見つめたまま、静かに頬笑み返す。

「君と一緒にいると楽しくって、話をしててもペースが同じですごく居心地がいいんだ。それに、その素敵な笑顔を見るだけですごく癒される……。心がいつも沙也ちゃんを求めてしまう。だからこれからもずっと一緒にいたい。……ずっとそばにいてほしい。……好きだよ。昔も今もこれからも。ずっと」

 あまり流暢とは言えないけれど、今の気持ちを素直に、一つずつゆっくり言葉を探して並べていった。

さっきまで、真っ直ぐに俺を見ていた沙也ちゃんは、少しうつむき加減になり頬がほんのりピンクに染まっていた。

 そして、照れ臭そうに上目遣いで俺のことをチラッと見た。

その瞳が、少し潤んでいるように見えたのは、俺の見間違いではなかったと思う。


 沙也ちゃんから返ってくる言葉を待つ時間が、とても長く感じた。

自分の胸の鼓動だけが、とくとくと身体いっぱいに響き渡る。

大きな期待と同時に、まだ確信が持てない不安も残っていた。


「ありがとう。……私も……大貴さんのことが好きです。私でよかったらずっと大貴さんのそばにいさせてください」


 沙也ちゃんの言葉と同時に、柔らかな風が吹いてきて、沙也ちゃんの前髪がふわりと揺れた。

この瞬間、二人の心のあの嫌な思い出に上書きされた。


本当に、この再会は奇跡というより、神様からのプレゼントだ。

大好きな彼女が、今、目の前にいて、お互いに気持ちを伝えあって……通じ合うことができた。

改めて、その幸せをかみしめる。


──大好きなあなたが、ずっと一緒にいてくれますように──


 二人で、見つめ合いちょっと恥ずかしくなって照れ笑いをした。

空は、少しずつ夕刻の時間を知らせるように、ほんのりオレンジ色に深まっていく。


「そうだ。沙也ちゃん。今から少し時間ある?」

 ここに来るまでに、俺はある場所のことを思い出していた。

大学の頃、英会話教室の前の空き時間に、この辺りをよく散策していた。

その時に、見つけていた取って置きのその場所に、ぜひ沙也ちゃんを連れて行きたいと思ったのだ。

「……うん。もちろん大丈夫だよ」

「ちょっと、見せたいものがあるんだ。今なら間に合うかな」

「?」

「行こう!」

(間に合いますように!)

 そう願いながら、スタスタと歩き出す。

先に一人で歩き出した俺を、沙也ちゃんも慌てて追うようについて来た。

(あ……おいて行っちゃだめだよね。一人で先に行っちゃ……)

 俺は、振り返り沙也ちゃんの手を、ぐいっと握った。

もう一人じゃない喜びを、心でこっそり感じながら、沙也ちゃんの手を引いて歩き出す。

「……どこに行くの?」

「いいから。すぐ着くよ」

 沙也ちゃんも、俺の顔を見ながらその手ををキュっと握り返してくれた。

小さなその手は、少しだけ冷えていて、自分の手の温度との差を感じる。

(女の子の手って、やっぱり繊細で壊れそうだな……)

 そんなことを思いながら、俺の体温でゆっくり温めるように、もう一度指を絡め深く握りなおした。




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