第17話 君を守りたい

「あのね。私……。わたし……」

 そう言いながら俺の腕を掴む沙也ちゃんの手が小さく震えている。


(もしかして、この前の返事をしようとしている?)

 そう気づいた瞬間、急に胸の鼓動がトクトクと高鳴った。

「沙也ちゃん……。いいよ。無理しないで」

 沙也ちゃんが俺のこと気づかって、急いで返事をしようとしているのかもしれないと思った。

「ちゃんと、言いたいの。ちゃんと……。今……聞いてほしい」

 手だけでなく、声も身体も小さく震えている。

これは、二人きりで話しをしなくてはいけない状況だとすぐに察した。

このままでは、祐太達が気づいてこっちに来てしまうと思ったので、場所を変えることにした。

「ちょっと、こっちにおいで」

 沙也ちゃんの震える手を、そっと握りそのままお店の壁伝いに歩いて行き、裏の方に回る。幸い、祐太たちには気づかれなかったようだ。


 沙也ちゃんの顔がすごく緊張しているのが分かった。

ここで、返事をもらえるとは予測していなかったので、俺も少し戸惑った。

答えが「ナシ」ならば、抱いた淡い恋の夢もここで儚く終るだろう。

……答えを聞くのは正直怖い。

でも、きっと一生懸命考えて、必死で伝えようとしてくれている沙也ちゃんの

答えを聞かなくてはいけない瞬間がきたのだ。

 俺も覚悟を決め、一度目を伏せ心を落ち着かせてから、沙也ちゃんとまっすぐ向き合った。


「……いいよ。聞くよ」


 俺がそう言うと、沙也ちゃんはゆっくり頷きながら息を飲み込んだ。

「私……。私ね」

 力が入りすぎているのか、沙也ちゃんの言葉がなかなか出てこない。

でも、俺は焦らずじっと沙也ちゃんの言葉を待った。

「私、大貴さんのことが……。大貴さんこと……」


(俺のこと……?)


その続きの言葉は「好き」であってほしい──。


この前、話した時には「アリ」なのか「ナシ」なのか教えてほしいと伝えてあった。

でも、今のこの雰囲気はその段階を飛び越えて……

(もしかして、告白しようとしてくれてる?)

 沙也ちゃんのほんのりピンクに染まった頬と、俺を見る潤んだ瞳を見て、その期待は高まる。


でも……”人を好きになるのが怖い”そう言っていた沙也ちゃんが、たとえ俺に好意を抱いてくれたとしても、そんなにすんなり告白なんてできるはずがない。

きっと今、彼女はそれを必死で乗り越えようとしているのだと思った。


「……俺……待ってもいいの?」

 恐る恐る、聞いてみる。


沙也ちゃんは身体を震わせながら「うん」と頷く。

(よかった……)

 俺は思わず、全身の力が抜けてしまい、同時に大きくを息を吐いた。

「……もう少しだけ待ってほしいの。もう少しだけ時間をください……」

「ありがとう……。嬉しいよ……。俺は待つから。だから慌てないで」

 沙也ちゃんの、震える手をそっと包むように握る。

「……沙也ちゃん。俺のこの気持ちは簡単には揺るがないよ。……ちゃんと沙也ちゃんの気持ちが整理出来るまで待ってるから。だから、大丈夫安心して」

 沙也ちゃんの潤んだ瞳が小さく揺れた。

「うん」

 頷く沙也ちゃんの手を、もう少し強く握りしめる。

「……気持ち伝えてくれてありがとう」

「うん」

 小さく頷くしぐさが、たまらなく可愛い。

「俺、フラれると思ってたから……。今すごく嬉しい」

 俺の言葉に、沙也ちゃんは首を横に振った。

きっと、フラないよって言いたかったのだろう。

「大丈夫? 少し落ち着いてから、祐太達の所に戻ろうね」

「うん。ごめんね……」

 沙也ちゃんの、今にも涙が溢れそうな瞳から目が離せなくなる。

「そんな顔されると……。あー……」

 たまらなくなり、自分の気持ちを制すように首を大きく横に振った。

「……抱きしめたくなるよ。でも……今は我慢しなきゃね」

 沙也ちゃんは何も言わず、じっと俺のことを見ている。

沙也ちゃんの涙につられ、俺も思わず涙が溢れそうになった。

お互いウルウルしながら、しばらく黙ったまま見つめ合う……。


 込み上げる愛おしさを、もうこれ以上抑えることが出来なかった。

「……ごめん。今だけ」


俺は、ゆっくり沙也ちゃんの身体を引き寄せた。


──君を守りたい。


 ガラス細工のようなその華奢な身体を壊さないように、そっと抱きしめる。

やがて、震えていたその肩から、すーっと力が抜けていくのがわかった。

沙也ちゃんの息の音も、だんだんとゆっくになり、俺の胸にピタリと身をゆだねてくれくれた。

出来ることなら、このままずっと抱きしめていたい。

でも、それが許されるわけもなく、仕方なくゆっくりと背中に回した腕の力を緩め、身体を離した。


「ごめんね。”待つ”って言ったばかりなのに……。気持ちが抑えられなかった」

「ううん」

 沙也ちゃんは、恥ずかしそうに下を向いたまま首を横に振る。

さっきの緊張してた表情はすっかりなくなり、穏やかになったように見えた。

ゆっくりと顔を上げた沙也ちゃんと、視線が絡み合う。

お互いちょっと照れ臭いのをごまかすように、静かに微笑んだ。



その日の夜──


 ベッドに寝っ転がり、今日のことを思い返していた。

沙也ちゃんを、思わず抱きしめてしまったことを反省する。

(なんで抑えられなかったかな……本当に、俺)

 今、急ぎすぎることはあまりよくないのはわかっていた。

この数日で急展開したこの状況に、自分自身がついて行けていないところもある。

(物事には順番があるだろ……本当に、俺)

 もう、いい大人なんだから、慌てずに1つずつ進めていかないと、押しすぎると引かれてしまう可能性だってある。

(もう少し、冷静になれよ……本当に、俺)

 突然の再会で蘇った「好き」という思いが、どんどん膨れ上がっていってしまって、気持ちのコントロールが出来なくなっている。

(情けないな……本当に、俺)

 俺の身勝手な思いに、沙也ちゃんを巻き込んで苦しめてしまってるのかもしれない。

「あ~も! ……本当に俺ってヤツは!」

一人で考えていたら、居たたまれなくなって頭を抱え、思わず大きな声を出してしまった。

手元にあったスマホを取り、祐太に連絡を入れてみる。

「まだ、起きてる?」

『バリバリ起きてまっせ。どうかした?』

 すぐに返信が来た。

「ちょっと話したいことがあるんだけど……今から大丈夫?」

『いいけど、今シャワー浴びたばっかでパン一だから、こっちの部屋に来て』

「了解。俺が来るまでに服は着てて。パン一姿見たくないから」

『そう言わずに、俺の美ボディ見てやって』

「ノーサンキュー! ご遠慮願います」


 祐太の部屋へ行くと、祐太はTシャツに短パン姿で待っていた。

「……服、着たんだ」

「え? 俺の美ボディ見たかった? 脱ごうか?」

「脱ぐな。見たくないから」

「そう言わずに~ほれほれ」

 祐太はそう言いながら、ふざけてTシャツをピロピロめくって見せた。

「いいから。ちょっと、まじめな話したいから、やめて」

「まじめな話って……どうせ、沙也ちゃんのことだろ?」

「んーまぁ、そうだけど」

「どうなったの? あれから何か進展した?」

「あったんだけど……」

 今日のことを、少しずつ祐太に話していく。

さっきまでふざけていた祐太も、真剣な表情に変わり俺の言葉をじっくり聞いていた。

「待ってって言われ、待つしかない状態なわけ?」

「俺は……待つからって言った」

「それって、なんか蛇の生殺し状態じゃない?」

「まぁね。でも待つって言ったのに、沙也ちゃんの顔見たら我慢できなくって……」

「え? キスした!?」

「いや……抱きしめた」

 そこまで言って、急に恥ずかしくなり顔がカーっと熱くなってしまう。

「なーんだ。大貴可愛いな。俺ならその状況だったらキスだな、キス!」

 祐太は赤くなった俺の顔見ながら、クスクスと笑った

「いや、いきなりそれはちょっと……。抱きしめたことだって、ちょっとダメだったかなって思ってるのに」

「嫌がられた?」

「……それは……そうでもなかった……と思う」

「じゃぁ、それはもう完全に大丈夫じゃん?」

「そうなのかなぁ……?」

「そうだと思うよ。嫌だったら拒否られるでしょ」

「んーけど、もしかしたら嫌と言えなかったのかもしれないじゃん」

「考えすぎだって。もしそうだったら沙也ちゃんの表情や雰囲気でわかると思うよ」

「んー嫌な顔はしてなかった……かな」

 あの時の沙也ちゃんを抱きしめた時、緊張していた表情が穏やかな表情に変わった。

「もー大貴! がんばれ! 自信持て!」

「祐太なら……どうする?」

「え? 俺? 俺はたぶん待てないタイプだから、それはもうお付き合いOKだとみなしてグイグイ行っちゃうかも」

「グイグイって……そうできる状況じゃないって」

「それか、いつまで待てばいいの? って聞いて、そんなには待てないよって言うかも」

「そんなこと言ったら、じゃあ付き合えませんって言われそうだし」

「なんで、そんなにネガティブなの?」

「それは……自信がないから」

 そこまで言って、しばらく二人で黙り込んでしまった。

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