不思議な声
―――
「どういう事……?全然わからないわ。あんたが何を言いたいのか。」
蝶子の言葉にうんうんと頷く蘭だった。いや、もはや蘭の頭の中はハテナマークだらけだ。
「偽の書状は本当で……何だかややこしいな。とにかくその書状は義元から見たら本物と思わせなければいけない。その上で更に嘘をつくのだ。」
「それが『信長から狙われている。匿ってくれ。』という事ですか?」
「そうだ。」
「何でそんな嘘をつかなきゃいけないのよ?」
「蘭丸は密偵に行くのだぞ?一日で何がわかる?」
「あ……」
蝶子が口を開ける。蘭も同じような顔になった。
(そうだ、密偵って事は何日か張りついてないと情報が得られない。という事は……)
「狙われている振りをして城に居座れと、いう事ですね?」
「あぁ。筋書きは、尾張から駿河に来る途中で誰かが後をつけてくるのに気づいた。よく見るとそれは織田家の家臣だった。何故見張られているのか考えたところ、一つだけ思い当たる節がある。それは信長に歯向かった事。信長はきっとそれを根に持ち、自分を抹殺しようとしているのだ。今川に書状を持って行けと命令したのもわざとに違いない。だから一目散に逃げてきた。……とまぁ、こんなところか。」
「あんた……小説家にでもなったら?凄い想像力ね。」
「小説家?何だ、それは?」
信長のごもっともな質問に、蝶子ががっくりと肩を落とした。当たり前だ。この時代に『小説家』という言葉はない。
「上手く潜り込めたら、まず元康を懐柔しろ。」
「懐柔って……俺にそんな腕はないですよ。それに元康は曲者なんですよね?」
「まぁ、簡単ではないがお前は意外と人の懐に入っていくのが上手い。嫌われる事はないと思うぞ。」
「そ、そうですか?」
何気に褒められて照れる蘭。蝶子はそんな蘭を呆れた顔で見た。
「で?そもそも何で蘭が密偵なんて仕事しないといけないの?何が目的?」
「言っただろう。義元には『物体取り寄せ』という力があると。」
「……あ!まさかその力を使わせるのが目的…ですか?」
蘭が控え目に聞くと、信長は頷いた。
「お前達はタイムマシンとやらがあれば元の世界に帰れるんだろ?」
「え、えぇ……」
「義元の力でそのタイムマシンを出してもらえば万事解決。お前らは未来に戻れる。どうだ?お前達の為になるだろう?」
笑いながら言っているが、何処か悲しげな表情の信長だった。
それを見た蘭は即座に首を振る。
「それは多分無理です。」
「何故だ?義元は何でも取り寄せる事が出来るのだぞ?」
「まずタイムマシンはそう実在するものではありません。優秀な科学者である蝶子の親父さんでさえ、作るのは難しいそうです。俺達が乗ってきたやつは俺の親父が作った物ですが、ポンコツだからここに着いた瞬間壊れてしまった。つまり実用可能なタイムマシンは何処にもないんです。」
「でも架空の物でも手に入れられるんでしょ?その義元って人。じゃあ実在してなくても出来るんじゃない?」
蝶子の言い分にも蘭は首を横に振る。
「もし出来ても、そんな架空の物に乗ろうと思うか?」
「……思わないかな。」
一瞬考えてそう答える蝶子。それに頷いて蘭は言った。
「という事ですから、義元にタイムマシンを出してもらうというのは、無理があると思います。」
「…………」
「あ!でも、ありがとうございました!俺達の為に色々と考えてくれたんですよね。信長様って本当は優しいんですね。」
「煩い。蘭丸のくせに主君である俺の意見を退けるなど、百年、いや千年早い。」
そっぽを向いて怒っているが、その頬は若干赤い。初めて見るそんな姿に、蝶子の顔がニヤけた。
(へぇ~可愛いところあるじゃない。)
「……まぁ、無理だと言うならこの案は却下だ。今のところはな。」
「今のところ?」
「この先何があるかわからん。もし義元の力が必要になる時がきたら、その時は……」
「はい。さっきの作戦を実行するんですね。俺、やります。」
「蘭!」
「強くなるって決めたから。俺に出来る事を出来る範囲でやりたいんだ。それに……」
「それに?」
オウム返しをする蝶子に、ニッと笑って蘭は言った。
「今川義元と松平元康に会いたいんだ。一体どんな人なんだろ~な~」
一瞬の沈黙。そして蝶子の叫び声が響いた。
「私の心配を返せ!」
―――
信長と話をした日から数ヶ月が過ぎた。
相変わらず蘭は台所番と稽古の日々で、蝶子は蘭の応援と市との恋バナに一日を費やしていた。
ここ最近は特に何事も起こらず、実に平和な日常が清洲城に流れていたのだった。
その日は光秀も勝家も用事があるとの事で稽古は急遽休みになったので、蘭と蝶子は二人で市の部屋に遊びに行く事にした。廊下を歩いていると、突然曲がり角から誰かが飛び出してきて危うくぶつかりそうになる。慌てて顔を上げたら、それは市だった。
「市様!どうしたんですか?そんなに慌てて……」
「あ!蘭丸に濃姫様。大変なんです!!」
珍しく取り乱している市に蘭達は顔を見合わせた。
改めて市の方に視線を戻すとうっすらと額に汗をかいていて、その只事ではない様子に蘭も不安を募らせた。
「一体何があったんですか?まさか信長様に何か……」
自分の顔が青褪めるのがわかった。
信長は今日は確か出掛けたはずだ。出掛けた先か、それとも道中で狙われたのだろうか。
「市さん落ち着いて。とにかく部屋に行きましょう。話はそれからです。」
一番冷静な蝶子がそう言うと、市はホッとした様子で頷いた。
「そ、そうですね。すみませんでした。取り乱してしまって……さぁ、わたしの部屋にどうぞ。」
先頭に立って歩いて行く市の背中を、蘭は不安を抱えたまま追った。
―――
「失礼しました。余りに驚いたものでつい……」
「大丈夫ですよ。それより本当にどうしたんです?信長から連絡でもあったのですか?」
部屋に着くなり謝ってくる市を宥めて蝶子が聞くと、市は興奮気味に言った。
「お兄様からではないのです。もちろん信勝でもありません。」
「え……じゃあ誰が……?」
蘭と蝶子は戸惑いながら市を見た。
市の『共鳴』の力は兄の信長と弟の信勝と、後は亡くなった父の信秀だけのはずである。一体誰と『共鳴』したというのか。
「それがわからないんです。」
「わからない?」
「先程ここに一人でいたら突然声が聞こえたんです。女の人なのか男の人なのか、どちらとも言えない声でした。『お嬢様!蘭さま!』と何回も叫んでいて……」
「え!?」
「それって……」
蝶子が叫び、蘭は絶句した。その呼び方に聞き覚えがある蘭と蝶子は、開いた口が塞がらない。
「そのお方、わたしと同じ名のようです。『イチ』という風に誰かに呼ばれておりました。こんなに鮮明に誰かの心の中が……いえ、その方が発した言葉や周囲の会話までが聞こえた事など初めてです。『蘭さま』というのは蘭丸の事ですね?『お嬢様』というのは濃姫様の事でよろしいですか?もしやこれは貴方達がいた未来から届いた声なのではないでしょうか。」
蘭達に口を挟む暇も与えない程の勢いだった。そうでなくても茫然とし過ぎて何も言えなかったのだが。
「それ多分……私の家の家政婦ロボットのイチです。」
「ロボット?」
「えぇ。家の事を何でもやってくれる、家族のような人です。」
蝶子がイチの事をそう説明する。『人』と言い変えたところに、蝶子とイチの絆を感じた。
「でも……そんな事があるのかな?イチの声が届くなんて……」
蘭は腕を組んで首を傾げる。
(確かにイチは高性能のロボットだけど、次元の違うこの世界と通じる事が出来るのか?それとも蝶子のおやっさんが何か改造した……?)
「その声ってどのくらい聞こえたんですか?」
「そんなに長くは続きませんでした。聞こえなくなってからもしばらくはこちらから声をかけたのですが、それきりです。」
「そうですか……」
蝶子が残念そうに俯く。すっかりイチとの『共鳴』を信じているようだ。
蘭は腕を解くと二人に向かって言った。
「もしそれがイチならまた連絡してくるかも知れません。でもいつくるかもわからないし、俺達が側にいない時にきたらまた市様が混乱してしまう。……蝶子。」
「何?」
「悪いけどお前、しばらく市様とここで寝起きしてくれないか?そしてイチから連絡きたらお前も近くにいて、出来れば話せるといいんだけど。」
「うん、わかった。市さん、迷惑かも知れないけど、協力して下さい。お願いします。」
二人して頭を下げると、市は微笑んで頷いた。
「もちろんですわ。貴方達には早く元の世界に帰って欲しいと思っていますから。その為なら喜んで協力致します。まぁ少し淋しいですけれど。」
苦笑する市に蝶子も一瞬淋しそうな顔になるが、にっこり笑った。
「イチと連絡取れたからと言ってすぐ帰れる訳ではないですよ。じゃあ私は布団とか寝巻の用意をしてきます。ほら、蘭!あんたは運ぶの手伝って。」
「わかったよ……」
蝶子の勢いにしぶしぶといった感じで答える蘭だった。
「それでは今夜から蝶子をよろしくお願いします。もしイチから連絡きたらまずは蝶子と対応して、俺に報せるのは後からでいいですから。」
「わかりました。」
「あ!そういえば体調は大丈夫ですか?いつもと違う状況だったみたいですし、無理したんじゃあ……」
「大丈夫です。少し疲れましたが、これくらい平気ですよ。」
「無理はしないで下さいね。具合が悪くなったら蝶子にすぐ言って下さいよ?」
「まぁ。心配性ですね。蘭丸は。」
「市様に何かあったら信長様に叱られますので……」
照れ臭そうにそっぽを向く蘭を、市はくすくすと笑って見ていた。
「それじゃあ市さん。また後で。」
「はい。お待ちしております。」
深々とお辞儀をする市を残して、蘭と蝶子は一旦部屋を後にした。
―――
廊下を歩きながら二人はしばらく無言だった。蘭も蝶子もさっきの市の話した内容について、頭の中で色々と考えていたからだ。
蝶子の部屋に入ったタイミングで蘭が口を開いた。
「なぁ。これは一体どういう事だと思う?イチが未来から呼びかけてきたなんて有り得ると思うか?」
「何、それ?市さんが嘘をついてるっていうの?」
「いや、そうじゃない。市様がイチの事なんてわかるはずないし、市様は本当に声を聞いたんだと思うよ。」
「じゃあ……」
「でも次元が違うはずのこの世界とどうやって繋がったのか謎なんだ。もしかしておやっさん、俺達がここにいる事を突き止めて、イチを改造したんじゃ……」
「えーー!?まさかあんなに綺麗な外見を厳ついゴリラみたいにしたんじゃないでしょうね!」
「…………」
蝶子の意味不明な心配に蘭は思わずずっこけた。
「ま、まぁ外見はともかく、おやっさんが俺達の為に動いてくれてるって事は確かかもな。ポンコツ親父も関わってなきゃいいけど。」
「でもおじさんの作ったタイムマシンでここに着いたんだから、手ほどきくらい聞いてるかもよ。」
「う~ん……微妙だな。おやっさんに全部任せた方が安心だと思う。」
「……ホントに自分の親を信じてないわね……」
蝶子の呟きに力強く頷く蘭だった……
「でもまぁ、また市様に連絡が入るのは確実だと思うんだ。その時は頼むぜ。」
「任せて。会話とか記録できるように筆と紙を持って行くわ。夜中でも大丈夫なように枕元にちゃんと準備して寝る。」
「張り切ってるな……くれぐれも市様の体調に気をつけてな?」
「わかってるわよ。じゃあ早速布団運ぶよ!手伝ってね。」
「ハイハイ。」
「『ハイ』は一回!」
―――
どうしてイチの声が聞こえたのかは良くわからなかったが、取り敢えず蝶子は市と共に過ごす事になったのだった。
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