義元の力


―――


「なるほど。噂通りの人物なのだな、織田信長という人は。少し歯向かっただけで暗殺しようとするとは、非道な事をする。よし、わかった。蘭丸、お前をしばらく預かろう。」

「ほ、本当ですか!?」

「うむ。この書状の通りなら、信長公は今すぐ挙兵するつもりはないようだ。こちらとしても無駄な争いはしたくない。まぁいつかは滅ぼさないといかんが、それは今ではない。そうだろう?元康。」

「はい。今はまだ時期尚早です。甲斐・相模両国ともう少し関係を深めてからでないと。」

 義元の問いに、元康が表情一つ変えずに言う。それを見た蘭は流石だと関心した。



 元康に全てを話した蘭はその後、帰ってきた今川義元に面会した。元康の口添えのお陰か以外とすんなり受け入れられ、見事潜入に成功した。

 心配していた書状の件も偽物だとバレなかったので、ホッと胸を撫で下ろしたところだった。


(それにしても……こうして見てても従順な家来にしか見えないんだけどなぁ。)


 蘭は義元と話している元康をこっそりと盗み見た。

 何年も側に仕えていて情など沸いてもおかしくはないのに、独立したいという願望だけで生きてきたという元康。義元に対して何も思うところはないのだろう。信長から良い返事が来たらきっとあっさりと寝返るのだ。


 自分だったらそんな風に割り切れないなと思ってため息をついたところだった。義元が不意にこちらを向いた。思わず背筋が伸びる。


「元康から聞いているが、お前はわしの力が必要なのだろう?『物体取り寄せ』の力は一日に一度、しかもそれなりに体力を消耗する。そう頻繁に使えるものでもない。それにわしはお前を信用した訳ではない。信長公と密かに繋がっていて全部戯言だという事も有り得るからな。」

 鋭い視線を向けられて冷や汗がこめかみを伝う。バレていないと思ったのは勘違いで、実は全部知っているのではないか。そう思って焦っていると義元の笑い声が降ってきた。


「ははは。そんな顔をするな。今すぐお前をどうこうするつもりはない。わしの力が必要ならいくらでも貸してやる。ただこういう駆け引きめいた事は信長公の父上の信秀とせめぎ合っていた時以来であるから、ふと昔を懐かしく思っただけだ。まさかこの歳になって、しかも好敵手のご子息と頭脳戦をする事になるとは、思いもせんかったよ。ははははは。」


(やっぱりこの人、全部お見通しなのか……?書状が偽物だって事も気づいてる?いや、義元はただ単に面白がってるだけだ。無駄な争いはしたくないって言いながら、さっき自分で言ったみたいに駆け引きが大好きな人間なんだ、きっと。)


 蘭は心の中でそう結論づけると、改めて頭を下げて言った。


「信長に狙われているのは本当なんです。どうか俺をここに置いて下さい。何でも致しますので。」

「ふん。好きにするがいい。」

「ありがとうございます!」

「力が欲しい時は元康に声をかけろ。」

「はっ!」


 嬉しくて笑顔を見せる蘭を表情の読めない顔でじっと見つめた義元は、元康に向き直りこう言い放った。


「蘭丸に部屋を用意しろ。」




―――


 清洲城 市の部屋



「蘭……大丈夫かなぁ?」

 蝶子が不安そうに呟いた。隣で市とねねが何とも言えない顔で俯く。


 三人が心配するのも無理はない。蘭が今川の邸に行ってから一週間が経っていたのだ。その間忍者の長信からは何の連絡もなく、無事に潜入出来たのかもわからない状況だった。


「まさか……蘭はもう……」

「考え過ぎです、帰蝶様。便りがないという事は、少なくとも最悪の状況にはなっていないという事です。大丈夫です。大丈夫ですよ。」

「市さん……」

「あ、光秀さんがこちらに走ってきてます。」

「え?」

 ねねが廊下を見つめながら言うので、蝶子と市は揃って廊下を振り返った。確かに光秀がこちらに向かってくる。急いでいるその様子に蝶子はますます不安が募った。


(何の報せ?やっぱり蘭に何かあったんだわ……!)


「帰蝶様!たった今手紙が届きました。それとこれを。」

 光秀が手紙と風呂敷包みを蝶子に手渡す。蝶子は不安半分、期待半分という表情で、取り敢えず風呂敷を開いてみた。もちろん、光秀が部屋を出て行ってから。


「こ、これは……」

 そこには偏光フィルターや電極、外部端子等といった、液晶モニターを作る上で欠かせない物が入っていた。蝶子が紙に描いた全ての材料が揃っている。みるみる内にその大きな瞳に涙が溜まっていった。

「ホントに……やってくれたんだ。あいつ、無事に成功したんだ……」

 まるでうわ言のようにそう呟く。茫然としている蝶子を微笑んで見つめていた市は、光秀が廊下を去ったのを見届けてからそっと蝶子に手紙を持たせた。


「帰蝶様。蘭丸からのお手紙です。何が書いてあるのか、わたし達にも聞かせて下さい。」

「……はい。」

 着物の袖で涙を拭うと、手紙を開いた。ねねがそっと襖を閉める。


「えっと……『俺は無事だ。義元は半信半疑の様だけど、しばらくの間は匿ってくれるそうだ。力の事も必要ならいくらでも使えと言ってくれている。こんなに上手くいったのは実は協力者がいたからなんだ。聞いて驚くなよ?あの松平元康がずっと今川を滅ぼそうと計画していたんだ。そして信長に助けを求めてる。勝家さんに仲介を頼んだから、もうすぐ返事がくるだろう。織田と松平が同盟を組めば、義元なんて恐くない。いつか桶狭間で滅ぼす事が出来る。でもそれはタイムマシンを取り寄せてからだ。だから早くモニターを直してタイムマシンの絵を完成させてくれ。いいか。分割してだからな。それを長信さんに渡してくれ。その材料を見てわかる通り、義元の力は本物だ。絶対上手くいく。頼んだぞ。

 追伸 市様、ねねちゃんによろしく言ってくれ。』だって。」

 ふぅっと息をつくと、蝶子は改めて風呂敷の中身を見た。フィルターも電極も端子も見間違える事なく本物だ。蝶子はまた一つため息をつくと、風呂敷を縛り直して立ち上がった。


「帰蝶様?」

「ちょっと部屋に行きます。夕方には戻るから。ねねちゃん、市さんをよろしくね。」

「任せて下さい!」

「くれぐれも無理はなさらないで下さいね。」

「わかってます。じゃあ。」

「行ってらっしゃいませ。」


 二人に深々と頭を下げられた蝶子は苦笑しながら、廊下を足早に歩いて行った。




―――


「えっと……『弘治二年、1556年4月。斎藤道三が子の斎藤義龍との戦いで敗死(長良川の戦い)』って書いてある。で、『同年8月に信長と家督争いを繰り広げていた弟の信勝は稲生で激突するが、結果は信長の勝利に終わった(稲生の戦い)。信長は、末盛城などに籠もった信勝派を包囲したが、生母・土田御前の仲介により、信勝・勝家らを赦免した』これはこっちの世界ではちょっと違うな。勝家さんは元々信長の家臣だったんだから。」


 蘭は歴史のテキストを見ながらぶつぶつと呟いた。


 実はテストとして、蝶子の欲しい道具を取り寄せる前に蘭の部屋の机に置きっぱなしになっていた歴史のテキストを、義元に取り寄せてもらったのだ。

 これが手に入った事で義元の力は本物だと確信した蘭だった。次のページを捲る。


「って事は年が明けてるから今は1557年って事か。あ、続きがある。……『しかし永禄元年、1558年に信勝は再び謀反を企てる。この時、柴田勝家の密告があり、事態を悟った信長は病と称して信勝を清洲城に誘い出し殺害した』……え?」

 余りの事に絶句する。慌てて二度見するが書いてある内容は変わらなかった。


(信じられない……信長が信勝さんを殺す?そりゃ仲の良い兄弟じゃないけど、まさかそんな……)


 否定しながらも頭の何処かでは仕方のない事なのかも知れないと思い始めていた。

 この世の中は弱肉強食、親兄弟関係なく争う時代。特に信長は天下統一を目指している身だ。情けは禁物なのだろう。


 ここはパラレルワールドとはいえ、戦国時代だ。大筋でこのテキスト通りに事が進んでいくのだろう。

 蘭は一度目を瞑ると、次のページを捲った。




―――


「どうですか?見えてます?」

 イチの声が市の部屋に響く。蝶子も市もねねでさえ沈黙しているので、イチが不安そうに言った。

「あの……お嬢様?」

「見える!見えるよ、イチ!凄い!流石私!」

「えぇ、良く見えます。帰蝶様の父上様もはっきりと。初めまして、市と申します。帰蝶様には大変良くして頂いております。これでまた一歩近づきましたね。お帰りになられる日まで。」

「わぁ~すごーい!これが未来のお屋敷ですか?何か雑然として薄暗くて怖い感じですけど、帰蝶様のお父様も少し怖いですね。でも嫌いじゃないです。イチさんは驚くくらい綺麗ですね。本当に市様と似ています。あ、タイムマシンというのはそこにある物体ですか?」

 ねねが無邪気にそう言って、蝶子の父親の康三の後ろを指差す。康三は流石に怒る気にもならないようで苦笑して頷いた。



 蝶子は道具を手に入れてからたった数日でモニターを完成させた。そして今日、初めてその成果を試す事になった。ちょうどイチから連絡があったからだ。

 緊張しながら市にモニターを持ってもらってねねとそのモニターを覗き込んだ瞬間、画面にイチと康三が映ったという訳だった。


 どうやらイチは腕にモニターを装着しているらしかった。お陰で顔がはっきり見え、外見が変わってない事を確認した蝶子はホッとした。

 そして視線をねねが指差した方にやる。そこには五分割くらいに分けられた、タイムマシンの姿があった。


「そうとわかれば早速やりますよ。」

「じゃあよろしくね。ねねちゃん。」

「はい!」

「こっちの二つはまだ未完成だから間違うんじゃないぞ!」

「はーい。」

 慌てた様子の康三に軽く返事をすると、ねねは集中し出した。


 そして数十分後、完成した方のタイムマシンの一つをねねの『念写』の力で無事に紙に写す事が出来たのだった。




―――


 蘭が今川の邸に潜入を開始した日から半年が経った。

 義元は未だに蘭が織田の密偵の可能性を疑っているようだったが、『物体取り寄せ』の力は気前よく使わせてくれた。得体の知れない鉄の塊が庭に現れても動じる事なく、むしろ蘭が何を企んでいるのか面白がっているようだった。


 不安になって元康に、「全部知られてしまったらどうしよう。殺されるかも知れないですよね?」と言うと、「もしそうなったら戦を始める」と無表情で言われて背筋が凍ったものだ。


 だけどとにかく、これまでは事が上手く運んでいるようなので蘭は安心した。



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