最後の会話


―――


 清洲城 大広間



「もう一年経つのだな。蘭丸が今川に行ってから。」

「えぇ。松平元康の手助けのお陰もあるのでしょうが、まさかこんなに粘れるとは思いませんでした。良くて半年かと。」

「それだけ早く帰りたいのだろう。」

 投げやりにそう溢す信長は、やはり何処か淋しそうだった。


 主君信長が蘭や蝶子に感情移入しているのは勝家だけじゃなく、城の人間なら誰でも気づいている事だ。裏山で遭難していたのを拾ったと聞かされてはいるが、それだけではないと訝かしむ者は少なからずいる。勝家もその一人だ。


 現に今信長が溢した通り、蘭が今川に行ったのは二人が故郷に帰る為に必要な事だと言うが、それも意味が良くわからない。

 でも勝家は忠実な家臣として信長が言う事をそのまま受け止め、決して深く詮索しないと心に決めている。そうやって生きてきたのだ。


「ところで信長様。ご報告がございます。」

「あぁ、そうだったな。何だ。信勝の事か?」

 唐突に居住まいを正す勝家を見て、信長も少し身構えた。


 勝家は蘭の事は忍者の伴長信と松平元康に任せ、ここ数ヶ月の間は末森城の信勝の方に張りついていたのだ。

 今日は重大な報告があって一旦帰城したところであった。


「はい。信勝様は謀反を企てているようです。近々挙兵するつもりの様子。どういたしましょう?」

「うむ……」

 想定内の言葉だったが謀反人が実の弟だけあって、複雑そうな顔をした。

 しばらく腕を組んでいたが徐に立ち上がると言い放った。


「俺が病を患ったと偽りの書状を送れ。罠だと思っても奴は必ず来る。城に誘い出して……殺せ。」

「……はっ!」




―――


「信長様。信勝様がいらっしゃいました。」

「移ると悪いから隣の部屋にいろと伝えろ。それと、ここには誰も近づけるな。兄弟水入らずで、話したい事がある。」

「畏まりました。」

 光秀が下がると、信長は布団の上で上半身を起こした。


 やがて数人の足音がして隣の部屋の障子を開け閉めさせる音がした後、また足音が聞こえて遠ざかって行った。



『兄上。聞こえるか?』

「信勝か。」

 突然頭の中に信勝の声が聞こえてきた。信長は予想通りだと一人自嘲する。


 信勝は罠だと知っててここに来る。そしてこうやって『共鳴』の力を使って話しかけてくるだろうと思っていた。

 信長は一度大きく息を吸い込むと、自分も『共鳴』モードにした。

 こうして二人は初めて、お互いに意思を持って会話をした。



『子どもの頃の事はすまなかったと思っている。あの当時俺は兄上の事が憎くてどうしようもなくて、折角探しに来てくれたのに……』

 そう切り出した信勝は語尾を濁す。『子どもの頃』というのは、初めて信長、市、信勝のきょうだいが『共鳴』の力を授かった時の事を指すのだろう。


 あの時迷子になった信勝を頭の中に響いてくる声を頼りに必死で探したのに、見つけた途端『何だ、兄上か。』という一言を残してまるで目の前で重厚な門を閉じたかのように拒絶された。それ以来、信長の『心眼』の力が通じない唯一の人になったのだ。

 その事を思い出していると、信勝は更に続けた。


『たった三つしか違わないのに嫡男というだけで、兄上は父上の跡を継ぐと決まっていた。そんなの不公平だとずっと思っていた。俺にも家督を継ぐ権利があるはずなのにって。でもあの時は姉上が来ると思っていたから、兄上が来たのを見てつい言ってしまった。ずっと後悔してた。織田家の家督を争いながらも、その事だけは心の何処かに残っていたよ。』

「信勝……」

『あーあ。やっと言えた。これで思い残す事は何もない。……兄上。俺の代わりに絶対天下を取ってくれよ。この世でその資格があるのは織田信長、ただ一人だから。』

「信勝!お前……」


 言葉だけを聞けば白旗を上げて諦めた敗者のようだったが、口調は明るくてまるで他愛もない世間話をしているみたいだった。

 信長は慌てて布団を蹴って廊下に出たが、信勝は一足早く廊下の向こうに消えていた。


 しばらくしてバタバタと大勢の人間が争う音と鋭い刀の音がして、またすぐに静寂が訪れた。

 茫然と突っ立っていた信長の耳に聞こえたのは『ありがとう』という信勝の最期の声だった。


「お前の遺言はしかと受け取った。必ずや天下統一を成し遂げる!」


 信長の瞳にめらめらと燃える炎が現れて、そして消えたのだった……



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