帰還、そして――


―――


 永禄元年(1558年)5月 今川家



「これで最後……」

「はい。蝶子の手紙によるとこれが最後だそうです。」


 庭に現れたタイムマシンを見つめながら元康が言うと、蘭は蝶子からの手紙を翳した。

 そこには蝶子の字で『これが最後です。成功したら帰ってこれるんだよね?待ってるからね。』と書かれていた。

 元康はふっと息を吐くと蘭の方を向いた。


「君は長信君とこのまま逃げて下さい。」

「えっ!?で、でも……」

「私も今日の内にここを出ます。松平家の居城だった岡崎城に集めた家臣達が待っていますから。」

 そう言って元康は微笑む。その顔を見て、蘭も笑顔を見せた。


(そっか。決心したんだな。今川から脱出する事を。俺にも待ってくれている人がいる。その為にも生きて帰らなきゃ。)


「長信さん。」

「お呼びですか。」

 庭に向かって呼びかけると忍者の伴長信が現れる。蘭は最後のタイムマシンの部品を指差した。


「最後の仕事です。これを城までお願いします。」

「畏まりました。」

「……じゃあ、俺も行きます。今まで本当にお世話になりました。」

「次に会う時は戦場ですね。義元が桶狭間に向かう三日前に書状をお送りすると、信長殿に伝えて下さい。」

「はい。」

 蘭は大きく頷くと右手を差し出した。一瞬驚いた顔をした元康だったがすぐに握り返してくれた。


「……それじゃ。」

「お気をつけて。」

 軽く頭を下げると、蘭は荷物をまとめて今川の邸を出た。




—――


 蘭が今川の邸に潜入して一年以上が過ぎていた。こんなに長い期間滞在する事が出来たのは、元康の手助けのお陰である。義元の機嫌を巧みにとったり、今川が同盟を結んでいる甲斐国の武田氏や相模国の北条氏らとの会合を開いて義元が普段邸を留守にするように画策したりと、全面的に協力してくれた。

 義元も力を使う事と庭に現れる奇妙な物体の正体については特に何も詮索せずに応じてくれたが、時々『本当に織田信長に狙われているのか。』といった事を鋭い目で聞いてきたりした。


『信長に暗殺されそうになっている。助けて欲しい。』と嘘をついて今川の邸に来た。

 元康のフォローで何とかここまできたが、流石に厳しくなってきたと思い始めた矢先、ついにタイムマシンの最後の部品が届いた。これで義元の力は必要なくなった。


 きっと義元も自分が蘭達に利用されていると気づいているだろう。もちろん蘭と信長が通じている事も。

 まさか今すぐに蘭を殺すなんて事はないにしても、このまま邸にいたらいずれやられる。だから元康はすぐに邸を出ろと言ったのだろう。

 義元の『物体取り寄せ』の力を使ってタイムマシンを取り寄せるという目的を達成した今、もうここにいる意味はないから。

 蘭は前を歩く長信の背中を追いかけながら、この一年を思い返した。


(生きた心地はしなかったし蝶子も側にいないから心細かったけど、手紙が届く度にちゃんと通じてるって思えたし頑張れたんだよなぁ。)


 電話やメールが進化した時代から来た蘭達にとって、手紙という手段は最早絶滅したも同然のものである。

 しかし何十通ものやり取りを経て、肉筆の温かさやいつ届くのだろうという楽しさを知って「手紙も案外悪くないな。」と感じた蘭だった。


「蘭丸様。もうすぐ着きます。」

 長信の声にハッと我に返る。顔を上げると思ったより近い所に清洲城はあった。


「着いた……帰ってきたんだ。」

「えぇ。さ、早く行って下さい。私はここで今川から追っ手が来ていないか見張っていますので。」

「わかりました。」

 長信に促され、蘭は一年ぶりに帰還した。




—――


「……お帰り。」

「うん。ただいま。」


 清洲城に着くと真っ先に蝶子が出迎えてくれた。市やねね、光秀は気を遣って遠巻きに見守っている。

 蘭は久しぶりの再会に変な気持ちになりながらも、荷物を置いて蝶子を真正面から見つめた。


「待っててくれてありがと。それにお前のお陰でタイムマシンを取り寄せる事が出来た。本当に良くやったよ。」

「バカね……モニター一つくらいどうって事ないわよ。それに頑張ったのはあんたでしょ。敵の懐に乗り込んで一年以上も……本当に、毎日気が気じゃなくて……でも無事に帰って来てくれて、良かった……!」

「蝶子……」

 蝶子が勢い良く抱きついてくる。蘭はよろめきながらもしっかりと抱きとめた。そしてポンポンと優しく叩く。


「泣くなって。」

「ぐすっ……泣いてないもん……」

「泣いてるじゃん。」

「うるさい!」

 思いっ切り胸を叩かれる。蘭の力が抜けた隙に素早く離れると、蝶子は涙を拭って腰に手を当てるといういつものポーズをした。

 懐かしいその仕草に蘭は思わず吹き出した。


「庭に来て。」

 蝶子はそれだけ言うと、すたすたと廊下を歩いて行った。




―――


「おぉ~~!」

「どう?まだ半分も出来てないけど。時々モニター通して父さんにアドバイスもらってるんだ。」

 庭に着くとまだ組み立て途中のタイムマシンがあった。蘭が想像していたよりも進んでいて、思わず歓声を上げる。


『へぇ~』なんて言いながらタイムマシンの周りをぐるりと回っていると、後ろをついてきた蝶子が遠慮がちに言った。


「あのさ、蘭……」

「ん~?」

「もうすぐ桶狭間の戦いってやつが起こるんだよね?」

「あー……うん。」

 戸惑いながら頷くと、蝶子は思い切った様子で顔を上げた。

「タイムマシンが完成したら、その桶狭間の戦いが起きようが起きまいが、私達は帰るんだよね?」

「蝶子……」

「ねぇ?私もう、あんたの帰りをじっと待つなんて出来ないよ。どれだけ心細くて心配したか……タイムマシンが出来たらさっさと戻るって約束して?ね?」

 詰めよってくる蝶子。蘭は慌ててその肩に手を置くと小さく首を振った。


「ごめん……約束は出来ない。」

「どうして……?蘭だってこんなとこ早く出たいでしょ?」

「そりゃ早く帰りたいけど、俺にはやらなきゃいけない事がある。」

「……信長を守る事?」

「あぁ。」

「…………」

 頷くと蝶子が鋭い目で睨んでくる。内心怯んだ蘭だったが目は逸らさなかった。


「はぁ~……そう言うと思ったわ。」

「え?」

「まったく蘭は……こうと決めたら梃子てこでも動かないんだから。泣き落としにもびくともしないし。」

「泣いてなかったぞ?むしろ脅っ……」

「はぁ?」

「イエナンデモ。」

 殺気を感じて慌てて顔を逸らす蘭だった。


「信長がどうなろうが知ったこっちゃないけど、蘭が決めた事ならもう口は出さない。私にもこれを完成させるっていう使命があるしね。」

「お前……」

「でもこれだけは約束して。絶対無理はしない事。帰る時は一緒じゃないと許さないんだから!」

「……うん、約束する。」

「よしっ!じゃあ指切りげーんまーん!!」


 にっこり笑って指切りを強要してくる蝶子に、蘭は苦笑しながら小指を出したのだった。



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