立場が違う!?


―――


「は……?妻?」


『妻になれ。』という信長の台詞に蝶子本人よりも先に蘭の方が反応した。情けない声で呟いたきり、口をあんぐりと開ける。そのまま銅像の様に固まった。

 一方蝶子はというと、信長に対して鋭い目を向けていた。二人の部屋の用意を自分の従者に頼んですぐ戻って来た光秀は、その様子を見てハラハラした。


 あんな目をして信長の神経を逆撫でするんじゃないか。せっかくここに置いといてやると言っているのに、逆らったりしたら本当にこの二人は殺されてしまう。

 そう思って光秀が声を出そうとした瞬間、立ち直った蘭が叫んだ。


「……濃姫って、濃姫って確か斎藤道三の娘じゃ……?」

 ちょうど昨日読んだ漫画に信長が祝言を挙げるシーンがあったのを思い出した。

 それによると信長は、美濃国の斎藤道三という武将の娘と結婚したはずである。そしてその娘の名前が『濃姫』だった。これは一体どういう事か……?

 蘭がパニックになっていると信長が怪訝な顔で言った。


「道三の事を知ってるのか。さてはお前……美濃から来たのか?」

「い……いえ!違いますっ!」

「ふんっ……まぁいい。お前らが何処の誰かを詮索するのは止めよう。俺は一度決めた事は突き通す男だ。蘭丸を家来にして濃姫を妻にする。これは決定事項だ。」

「でも……」

「納得出来ないって顔だな。……道三からは確かに和睦の為に娘を嫁がせたいという話がきた。まぁ、道三と親父との間で勝手に進められた政略結婚だったが、俺はさっきも言ったが誰とも結婚する気はなかったから断ったんだ。おい、光秀!」

「は、はい。」

 突然名前を呼ばれて光秀は慌てて返事をした。


「道三の娘の名は何といった?」

「え……えぇっと……」

「『濃姫』です。信長様。」

 口ごもる光秀に被せるようにして発言したのはサルだった。信長は光秀からサルに視線を移すとニヤリと笑った。


「流石はサル。記憶力だけはいいな。」

「勿体無きお言葉。」

 慇懃に頭を下げるサルを光秀は忌々しげに見た。


「偶然か何かの因果か同じ名前の娘が現れるとはな。道三の娘と一緒にならなくて良かったぞ。」

 信長が蝶子に近づき、その小さくて白い手を取る。そして徐に左手の薬指に口づけた。


「ちょっ!」

「なっ……!?」

 素早く手を引っ込める蝶子とまたもや固まる蘭を嘲笑うように見下ろすと、信長は凛とした声で言った。


「そういう事だ。光秀、サル。準備に取りかかれ。そうだな……明後日だ。」

「畏まりました。」

「承知致しました。」

 蘭と蝶子が何が何だかわからなくて動けずにいると、光秀とサルはそそくさと部屋を出ていった。


「い、今のは何の話ですか……?」

 恐る恐る問いかけると信長は当たり前の事のように言った。


「何を言ってる。俺と濃姫の祝言の話に決まってるだろう。明後日に決まったから準備やら何やらで忙しくなるぞ。取り敢えず今日は急遽用意した部屋で二人で寝てもらうが、明日からは別々の寝床にする。」

「え?」

「それはそうだろう。蘭丸は家来で濃姫は俺の妻、つまりお殿様の正室。立場が違う。」

「そんな……」

 ここにきて初めて聞く、蝶子の不安気な声だった。

『祝言』という言葉は22世紀の世界では死語だが、流石に意味は通じたらしい。

 右も左もわからない世界に来て訳もわかっていないのに、いきなり知らない人と結婚しなくてはならない状況にやっと頭が追いついて、急に現実味が帯びてきたのだろう。


 助けを求めるような顔を向けてくる蝶子に気づきながらも、蘭は何も言う事が出来なかった。


 目の前で不敵に笑う天下の織田信長に歯向かう勇気などどこにもないし、自分達の存在が歴史を変えてしまうのではないかとふと思ってしまった蘭であった……




―――


「あっ!思い出した!」

「キャッ!……ビックリしたぁ……何よ、突然。」

「いや、悪い。でも急にひらめいたんだ。聞いて驚くなよ?」

 そう言って蘭はタメを作る。蝶子は首を傾げた。



 ここは信長が用意させた部屋である。急ごしらえだったからか二枚の布団しかない殺風景な所だった。二人はサルに案内されてついさっきここに来たのだ。


 先程の信長の話が相当ショッキングだったのだろう。蝶子は部屋に着くなり片方の布団に崩れ落ちて、ついさっきまで微動だにしていなかった。

 蘭はそんな蝶子に気を使ってもう一つの布団に座って大人しくしていたのだが、ふと昨日読んだマンガを思い出して大きな声を出したという訳だった。


「な、何よ……早く言いなさいよ。」

 勿体つけて中々言い出さない蘭に痺れを切らした蝶子は、視線を逸らしながら言った。至近距離で見つめられて赤くなる。


「さっき信長が光秀って呼んだ人。覚えてるか?」

「えぇ。あの優しそうな人でしょ?部屋を用意しろって言われて一回出て行った……」

「そう。その人。」

「その人が何?」

「信長の家来で光秀って言ったら明智光秀に決まってんだろ!それにサルって呼ばれてた人は多分豊臣秀吉。信長にそう呼ばれてたってテキストに書いてあったもん。うわ~マジか~!本物見ちゃったぜ。っていうか色々あってそれどころじゃなかったけど、俺ら織田信長と会ったんだよな?話したんだよな?間近で見ちゃったんだよな?うぇ~~……」

 何だかわからないが変な声を出して感動している蘭を蝶子は呆れた顔で見た。


「感動してる場合じゃないでしょ!その信長のせいで私は好きでもないのに結婚させられるのよ?蘭だって家来にならないといけないし……こんな事なら二人共密偵の罪で死刑になった方がましだわ……」

「蝶子……」

 体育座りをして顔を伏せる蝶子を申し訳なさそうな顔で見つめる蘭。


 大好きな戦国時代に来て大好きな織田信長に会ってつい浮かれてしまったけど、今二人が置かれている現実は厳しい。

 タイムマシンは壊れ、帰る術がない。信長に見つかって殺されると思いきや、家来にさせられ、蝶子に至っては結婚を強要されている。

 逆らえば即処罰されるだろう。だからと言って素直に従うのも嫌である。


 だって蝶子は蘭の事が……


「そんな事言うなって。その内俺が何とかするから、取り敢えずここは言う事聞いて……」

「結婚しろって言うの?酷いよ、蘭!」

「お、落ち着けよ!わわわっ……」

 ポカポカと蘭の頭を殴ってくる。余りの勢いに押され、蘭は後ろ向きに布団に倒れた。間髪入れずに蝶子の体が被さってくる。


「……っ!」

「えっ……と…」

 途端、真っ赤な顔で固まる蝶子。蘭もどうすればいいのかわからず、身動きできずにいた。受け止めようとした両手は位置的にまずい気がして、宙に浮いたまま。


 そんな状態がしばらく続いて、いい加減手が疲れてきた時――


「あら、失礼。お取り込み中だったのね。」

「「へぇっ!?」」

 突然聞こえた声に二人してすっ頓狂な声を上げてパッと離れる。動けなかったのが嘘のような身のこなしだった。


 慌てて声のした方を見ると、開いていた障子の向こうの廊下に女の人が立っていた。こちらを見てくすくす笑っている。

 その笑顔は女の蝶子でも見とれる程綺麗だった。


 っていうか、誰かに似て……?


「イチ!?」

「本当だ、イチだ!お前何でこんなとこで……」

 同時に叫んだ時、何処かからサルが現れて蘭を羽交い締めにした。暴れる暇もないくらいの早業だった。

 呆然とする蘭に向かってその女の人が近づいてくる。そして静かな声で言った。


「藤吉郎、離しなさい。」

「ですが……」

「離しなさい。」

 凛とした声音と鋭い視線を浴びて、渋々という感じで蘭を離したサルだったが、控えめに口を開いた。


「申し訳ございません。この者がお市様の事を呼び捨てにしたので、つい……お許し下さい。」

 畳に膝をついて土下座するサルを見下ろした市は、ため息を一つ吐いた。


「貴方は戻っていいです。わたしは少しこの二人に用事があるので、呼んだら来なさい。」

「……承知しました。」

 まだ納得していない様子だったが、言われた通りサルは部屋から出て行った。


「これでゆっくり話ができますね。」

 その人はにこりと笑って障子を閉めた。そしてこの部屋の、恐らく上座に当たるだろう場所に座った。


「蘭丸と濃姫ですね。お兄様に話を聞いてどんな方々か見にきたの。まぁ……似合ってますわ。その着物。わたしの若い時の物ですが、大切にしまっておいて良かった。」

 蝶子の着ている着物を見つめて微笑む。褒められた蝶子は恥ずかしそうに俯いた。


「あの…貴女は……?」

「あら、わたしったらまだ名乗ってなかったですね。わたしはお兄様、織田信長の妹の市と申します。どうぞよろしくお願いしますわ。」


 その人……市は悠然とお辞儀をしてにっこりと笑った。


 その顔は蝶子の家の家政婦ロボットのイチにそっくりだった。



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