三人だけの密談
―――
「はぁ~………仕方がない。使いたくはないが、『心眼』の力を……」
「言います!うろ覚えですが俺が知ってる事を言います。」
「蘭……」
今まさに力を使おうとしている信長を制してそう宣言する。そんな蘭を蝶子が心配そうに見ていた。
蘭は蝶子に目で『大丈夫』と合図して息を吸い込んだ。
「今川軍が桶狭間で休息をとっているところを、織田軍が後ろから奇襲をかけて合戦が始まります。そして戦いの末、織田軍が勝利して今川義元は討ち死にします。この戦いは『日本三大奇襲』と呼ばれ、後世まで語り継がれる歴史上有名な合戦です。」
一気に捲し立てると盛大にため息を吐いた。
(言い過ぎたかな……?でも俺がここにいる理由はこういう事を教える為だし。今川は何も血縁関係とかないから変に感情も沸かないし。)
そう思っていると信長が笑いを噛み殺しながらこっちを見ていた。
「な、何ですか?」
「そんなに詳しく言われるとは思わなかったぞ。驚いたな。」
「え?あ、ちょっと…言い過ぎました……」
「構わん。それよりいい事を聞いたな。桶狭間で休息中に、ね。」
不敵な笑みを浮かべる信長に背中を震わせていると、当の信長が今思い出したというように扇子で左手を叩いた。
「あぁ、そうそう。義元と言えば『物体取り寄せ』という力があるそうだ。」
「物体…取り寄せ?」
蘭と蝶子は揃って首を傾げた。
「願えばどんな物体でも手に入れる事が出来るそうだ。それは実在する物はもちろん、架空の物や魔術を宿した物でも何でもいい。義元自身が脳裡に描いた物を何もない空間から出現させる。それが『物体取り寄せ』の力さ。」
「そんな……架空の物とかまで手に入れられるなんて万能じゃないですか!」
蘭が思わずといった様子で叫ぶと、信長は『まぁまぁ。』と両手を前に出して落ち着くように促した。
「ただし、力が使えるのは一日に一度。しかも体力の消耗に関しては俺や市の比じゃないらしい。あいつもそう頻繁に使う事はないそうだ。」
「そうなんですか。じゃあ戦とかで使う事は……まさかないですよね?」
「そう言えば親父が言ってたな。義元と戦っていた時、何処からともなく槍が現れて危ない目にあったと。」
「へ……?」
事もなげに言い放った信長を、信じられないものを見るような目で見つめる蘭と蝶子だった。
「滅多にはやらないそうだが、奥の手として稀にそういう姑息な事をするんだと。まったく油断のならない奴だ。『海道一の弓取り』という異名までつけられて、つけあがってるという始末だ。さっさと戦をして抹殺してやりたいところだが、あいつには松平元康がついている。これがまた曲者でな。」
「曲者?」
蝶子が聞くと、信長は肘掛けに体を預けて大欠伸をした。
「元康にも何かしらの力があるらしい。しかし誰もその真偽を知る者がいないのだ。」
「誰も知らない?どういう事ですか?義元も知らないって事ですか?」
「どうやらそうらしい。勝家の報告によると、元康は明らかに凡人とは違う雰囲気を持っているという事だ。だがいくら調べても絶対ボロは出さない。引き続き今川の城を見張ってもらってるが、新しい情報はまだこない。それに俺には心当たりがある。」
「心当たり?」
「元康が昔、織田家に人質として捕らえられていたと言っただろう。その時俺は一度だけ、元康と会った。」
そう言うと、徐に立ち上がって部屋の中をぐるりと歩き始めた。
「興味本意であいつがいる牢に行って、物陰からこっそりと覗いた。そうしたら不意に目が合ったのだ。その時何故だかわからんが、足元から旋毛にかけて一気に鳥肌が立った。でも次の瞬間には平常に戻っていた。俺は狐につままれたみたいになって、気づいたら自分の部屋にいた。」
そこで言葉と共に動きも止めた。蘭が今までの信長の話を整理しようと顎に手を当てた時、信長の声が降ってきた。
「という訳でだ、蘭丸。織田家の、俺の使いとして今川の城に行ってくれ。」
「……は?」
唐突な命令に蘭の頭は真っ白になった。
(今川の城に行け?誰が?……俺が!?)
「ど、どういう事!?何で蘭が行かなきゃいけないのよ?」
蝶子が勢い良く立ち上がって信長に詰め寄る。しかし信長はそんな蝶子には目もくれず、ただ蘭だけを見ていた。
「勝家は面が割れてる。一度元康に顔を見られたらしい。外堀から探るしか出来ない。でもお前なら顔も名前も知れ渡っていない。お前達が来てから今川の密偵は来ていないから、絶対に知らないはずだ。だから蘭丸を密偵として今川に送り込む。」
「そんな…密偵なんて出来ません!それにもし見つかったら……」
義元や元康に見つかって殺される自分を想像して、体が震えた。
「大丈夫だ。何かあった時の為に勝家を付ける。庭にでも潜ませて危なくなったら助けろと申しつけるつもりだ。」
「そんな事言われても……」
確かに勝家は頼りになるけど、駆けつける前にやられたらお仕舞いである。
これは何が何でも断らないと。そう思って顔を上げた瞬間、信長が言った。
「これはただの密偵ではない。お前達の為になるのだと言ったらどうする?」
「え……」
(俺達の為……?一体どういう事だ?)
信長のいつもと違う持って回った言い方にイライラしてきた蝶子の怒りがついに爆発した。
「ちょっと!何なの?さっきから……私達の為とか言えば蘭が大人しく言う事聞くとでも思ってんの?バカじゃないの!?」
「ちょ……蝶子……」
「密偵なんてそんな危ない事させられる訳ないじゃない!バレたらどうなると思って……いくら勝家さんがついてるからって全然安心出来ないわよ!あんた達の争いにもう蘭を巻き込まないで!何かしたいなら勝手にやればいいじゃない!!」
こんなに怒った蝶子を見たのは初めてで、蘭は驚きで固まっていた。肩でゼイゼイ息をつく蝶子は言いたい事を言った後にも関わらず、信長を鋭い目で威嚇していた。
「愛されてるな、蘭丸。」
「……っ!余計な事言わないで!」
ニヤニヤする信長に真っ赤な顔で怒鳴る蝶子。その間で蘭はどうすればいいのかわからず、小さくなった。
「お、俺達の為ってどういう事ですか?」
「ちょっと!蘭!」
「まず聞いてみようよ。信長様には何か考えがあるみたいだし。」
「ふむ。聞いてくれる気になったようだな。じゃあ今から話す事はここだけの話だ。市はもちろん、サルや光秀にも言うな。いいな?」
凄みのある目で睨まれて蘭は息を飲んだ。怒りに震えていた蝶子でさえも大人しくなる。
「お前の役目はこうだ。『主君信長は本当は今川との戦を避けたいと思っている。』という旨を伝える為に織田家の使いとして今川の城に潜り込む。」
「ちょっと待って。その戦を避けたいっていうのは本音?今川とは戦争しないつもり?」
「蝶子。話の腰を折るなよ。……続きをお願いします。」
途中で邪魔した蝶子を軽く諫める。信長はふん、と鼻を鳴らした。
「もちろんそんな話は出鱈目だ。しかし嘘も方便。戦を避けたいと言えば向こうも強引に攻めてくる事はないだろう。俺の事を恨んでると言いながら何年もずるずると引き摺って何も仕掛けてこなかったのだ。こっちが白旗を上げれば黙るしかない。」
「なるほど。」
「偽の書状を俺が書くから、お前はそれを持って城に行く。そして義元に会ったら書状を渡す前にこう言うんだ。『助けて下さい!信長から狙われています。匿って下さい!』とな。」
「…………え?」
思いもよらない言葉に、二人共絶句した……
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