過去の因縁


―――


 駿河国、今川家



「義元様。ご報告があります。」

「何だ。申してみよ。」

「尾張国では今、信長と信勝の兄弟で争いが起こっているようです。」

「……ふむ。あの兄弟が。なるほど。それは好都合だ。」

「と、申しますと?」

「あそこのお父上には随分辛酸を舐めさせられたからの。このまま共倒れしてくれれば、敵が一つ減る。」

 そう言って義元と呼ばれた人物は笑った。



 今川義元。今川家11代当主で、駿河国及び遠江国の守護大名である。

 義元が言った『あそこのお父上』とは信長、信勝兄弟の父親の織田信秀の事で、領地拡大の為に何度も戦ってきた相手である。実質的には今川家が勝利し、一度取られた三河みかわ国の領地を奪還したが、ある出来事が頭に焼きついて信秀が死んだ後も織田の名前を聞くだけで嫌な気分になるのだった。


「どれどれ。少しばかり覗いてみようかの。」

 義元はそう言いながら右手を開いてみせる。すると次の瞬間、その手には双眼鏡らしき物が乗っていた。それを目に当てて庭の向こうを見る。


 こんな時代に双眼鏡なんて物はないはずなのに、どうしてこの人物は持っているのか。それにどうして何もなかった所に急に双眼鏡が現れたのか。

 それは義元が『物体取り寄せ』という超能力を持っているからである。


「おぉ、末森と那古野の城下が焼けておる。これは信長殿の仕業だな?まったく!そういう卑劣なところは父親に似たんじゃな。」

 生前信秀がよく使った手である、城下に火を放つという行為を受け継いだ信長に対して皮肉を言って笑った。

 そして手から力を抜くと、あったはずの双眼鏡は既に無くなっていた。


「元康を呼んでくれ。」

「はっ!」

 家来にそう命令すると、悠然と腕を組んで目を閉じた。




―――


「はぁ……はぁっ…も、もう勘弁して下さい……」

「いいや、まだまだ!お前さんには厳しくしろと殿から言われておる。さぁ!あと十本!」

「ひぇぇぇ~……」

 蘭は情けない悲鳴を上げながら勝家の振った竹刀から逃げた。


「こら!逃げるな、蘭!」

 即座に廊下から蝶子の檄が飛ぶ。蘭は息を切らしながら一応構えた。が、鬼のような形相で向かってくる勝家がどうしても恐くて、寸前でかわしてしまった。

「それでは練習にならん!蘭丸、覚悟ぉぉ!!」

「わぁぁぁ!!」

 真っ正面から上段で振りかぶってこられた。蘭は取り合えず目を瞑って竹刀を前に出した。


(あぁ~……こりゃ、痣ではすまないかも……)


 骨折覚悟で奥歯に力を入れる。しかしいつまで経っても訪れるはずの衝撃がこず、辺りはしーんと静かだ。

 蘭は恐る恐る目を開けた。


「……え?」

 目の前には勝家の渾身の一撃を見事に防いだ自分の竹刀があった。

「……す、すごぉい!蘭!やったじゃん!」

「え?え?」

「見事な防御だったぞ、蘭丸!」

 勝家に肩をバシンッとやられて茫然としつつも、徐々に喜びが沸き上がってきた。


(防げた……初めて……)


「やったー!!」

「おめでとう、蘭!まぁ、目を瞑ってたのがちょっと残念だけど。」

「うるせぇ!でも嬉しい。勝家さん、ありがとうございます!」

「確かに今までのお前さんから見たら格段の差かも知れんが、戦は防御だけじゃ殺られるぞ?止めた上でやり返さないとな。」

「そりゃ、そうですけど……あともうちょっと喜びを噛みしめても……」

 嫌な予感を抱きながら勝家を見ると、もう既に臨戦態勢だった。


(ちょっと待って!まださっきの衝撃で手がしびれてっ……)


「あと二十本!」

「増えてるし!?」


 結局この日は二十本中二十本、逃げてただけだった……




―――


 翌日、蘭と蝶子は信長に例の大広間に呼び出された。


「大丈夫?筋肉痛?」

「うん、まぁ……何とか……」

 心配する蝶子に苦笑いを返しながら肩を回す。この時代に湿布なんてあるはずもなく、治りが遅いし痛くて夜も眠れない。でもそんな事は格好悪くて蝶子には言えなかった。


 台所番をやりながらの稽古は正直きついけど、強くなりたいと願ったのは自分だし、この世界で生きていくには本当に強くならないといけないから、必死で取り組んでいた。


 光秀や勝家は信長にきつく言われているらしく、本当に容赦がない。でもその方が却ってありがたかった。何も考えずに夢中でやれるからだ。

 蘭は擦りむいた肘を撫でながら、信長が来るのを待った。


「あ、来たよ。」

 蝶子が障子に映った影を見て、そう耳打ちしてくる。蘭は慌てて正座した。

「どうだ、調子は?」

 入ってくるなり信長はそう言った。

「えぇ。まだ恐くて逃げてばかりですけど。でもお陰さまで以前よりも逃げ足が早くなりました。」

「そうか。それは良かったな。」

「?」

 何だか元気のない信長を見て、蘭は首を傾げた。隣で蝶子も不思議そうな顔をしている。


「どうしたんですか?」

「ん?あぁ、いや……」

 いつもの俺様な態度ではない姿に困惑していると、不意に信長が顔を上げた。

「蘭丸、お前……今川義元を知ってるな?」

「今川っ……!」


(今川義元って言ったら桶狭間の戦いで……)


「ほう……桶狭間とは、我が国の桶狭間の事か?」

 ハッとして信長を見ると、今まさに右手を下ろしたところだった。

「あ、あの!」

「義元とは俺の親父が随分やり合ったんだが、領地の問題で言えば向こうの方が勝ったんだ。一時期三河国にも城を持っていたが、それをほとんど奪われた。でも結局決着はつかんまま親父は死に、義元は隠居した。……はずだった。」

「はず……ですか?」

 最後まで心の中を読まれなかった事に安心しながらも、蘭は聞いてみた。


「義元は親父を相当恨んでいる。そして織田家を継いだ俺をも。自分でも物怖じしない性格だと思っているが、あのおやじだけはどうも苦手だ。」

「へぇ~あんたでも恐いものがあるんだ。」

「蝶子!」

「相変わらずだな、濃姫は。」

 蝶子の失言に苦笑いした信長は、義元と父親の信秀の因縁について話し始めた。


「発端は、松平家と今川家で結んだ契約だった。義元は松平家を助ける代わりに嫡男の竹千代を人質に差し出せと言ったそうだ。しかしその竹千代の護送中に家来が裏切り、敵の織田家に送り届けてきた。」


(竹千代……確か松平元康。後の徳川家康だ。)


 家康が何処かの人質だったという話は聞いた事があったが、今川に行くはずが織田家にきたと知って蘭はビックリした。


「でも今はそんな人いないよね?離れにいるのは信包さん達だし。」

 蝶子が言うと、信長は頷いた。

「あぁ、今はいない。今川に戻されたんだ。俺の兄と交換でな。」

「え?お兄さんいたの?」

「親父の側室の子どもだったから家督継承権はないものとされたんだ。信広といって、頭も良く優しくていい兄貴だった。」

 一瞬懐かしむような遠い目をした信長であったが、顔を引き締めると話の続きを再開した。


「兄が今川に捕縛されて、返して欲しければ竹千代と交換せよと義元は言ってきた。さすがに親父はその条件を飲み、竹千代は今川に戻った。」

 そこで一旦区切りをつけてため息を吐く。そして徐に扇子を取り出した。

「隠居したじじぃのくせに未だにその竹千代の件を引きずっているらしい。息子に家督を譲っても有力な家臣と竹千代……今は松平元康といったか。をつけて、三河国の一部を牛耳っているそうだ。その義元が今後、挙兵してくる恐れがある。」

「……え?」

 ここにきて信長が何を言いたいのかやっとわかった蘭は、信長から思わず視線を逸らした。


「そこで、だ。蘭丸。」

「はい……」

「今川義元は攻めてくるのだな?」

「……はい。」

「その桶狭間の戦いとやらで、どちらが勝つのか。答えろ。」

「…………」

 のしかかってくる威圧感に負けた蘭は数秒の沈黙の末、きつく目を閉じた。



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