『強くなりたい』


―――


「なっさけないわね~……まぁ、予想してたけど。」

「返す言葉もございません……」


 ぐったりした姿で勝家に担がれて帰ってきた蘭を見ての、蝶子の第一声がこれだった。

 蘭は地面に降ろされながら小さく肩を竦める。

 そして運んできてくれた勝家に向かって頭を下げた。


「ありがとうございました。すみません、重かったですよね……?」

「いや、なに。お前さん一人くらい何でもないさ。それじゃ、俺は信長様の所に行くから。」

「あ、はい。お疲れ様でした。」

 もう一度頭を下げると、勝家は片手を上げて去っていった。


「ねぇ、勝家さんって朝いたっけ?」

 甲冑を脱いでいると蝶子が聞いてきた。蘭は汚れた足の裏や裾を払いながら答えた。


「それがさ、凄いんだよ!」

「何が?」

「勝家さんってば、信勝さんの軍のフリして俺のいる砦を守ってくれたんだ!」

「はぁ?」

 要領を得ない説明に蝶子が顔をしかめる。丹念に汚れを落として廊下に上がってきた蘭は、改めて説明した。


「なるほど~そういう事だったのね。やるわね、あの人。」

 話を全部聞いた蝶子が腕組みをしながら言う。蘭はまるで自分が褒められたかのごとく、嬉しそうにうんうん頷いた。


「で?どうだったの?初陣の感想は。」

 どちらからともなく歩き出しながら蝶子が問いかけると、蘭は苦笑いして頬をかいた。


「何も出来なかった。ただ砦の中でぶるぶる震えてただけ。」

「まぁ、仕方ないよ。初めてだったし、そもそも戦争なんてない平和なところで生まれ育ったんだから。日本が最後に戦争したのだってもう百何十年も前だし、学校でも習わなかった。」


 そう。22世紀では過去の勉強など不要だという事で日本史の授業は廃止となっており、国民は日本が昔戦争していたという事実でさえ学校で習ってこなかった。

 蝶子が知っていたのは蘭から聞いたからである。


「だとしても!俺は自分がこんなに情けない奴なんだって思って、やるせない気持ちになった……」

「蘭……」

「俺……恐くて外なんて見れなかったけど、聞こえてくるんだ。……悲鳴とか斬られる音とか、人が地面に倒れるドサッという音とか。」

「……っ…」

 思わず想像して蝶子の顔が強張る。それをみて蘭が小さく、『ごめん……』と呟いた。


「大丈夫。ここで生きてくって決めたからには、そういう話にも耐性つけとかないと。続けて。」

「あぁ。」

 蝶子らしい言い方に少し気が楽になった蘭は続きを話し始めた。


「こういう戦の事って歴史のテキストには『何とかの戦い』って載ってて、何年に起きたとか誰と誰が戦ったとか、何人が駆り出されて何人が死んだとか、たったの数行で纏められてるんだ。そして俺はただそれを読んでただけだった。」

「うん……」

「活字だけを目で追って、テストがあれば丸暗記する。だから当たり前なんだけど現実感がなかった。そして時々考えるんだ。戦で死んじゃう人達って何を思って死んでいったんだろうって。」

「何を思って?」

「そう。先陣きって敵に向かっていく人達って足軽っていって身分の低い人達なんだけど、本当は自分達でもわかっていると思うんだ。戦場に行ったら死ぬって。だったら何でわかっていながら行くのかなってずっと思ってたんだ。」

「……それで?その理由、わかったの?」

 優しい声に隣を見ると、蝶子が微笑んでいた。蘭は力強く頷く。


「大切な人を守る為。そして愛する人の元に帰る為。」

「うん。そう、かも知れないね。」


 織田信長という主君を守る為、自らが犠牲になるかも知れない事がわかっていても、全力で戦うのが彼らの宿命。

 そしてもし生き延びる事ができるなら、愛する人の元に帰りたい。そういう儚い希望を胸に抱いて。


「朝一緒に行った人が何人か減ってるんだ。」

「え……?」

 ぼそりと蘭が言う。その顔は陰が差していて、蝶子にはよく見えなかった。もしかしたら泣いていたのかも知れない。


「俺が不甲斐ないばかりに……」

「蘭のせいじゃないって!あんたがいてもいなくても結果は変わらなかったよ?」

「蝶子……ちょっと、いや、かなり酷いぞ……」

「あ、ごめん……」

 口に手を当てて謝る蝶子を見て吹き出す蘭。しばらく笑っていたが、気を取り直すように伸びをした。


「だから俺、強くなりたい。どのくらいかかるかわからないし全然変わらないかも知れないけど、一人でも多く仲間を助けたい。敵を倒すのはまだ恐いけど、一緒に逃げる事はできるかも知れないから。」

 蘭らしい言葉に今度は蝶子が吹き出した。


「あははっ!」

「何だよ、笑うなよ!」

「やっぱり蘭は蘭だね。」

「はぁ?」


(いきなり『強くなる。』とか言い出すから何事かと思ったけど、蘭らしくて安心した。)


「相変わらず馬鹿だな~って思っただけよ。」

「何ぃ~!?」

「キャーー!こっち来ないで。馬鹿が移る~」

「待て~~!!」


 静かな城の廊下に響く二人の声は、しばらく止む事がなかった……




―――


 末森城、大広間



「信勝……」

「…………」


 信長の声にふて腐れた顔でそっぽを向いた信勝を見て、二人の母――土田御前つちだごぜんは慌てた。


「これ!信勝!」

「母上。俺は降伏するつもりはないと言ったではないか。それなのに簡単に敵軍の、あろう事か総大将を城に上げるなど……常軌を逸している。」

「信勝!!」

「っ……」

 母親に不満を並べていた信勝だったが、信長の一喝で黙り込んだ。


「俺が無理を言ったのだ。母上を責めるのはよせ。」

「…………」

「この末森城、そして那古野なごや城の城下に火を放った。」

「なっ!」

「早く何とかしないと丸焼けになるぞ。いいのか?」

「くっ……脅しているのか?」

「そうとってくれても構わん。」

「……何て卑劣な…」

 信勝は自分の着物の裾を握り締めた。土田御前がハラハラしながら見守る中、信勝が顔を上げた。


「……わかった。降伏する。」

「賢明な判断だ。」

「もう二度と顔を見せるな!」

 大声で喚くと障子を勢い良く閉めて出ていった。


「協力、感謝します。母上がいなかったら信勝と会えなかった。」

 信長が慇懃と頭を下げる。それを見た土田御前は手を横に振って言った。


「いいのです。それに本来ならこちらから出向かねばならないところをこうして来て下さって、ありがとうございます。信勝に変わり、感謝申し上げます。」

 そう言って丁寧に頭を下げた。



 信長が末森城に来た目的はただ一つ。稲生での戦いで事実上信長の軍が勝利したのだが、大将の信勝が姿を見せなかった為、直接会いにやってきたのだ。

 しかし正面から会いに行ったところで信勝が承知しないと思った信長は、信勝と一緒にこの末森城にいる母親を通じて面会を取り次いだという訳だった。


(相変わらず『心眼』の力は通じないし必要最低限の事しか話せなかったが、『降伏』という言質が取れたから良しとしよう。)


「ところで信長様。城下に火を放ったというのは本当ですか?」

 突然切り込んできた母に少し驚きながらも頷く。

「……そうですか。」

 俯いて悲しげな顔を見せる母の姿になけなしの良心が疼いたが、もう後戻りは出来なかった。


 信勝がこの末森城に籠城したと聞いてから、こうする事は決めていた。城下が焼け野原になると知れば、さすがの信勝も降伏するだろうと踏んでの事だった。


 那古野城というのは信長や信勝が生まれた場所であり、今の城主は別の者が務めているが、織田家の大事な拠点である。

 何の関係もない民を巻き込むのは偲びなかったが、それもこれも目的を達成する為だ。


「ごめんなさいね。」

「……何故母上が謝るのですか?」

「私がもっとしっかりしてれば、貴方達兄弟は……」

「関係ありません。」

「でも……貴方達は年も近くて、小さい時は仲良かったから私も安心していたのですが、いつの日からかどちらがお父様の跡を継ぐか、お互いそればかりに気を取られて。お父様は二人で協力して織田家を盛り上げてくれればいいと最期までそう仰っていましたけれど、上手くはいかないものですね。」

 土田御前は苦笑いした。つられて信長も同じような顔になる。


「もう今更、昔のようには戻れません。第一、信勝は俺の事が嫌いですからね。」

「そんな事は……」

「信勝に伝えて下さい。もし何か余計な事をしたら、その時は容赦しないと。」

「……!?」


 一瞬見せた鋭い瞳に怯える母を残して、信長は城を後にした……



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