覚悟


―――


 更に数日後、信長が帰ってきた。疲れているだろうに城に着いてすぐ蘭と蝶子を呼び出し、市や可成も含めて大広間に集めた。


「ご無事で何よりです。」

 まず最初に市がそう言って沈黙を破った。それを受けて信長は軽く頷いてみせると、一同に向かって声を出した。


「聞いていると思うが、道三が死んだ。」

 いつも通りの口調だが、信長なりに道三の死を悼んでいるように蘭は感じた。


(やっぱり歴史は変えられなかったか……)


 斎藤道三が死んだという事は、信長に取って大きな後ろ楯を失った事になる。それは本当の親戚関係ではないこの世界でも同じ事で、和睦が成立したのは最近だが、信長の父親の信秀の代からお互い歩み寄ろうとしていた。

 信長は濃姫と結婚する気はなかったが、斎藤家との繋がりは切りたくなかった為、自分の弟に嫁がせてまで関係を保とうとしたのだ。

 そんな間柄だったから余計に、その存在がいなくなってしまった事が無念でならないのだろう。


「あの…本物の濃姫はどうなったんですか?」

 蝶子が恐る恐るそう言うと、『まずその話からだな。』と言って肘置きに体重をかけた。

「心配するな。濃姫なら道三の居城の大桑城にいたところを勝家が救いだしてきた。戦場が離れていたから無事だったんだ。だが……」

「どうしたんですか……?」

 珍しく言葉に詰まる信長を心配そうに見る蝶子。蘭も不安になりながら視線を送った。


「自分の兄が父親を討ったという事で相当気が滅入っている。道中はほとんど飲まず食わずで、加えて睡眠も取れていないそうだ。離れに部屋を用意したが誰も寄せ付けず、覗きに行った者の話だと生きているのか死んでいるのか、わからない程憔悴しきっているらしい。当然飯も食わん。」

「……大丈夫かしら…いや、大丈夫じゃないか。お父さんが殺されちゃったんだもんね。しかもお兄さんに……」

「あぁ……」

 蝶子と蘭がそれ以上言葉が出てこずに絶句していると、市が静かに口を開いた。

「後でわたしが様子を見に行ってきます。何か口に入れないと体力が持ちませんから、お粥でも持って行こうと思います。可成、お願いできますか?」

「はい。すぐに作って参ります。」

 可成はすっと立ち上がると、一礼して出て行った。


「こうなったら悠長に待ってはいられん。信包のぶかねが元服するまでと思っていたが、近い内に二人の祝言を挙げる事にする。」

「えっ!?こんな時に?」

「こんな時だからこそだ。道三の息子は義龍よしたつというんだが、俺と結婚した濃姫、つまりお前が偽物だと知っている。という事は厳密に言ったら織田家と斎藤家は親戚でも何でもない。和睦を結んだと強調したとしても、義龍からしてみたら道三が勝手にした事だと言い訳できる。そしてその事を理由に遅かれ早かれ、ここを襲撃してくるだろう。今回はどうにか巻いてくる事が出来たが、いずれ必ず奴はくる。」

「…………」

「うそ……」

 蝶子が小さく呟いた。蘭の方はもう息を吸う事も忘れ、信長を凝視している。

 市はそんな二人を見つめ、そっとため息をついた。戦国の世の中に産まれ、これでもかという残酷な出来事を経験、見聞きしてきた自分でさえ、この話は受け入れ難いものがある。それなのに未来から来てまだ間もないこの二人にいきなりこういう話を聞かせるのはどうかと思うが、特に蝶子の方は濃姫として既にこの世界に関わっている。避けては通れない事だともわかっているから、市は黙って信長の次の言葉を待った。


「だから早い内に信包と結婚させて織田家と関係がある事を事実としなければならない。心の傷が癒えるまで待ってる時間は正直ない。……市。」

「はい。」

「難儀だと思うが、説得してくれ。二年後に祝言を挙げる事は本人も知ってる事だから、ここに嫁ぐ事自体はわかってくれると思う。だが……」

「確かに今は時期が悪いですね。そういう場合ではないと突っぱねられる恐れがあります。でも必ず、説得してみせます。」

「頼むぞ。」

「はい。お兄様。」

 ゆっくりと頭を下げる市を見つめながら、蘭は大きく息を吐いた。


(何か……情報量が多すぎて良くわからないけど、今の状況って結構ピンチ?道三が死んで息子の義龍がこの清洲城に攻めてくる?そんな事歴史のテキストに書いてなかったぞ?これってやっぱり俺達のせい……なのか?)


 そこまで考えてハッと隣を見た。蝶子は難しい顔で信長をじっと見つめていた。


「ねぇ。」

「何だ?」

 唐突に蝶子が声を出した。蘭はハラハラしながら蝶子を見守る。

「私はどうすればいい?」

「どう、とは?」

「だってこのお城の中では私が濃姫って事になってんでしょ?父親が兄に殺されたというのに、平気な顔していたら皆変に思うじゃない。」

 蝶子のごもっともな指摘に一瞬呆気に取られていた信長だったが、すぐにいつもの悪戯気な笑顔になった。


「そうだな。お前はなるべく部屋から出ないようにしろ。何かあったら市か可成を呼んで用事を済ますように。」

「はい。わかりました。」

 市の真似をするようにゆっくり頭を下げると、ニコッと笑顔を見せた。


(蝶子……強いな。)


 蝶子の性格からして本物の濃姫に対して罪悪感や同情の気持ちを抱いているのは明らかなのに、それを見せないように笑っている。

 蘭はその神々しく見える姿に、しばし見とれた。




―――


「私、決めた。」

「何を?」

 大広間を出て蝶子の部屋に向かいながら廊下を歩いていると、突然蝶子が言った。


「元の世界に戻るまで、私が濃姫として生きるって覚悟を決めたの。」

「え……?」

 思わず立ち止まる。余りの驚きに口をパクパクさせていると、蝶子が噴き出した。


「何、その顔?」

「だって、お前……」


『あんなに嫌がってたじゃないか。』と続けようとしたが、蝶子が自分の口に人差し指を当てて黙らせた。


「もちろん、今でも嫌だよ?だって私は……」

「ん?」

「……ううん、何でもない。」

 何かを言いたそうにしたけど首を横に振って誤魔化して、気を取り直すように肩を竦めた。

「無理矢理結婚させられたのはムカつくけど、濃姫としてここにいる以上、もう後には引けないじゃん?それに私なんかより大変なのは本物の濃姫でしょ。お兄さんにお父さんを殺されてさ、まだ13歳の子どもと結婚させられちゃう。私が信長の妻になっちゃったばっかりに。でももうどうしようもできないところまできてる。だったら私が責任持って、濃姫として生きるしかないでしょ。信長の事は大嫌いだけどね。」

「蝶子……」

「あ!誤解しないでね。帰る事を諦めた訳じゃないから。これから私は引き込もってタイムマシンの欠片を調べる。蘭は『濃姫様は父親を失って悲しみに暮れているから誰も近づかないように』って城中に宣伝して回ってよ。ね?」

 ウインク付きでそう言われて、蘭は苦笑した。


(やっぱり蝶子は凄いなぁ~。俺も覚悟を決めないと男が廃るな。)


『森蘭丸』としてこの世界を生きる。


 これまで漠然としていた事が決意を新たにした事で、現実味を帯びてきた。


 ここが何処であろうと自分達は変わらない。いつか元の世界に帰るまで、与えられた人生を歩むしかないのだ。

 この決断は諦めた訳でも逃げ出した訳でもない。これからを生きる為だ。

 出会った人達と共に、大事な人を守る為に。




―――


 それから間もなくして、信包と本物の濃姫の祝言が取り行われた。

 市の説得は簡単なものではなかったようだが、どうにか漕ぎ着けたという。


(濃姫、笑ってる。元気になってくれて良かった。)


 参列した蝶子は目の前で仲良さそうに笑い合う濃姫と信包を見て微笑んだ。

 歳の差カップル、しかもだいぶ離れた姉さん女房である二人だが、案外息が合っている様子で、この分だと濃姫の心の傷も思ったより早く癒えるだろうと思われた。


 ちなみに濃姫(蝶子)と区別する為、『於濃おのうの方』と呼ぶ事にすると信長が決めたそうだ。


「蝶子。……じゃなかった、濃姫様。」

「あら、蘭丸。どうしたの?」

 そこへ蘭が現れ蝶子を呼ぶ。手招きして廊下に呼び出すと、口元に手を当てて耳に囁いた。

「義龍の動きを探っていた人から連絡がきて、どうやら向こうは攻めてくる気を無くしたみたいだって。」

「ホント?」

「あぁ。今のところはな。この前の道三との戦いであっちの戦力もだいぶダメージがあったようだ。整い次第また動く可能性はあるけど、しばらくは心配いらないって。」

「そう……」

 蘭の言葉に取り敢えずホッと胸を撫で下ろした蝶子だった。


「それにしてもまだ慣れないな。『濃姫様』って呼ぶの。」

 頭をかきながら蘭が言うと、蝶子も同意した。

「私も。」

「お前は『丸』つければいいだけだろ。俺なんて『様』までつけないといけないんだぜ?」

 外人みたいに両手を広げて首を振ると、蝶子はムッとした顔をする。


「敬意がないから呼べないのよ。」

「お前に対してそんなもんあるかよ。」

「何ですって!?」

「まぁまぁ、お二人さん。その辺でお止めになさって下さいな。」

「あ、市さん!」

 廊下で言い争いを始めた二人を市が止める。振り向くと苦笑いをした市が立っていた。


「そろそろ祝言も終わるようですよ。濃姫様はお席に、蘭丸は仕事に戻って下さい。」

「はい。すみません。」

「……し、失礼しました!」

 蝶子が頭を下げると蘭も慌てて頭を下げて、足早に廊下を走って行った。


「仲が宜しくて良い事ですわ。」

「いえいえ!私達はそんな……」

「ご相談に乗りますよ。いつでも仰って下さいね。」

 そう言うと自分の席に戻って行った。

 一拍遅れて言葉の意味を理解した蝶子は、恥ずかしさで顔を赤くした。


「イチに似た顔で同じような事言わないでよ、もう……」


 イチもそうだった。こちらから何も言わなくても蘭に対する蝶子の気持ちに気づいて、相談に乗ると言ってくれた。それに甘えてずっと話を聞いてもらっていたのだ。


 まさか市にまで気持ちを知られていたとは思わなくてビックリしたが、イチという相談相手がいない今、お言葉に甘えて思いの丈を吐露してみたいと思った。



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