ご対面


―――


 タイムマシンの残骸を残して山を降り始めて数十分。

 蘭と蝶子は絶体絶命のピンチに陥っていた。


「……ねぇ、蘭。これってどういう状況?」

「うん……見知らぬ土地で怪しげな輩に取り囲まれて万事休す!……的な?」


 笑い混じりに言ってるがその顔はひきつっていて、声も震えている。右腕に蝶子の温もりを感じながら、蘭は何とか勇気を振り絞ろうと深呼吸した。


「お……お前達は何者だ!」

 目の前の集団に問いかける。しかし誰も何の反応を示さない。まるで魔法にかけられて時間が止まったかのようだ。

 そんな相手の様子にいくらか落ちついてきた蘭は、現状を冷静に判断しようと頭を働かせた。


 足元の悪い道を蝶子と二人で慎重に歩いていた時、突然目の前に人影が現れて行く手を阻んだのだ。数えると六人。

 全員が揃って黒ずくめで、よく見ると甲冑みたいな物を着ている。旗を持っている者もいた。


(甲冑って……本当に560年前に来たって事か!っていう事はえっと……戦国時代?うっわ!マジで!?)


 甲冑とか戦国時代とか22世紀の世界ではもはや死語と言っても過言ではない言葉を知っていたのは蘭が大の歴史好きで、愛読しているマンガによく描かれているからなのだが、歴史にまったく興味のない蝶子は何が何だかわからない様子で必死に蘭の腕にしがみついている。

 しかし浮かれている蘭はそんな彼女の様子に構う事なく、観察を続けた。


(あの旗……見覚えあるんだよな~、どこのだっけ……?)

 こめかみに指を当てて記憶を辿る。


(上杉……いや、違う。武田、でもない。う~ん……はっ!そうだ!!)


「織田信長だ!」


 蘭がそう叫んだ瞬間、目の前の黒ずくめが全員同じ動きをした。左に差していた剣を鋭い音を立てて引き抜いたのだ。そしてその切っ先をこちらに向ける。

 相変わらず無言を貫いているのが、却って不気味だった。


(ちょっと!何してんのよ!?)

(わ、悪い。つい……)

 蝶子が肘でつつきながら小声で抗議してくる。蘭も小声で謝った。


 だけど蘭が思わず大声を上げたのも無理はない。何を隠そう、歴史上の人物の中で織田信長が一番好きなのである。

 だがこの明らかに命の危険が迫っているという状況で喜んでもいられない。蘭は一度腕から蝶子を引き剥がすと、一歩前に出た。


「蘭!」

 蝶子の止める声も無視して両手を耳の辺りまで上げて敵意がない事をアピールする。そしてゆっくりとした口調で話しかけた。


「あの、僕達はただ道に迷っていただけなんです。武器も何も持ってないんで、その物騒な物はしまいましょう。ね?」

 そう言うと、一番前にいた人物が初めて口を開いた。


「しかし、先程は殿の名を申したではないか。さてはお前らは末森からの密偵か?見慣れない身なりだが……」

「え?末森?って何の事っすか?」

 頭にハテナマークを浮かべて惚けた声を出す蘭を、その男はじっと見つめてくる。

 戦国時代が好きと言っても大学ではまだ詳しい事は学んでいないし、得ている知識はマンガと随分昔のテレビドラマ。『末森』と言われてもわからなかった。


 しばらく硬直したまま見つめ合っていたが、先に目を逸らしたのは向こうだった。刀をさっとしまうとひかえていた他の面々に合図を送る。それを受けて不満そうな顔をしながらも全員が刀を収めた。

 ホッとして力が抜けて今更ながら足が震えてきた蘭を、すかさず蝶子が支えた。


「とにかくお前達をこのままにしておく訳にはいかない。城に連れて帰って殿にお見せしよう。生かすも死なすもあの方のご機嫌次第だ。」

 不機嫌そうに吐き捨てると、その男はさっさと来た道を戻っていった。慌てて二人が後を追い、残った三人は蘭と蝶子を囲んだ。


「え?え?」

「さぁ、行きましょう。」

 急な展開にキョロキョロしていると、蘭の隣に来た男がボソッと呟く。すると後ろから背中を押されて無理矢理歩かされた。


「蘭……」

「だ、大丈夫だよ。たぶん……」

 泣きそうな蝶子を励ます蘭だったが、自分も相当不安だった。


 何故なら蘭が知ってる織田信長という人物は、独裁者で鬼畜ですぐ怒って歯向かう者はただちに葬るっていうイメージだから。


 何処の誰かもわからぬ怪しい二人組を無事に帰すだろうか?……いや、望みは薄いだろう。

 でもその前に蘭達には帰る当てがないのだ。必死で頼んだら戻る都合がつくまで面倒見てくれるかも知れない。


(ええい!こうなったら死ぬ気でいってやる!)


ぎゅっと拳を握り、そう決意した蘭だった。




―――


「裏山に行ったところ、そこには身元不明の二人組がいただけだそうです。見た限り他からの密偵っていう印象は受けなかったそうですけれど、とにかく信長様に面通ししないといけないという事でここに連れて来ました。」

「ご苦労だった、光秀。」

「いえ。実際に連れて来たのは木下様ですから。」

 そう言って光秀――明智光秀は苦笑いした。


 一方畳にだらしなく寝そべっていた信長は、難儀そうに起きあがると胡座をかいた。


「では、私はこれで。」

「お前もいろ。」

「え、ですが……」

「構わん。」

 信長にそう断言され戸惑っていると、廊下側の障子に人影が現れた。


「サルでございます。」

「入れ。」

 音もなく引き戸が開かれ、そこに明らかに無理矢理座らせられた二人組が頭を下げていた。

 途端、信長の眉が潜められた。


「何だ、その奇妙な格好は。忍びの者にしては派手だが……」

 そう言いながら信長は女の方、すなわち蝶子を上から下まで眺め回した。

 蝶子は正座したまま自分のスカートを押さえて赤面する。


「まぁ、よい。入ってこい。顔を見せろ。」

「承知しました。」

 サルが返事をすると、蘭達を連れて来た黒づくめの内の二人がそれぞれ蘭と蝶子の腕を取って立たせた。そのまま部屋に連れて行き、まるで投げるように信長の前に置いた。


「さて。……お前らは一体何者だ?」


 冷たい響きを持った声がその場の空気を張りつめさせた。




—――


 あの織田信長に面と向かって『お前らは一体何者だ?』と凄みのある声で言われた蘭は心底震えた。


 元いた世界に戻れないならせめてここに置いてもらえないかを死ぬ気で談判しようと決めた心が呆気なく崩れ、もうこのままその冷たい瞳に殺されたいとさえ思った。

 あのタイムマシンが壊れた今、自分達にはそれしか道はない。絶望的な気分で俯いた時、ため息と共に優しい声が聞こえた。


「名は何という。」

「え……?」

「名前だ。まさか名無しの権兵衛っていうんじゃないだろう。」

 おどけた口調の信長に茫然としていると、少し離れた所にいた人物が小声で囁いた。

「名乗って下さい。」

 それに小さく頷いて蘭と蝶子は震える声で言った。


「藤森……蘭です。」

「濃田蝶子です……」

「字はどう書く?」

 信長の言葉に何処から出てきたのか和紙と筆が二人の前に置かれる。戸惑いながらもそれに書いて良く見えるように掲げた。


「蘭に蝶子か。ところでお前らは敵方からの密偵などではないのだな?まぁ見た目は全然そういう風には思えんが。」

「密偵……?いいえ、僕達はただ気づいたらあの山にいただけで……」

「ふむ。」

 信長はそう短く唸ると徐に立ち上がって近づいてきた。


「え?……え?」

「じっとしてろ。すぐ終わる。」

 近づいてこられてその余りのオーラに腰が引ける。そんな蘭の様子にも構わず、信長はしゃがみ込むと蘭の顔をじっと見た。そしてゆっくりと目を閉じる。

 しばしの沈黙――


「?」

「……なるほど。そういう事情か。よし、わかった。光秀、この二人に部屋を与えてやれ。それと着替えも用意しろ。」

「はっ!承知致しました。」

 急いで出ていく光秀を何が何だかわからない頭で見送っていると、肩を叩かれた。


「ひっ……!」

「そんなに恐がらなくてもいい。取って食ったりしない。」


(いや、さっきのあの冷たい瞳を見た後じゃ説得力ないから!!)


 心でそう叫んでいると、信長は元の位置に戻って無造作に着物の袖から扇子を取り出した。それを勢い良く開いて閉じる。パチンッという小気味良い音が鳴った。


「お前達は今日からここで暮らす事にする。お前は蘭だから蘭丸。その方は濃田の濃を取って濃姫とでも呼ぼう。濃姫は……」

 そこで言葉を切ると信長はそこにいながら、蝶子の方に手を伸ばしてさっきと同じ様に目を瞑った。


「……やはりな。」

 しばらくして目を開けた信長はニヤリと口角を上げると、蘭の方を見ながら言った。


「俺もそろそろ妻をとらないとと思っていたのだ。しかし中々いい女がいなくてな。あちこちから縁談はあったが、どれもこれも結局は自分の家柄を上げる為に俺に嫁がせたいっていう魂胆が見え見えで……それならいっその事、生涯独り身を貫こうかと思っていたんだが。」

 そこで一旦言葉を切ると、視線を蝶子に戻してにこりと笑った。


「濃姫。お前は俺の妻になれ。」


 先程の冷たい瞳よりも背筋が凍る笑顔だった……



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