兄の本音
―――
蘭は信長と一緒に馬に乗っていた。最初は自分も他の家来同様歩くと言ったのだが、信長がどうしてもというので渋々後ろに乗ったのだ。
しかしそうなると気になるのが周りからの視線である。
(『何であいつだけ特別扱いなんだよ!?』っていう雰囲気がひしひしと伝わってくるんだけど……!)
信長にしがみつきながら心の中で悪態をつく蘭だった……
「はぁ~……やっと慣れてきた。」
馬なんて乗り慣れていないものだから最初はビビっていたが、段々慣れてきて伏せていた顔も上げられるようになった。
(そういえばここにきてから、裏山に一度行った以外は外に出てなかったなぁ。蝶子なんて一回も出てないし。)
側にいる家来達が周囲に敵がいないか過敏過ぎるくらい用心している姿からも、この世界の情勢がわかった。
つまり一人でのこのこ歩いていたらたちまち囲まれて、殺されてしまうだろうという事だ。改めて信長に拾われて良かったと思った。
「あの~……」
出発してしばらく経つが依然、馬のパカパカという足音と家来達の足音しか聞こえない中、沈黙に堪えきれず蘭が口を開いた。
「何だ。」
「本当に信勝さんと戦をするんですか?」
「何を今更……」
若干こちらを振り向きバカにしたような口調の信長だったが、次の蘭の言葉に眉根を寄せた。
「信勝さんと『共鳴』した事がない。っていうの、嘘ですよね?」
「はぁ?」
その声は怒っていて、後ろからほんの少し見えている表情からも怒りのオーラが溢れていた。
「あ!いや、あのえっと……」
「何故そう思った?」
「え……?」
「心配するな。怒ってなどいない。素直に思った事を言ってみろ。」
「あ……はい…」
(嘘だ!さっきは絶対怒ってたって!……でも今はホントに怒ってないっぽい。)
ちらりと見ると、さっきまでの雰囲気とはガラリと変わっていて、どうやら怒っていない様子だった。
(カッとなって怒ったかと思ったら次の瞬間には元通り。不思議な人だな……)
蘭の時代にも伝わる歴史書には、信長の人物像についてこう記されていた。
『一般に、信長の性格は極めて残虐で、常人とは異なる感性を持ち、家臣に対して酷薄であったと言われている。何か粗相をすれば皆の前で叱責したり、笑い者にしたという。一方、信長は世間の評判を非常に重視し、家臣たちの意見にも耳を傾けていたという異論も存在する。優秀な人材は若くても重宝し、信頼のおける者に大事な任務を任せたとの説は、平成時代の学者達によって導き出された。若い時には〈うつけ者〉(大馬鹿者)と呼ばれていたが、実は頭の回転が早すぎて周りの者達が信長の言う事を理解できていなかったのではないか。それをいち早く見抜いたのが、斎藤道三であると言われている。』
(二面性があるって事なんだな、きっと。)
「じゃ、じゃあ言います。『共鳴』の力って、突然備わったんですよね?」
「そうだ。」
「じゃあ何で市様以外にも信勝さんやお父さんと通じてるってわかったんですか?」
「……ん?」
一瞬の間を開けて信長が声を出す。手綱を引いてしまったのか、いつの間にか馬は止まっていた。気づかずに二、三歩進んだお付きの家来が、訝しげな顔で振り向いた。
「あぁ、すまん。ちょっと先に行っててくれ。」
「……承知しました。」
何か言いたそうな表情をしたが、信長のただならぬ気配に怯えたように歩いていった。
「サル。」
「はい。信長様。」
声のする方に目線をやると、秀吉が膝まづいていた。
「ここからはお前が先導しろ。」
「畏まりました。」
そう返事をすると無表情のまま馬の前に行った。
「他の者には聞かせられない話だからな。」
「あ、そうか!すみません、俺……気づかなくて……」
「いちいち謝るな。」
「はい……」
蘭が俯くと、ゆっくり馬が進む。それに合わせてか信長もゆっくり話し始めた。
「あいつと『共鳴』したのは一度だけだ。」
「一度……だけ。」
「最初で最後のな。」
「そんな!最後なんて……まだわからないじゃないですか。もしお二人が共鳴できたら、この戦は回避できるかも……」
そう。蘭が言いたかったのはこの事だった。
信長は信勝とは力を使った事はないと言った。でもそれならどうして、お互いに力がある事を知ったのか。それはきっと何度かは使った事があったのではないかと思ったのだ。そしてこの力を使えばわかり合えるかも知れないと、戦をするのを阻止できるのではないかと、思ったのだ。
「……無駄だ。」
てっきり『余計な事を言うな!』と怒鳴られるかと思いきや、聞こえてきたのは信長らしくない小さなか細い声だった。
「ある日山で遊んでいたら、突然信勝の声がした。迷子になって泣いていたんだ。そしたらすぐに市の声も聞こえて……『信勝を助けて!』と言われた。俺は聞こえてくる信勝の泣き声を頼りに探した。そして見つけた。だが駆け寄った瞬間、『何だ、兄上か。』と呟いたきり、一切あいつの声は聞こえなくなった。まるで目の前で重厚な門が閉じたような、虚しい気分になった。それから何度その門を叩いてみても開く事はなかった。」
「そんな……」
茫然と呟くと、信長が気を取り直すように明るく言う。
「だから俺の『心眼』の力が通じないのは、あいつだけなんだよ。」
「え……?」
その時遠くから『わぁーーー!!』という大勢の人の叫び声が聞こえた。
剣と剣が交わるような音もする。馬がピタッと動きを止め、信長も顔を強張らせていた。
「信長様……」
「始まったらしいな。戦が。」
そう言った顔は何処か悲しそうで、蘭は見ていられなかった……
―――
この戦は後に
信長軍が清洲から南東の於多井川を越えたところで、東と南から信勝軍に挟まれる形になり、ついに戦いが始まった。信長方の手勢わずか700人たらずに対し、信勝方は合計1,700人を擁していた。
信長は前もって名塚砦という砦を築いていて、そこで牽制を図った。 信勝方の家来らは名塚砦への攻撃に打って出て、信長がこれを迎え撃った。そして両者は稲生で激突する。
―――
「大丈夫か、蘭丸。」
「あ、父上。」
ボーッと座っていると可成が声をかけてきた。蘭は苦笑して『何とか……』と呟いた。
「それにしても信勝さんはいないみたいだね。」
「そうみたいだ。有力家臣に任せて自分は末森城に隠っているんだろう。」
そう言って可成は少し残念そうな顔をした。
ここは信長が前もって造っていた砦の中。頑丈な壁に囲まれていて、戦場でも比較的安全な場所だ。といってもさっきから色んな人の怒声や悲鳴が聞こえてきて、更に言葉にするのも憚られるような音も漏れてくる。
蘭は耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、これはこういう雰囲気を体験させる為に信長が用意した舞台だと思って、震える体に鞭打っているのだ。
(それに、こうして可成さんが近くにいてくれる。)
蘭は隣の可成を見た。
信長は『自分の側にいろ』なんて言ったくせに、蘭をここに置くと早々に戦地に向かっていった。何でもじっとしていると血が騒いで、いても立ってもいられなくなるらしい。
「でもいくらここが頑丈だからって、大勢で攻められたら壊れちゃいますよね……?」
外の喧騒がさっきよりも近くなったように聞こえて不安になってきた。問いかけると可成はにっこりと微笑んだ。
「心配いらないよ。だってこの近くにいるのは柴田殿の軍だから。」
「……え?どういう事?」
「柴田殿はここ最近末森城の方に入り浸っていたんだ。信勝様の軍としてこの戦いに参加する為に。」
「信勝さんの軍として……?それって裏切ったって事?」
「違う、違う。逆だよ。」
「逆……」
考え込む仕草をすると、可成は蘭の肩をポンッと叩いた。
「柴田殿は忠実な信長様の家臣だよ。そして密偵の達人だ。」
「あ!まさか……信勝さんの軍として参加してるけど、本当は信長様の家臣、という事は……」
ハッとして壁の隙間から外を覗くと、勝家の大きな後ろ姿が木々の間から見えた。
「柴田殿は信勝様に反旗を翻して、必死にここを守ってる。……という事だ。」
「そうだったんだ……」
ここに敵が攻めてこないのは、勝家が守ってくれていたからだった。蘭は改めて勝家の方を向いた。
(ありがとう……勝家さん!)
「織田信長はここだ!逃げも隠れもしない。我こそはという者はかかってこい!」
その時、辺り一面に信長の太い声が響いた。それはまるで地鳴りのように、ビリビリと体中を駆け巡った。
「ちょっと、ちょっと!そんなでかい声出したら……」
慌てて声のした方を見ると、信長が馬に乗って禍々しいオーラを放っていた。
「ひっ!」
思わず喉がなる。隣で可成も固まっていた。勝家の軍も敵軍も、誰も動かない。味方の信長の軍でさえ、時が止まったようだった。
「……退避ーーー!!」
一瞬のような永遠のような時間はその一言で破られた。
それは敵軍の大将の声だった。
そこからは早かった。蜂の巣をつついたみたいにあっという間に敵軍はいなくなっていた。残ったのは信長軍と柴田軍だけ。
「た、助かった~……」
格好悪い事に蘭はその砦の中でへなへなとしゃがみ込み、結局勝家に担がれて清洲城へと帰還したのであった……
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