日常に潜む不穏な動き

新たな味方登場


―――


「どうだ?お姫様になった気分は?」

「えぇ。最悪です。」

 信長のからかい半分の問いを、蝶子が笑顔でばっさり切り捨てる。さすがの信長もこれには苦笑して盛り上がっている家来達を見渡した。


 今は祝言の真っ最中。先程婚礼の儀が行われ、滞りなく終わったところだ。参列している面々は皆一様に蝶子に目を奪われ、突然開かれたこの祝言に不平・不満を抱いていた者達も大人しくなって、二人に祝福の拍手を送っている。

 そして次々とお膳が運ばれてきて、これから会食が始まるという訳だった。


「はぁ~……」

 蘭とはさっきお膳を置きに来た時に一回だけ目が合ったけど、あっちも忙しかったみたいですぐに出て行ってしまった。家来という立場上仕方ない事だと思うけれど、こんな所に一人残されて心細いやら何やらで、逆に憎い気持ちが芽生えてきた。


(まったく……何が悲しくて好きでもない人と……まぁ、偽装だけど。でもやっぱり複雑……)


 内々で済ますって言っていたが、思っていたよりも多い人数にちょっと気圧され気味の蝶子は、さっきからため息が止まらない。やはりこの隣にいる織田信長なる人物は相当な人物なのだと、歴史にまったく興味のない彼女は蘭が聞いたら『当たり前だろ!』と叫びそうな事を思っていた。


「あの~……」

「何だ。」

「私の事はどういう風に説明しているんですか?まさか突然現れた何処の馬の骨ともわからない女って言ってる訳じゃないでしょう?」

 前を向いたままそう言う蝶子の口調には刺があったが、信長は気にせず答えた。


「大丈夫だ。お前の事は斎藤道三の娘の濃姫として紹介してある。後で家来全員と一人ずつ顔を合わせて、お互いに自己紹介する場を設けるからお前も余計な事は言わず、ただ笑っとけばいい。」

「はぁ?笑っとけばいいって何よ?……っていうか、道三の娘って本物がいるんでしょ?それっていいの?バレたらまずくない?」

 思わず隣を見ると、信長は鼻で笑った。


「心配するな。ちゃんと対策はしてある。そうだな……明日にでも説明する。サルに案内させるから、蘭丸と一緒に市の部屋に来てくれ。」

「市様の?」

「あぁ。俺の部屋は家来はもちろん、妻でさえもそう簡単に入る事は許されない。誰であろうと寝首を斬られる危険があるからな。それともお前がどうしても来たいと言うなら、俺は大歓迎だがな。」

 前を向きながらそっと腰に手を伸ばしてくる信長を、蝶子は真っ赤な顔で睨んだ。


「寝首どころか真っ正面から堂々と刺してあげますよ。」


 市から護身用にと預かり、押し入れにしまっておいた短刀を思い浮かべながら、冷たく言い放った……




—――


 その頃、蘭は厨房で次から次へと運ばれてくる食べ終わった後のお膳の皿洗いに追われていた。


「終わんねぇ……」

 一度手を止めて息をつく。周りを見ると洗った後の皿よりも洗う前の物の方が明らかに多い。いつ終わるともわからないこの状態に泣きそうになっていると、一緒に皿を洗っていた家来の一人が声をかけてきた。


「お前も散々だよなぁ。城に来て早々、こんな大きな行事に駆り出されるなんて。どうせ家では何もしてこなかったんだろ?森さんらしいよな~。でもここでは家来になって最低で三年は台所番だから。俺は今年で三年。お前が来てくれたからもうすぐ卒業かもなぁ。」


(良く喋る人だなぁ~……っていうか!)


「あ、あの!今何て言いました?」

「うん?台所番卒業かもなって。」

「違います。その前!森さんがどうのって……」

「え?お前、森さん……信長様の家老候補である森可成よしなりさんの息子じゃないの?俺ら、そう聞いてるけど。」

「へっ?あ、え……っと……」


(げっ……これってマズイ状況?良くわかんないけど俺って、森何とかさんの息子って事になってんのか……?)


 蘭は頭の中にハテナマークを浮かべながら、何とか気を取り直すと言った。


「そ、そうです。息子です!」




―――


 翌日。蘭と蝶子は市の部屋に来ていた。昨日から頭がハテナだらけの蘭と最初から挑戦的な目を信長に向ける蝶子であったが、突然四人の人物がぞろぞろと部屋に入って来た事で二人共ポカンと口を開ける。

 四人は蘭達の隣にこちらを向いて座った。


「まずサル……藤吉郎とは挨拶を済ませたな。」

「は、はい。」

「じゃあ光秀。自己紹介しろ。」

「はい。」

 一番右に秀吉がいて、その隣にいた人物が信長の言葉に従って立ち上がった。


「明智光秀と申します。信長様についてまだ日が浅く、ここにおられる方々よりも若輩者ですが、よろしくお願いします。」


(うわ~真面目。テキストで読んで想像していた通りの人だなぁ~)


 そんな感想を抱いていると、光秀の隣にいたちょっと強面の人が勢い良く立ち上がって大きな声で言った。

「柴田勝家と申す!よろしく!」

「ひっ!ひぃぃぃ~…よ、よろしく、お願いします……」

「勝家……二人が怯えています。もう少し声を抑えて下さいな。」

「申し訳ありません、市様!」

「だから……」

 注意しても全然直らない大声に呆れていると、信長が愉快そうに笑った。


「いいじゃないか、元気で。これがこいつの普通なんだよ。とまぁ、こう見えてもこの柴田勝家という男は情報操作が得意でな、今回の祝言に関して大いに活躍してくれた。」

「活躍?」

「濃姫の事を道三の娘として紹介したと言っただろう。しかし美濃の国には本物の濃姫がいる。俺が結婚した事はいずれ知れ渡るが、対策がない事もない。」

 そう言って一旦言葉を切ると、勝家の方を向いて顎をしゃくった。続きを言えという事のようだ。


「はっ!俺は美濃に行ってまず道三氏に面会しました。事情を説明して本物の濃姫さまにも了解を取り付け、誰かから聞かれた際には話を合わせるようにとお願いしてきました。」

 得意気に説明する勝家を、蘭は尊敬の眼差しで見つめる。


(柴田勝家と言えば少々荒っぽくてワイルドなイメージだったけど、こんな細心の注意が必要な交渉術なんてものがあったのか。)


 と、若干失礼な事を思った蘭だった。


「でもそれでは解決した事にはならないですよね?本物の濃姫さまはどうすればいいんですか?まさか一生お嫁に行けないなんて事に……」

 自分のせいで本物の濃姫が結婚も出来ず、子どもを産む事もできなくなるだなんて申し訳ないと思って蝶子がそう溢すと、勝家が胸を張った。


「抜かりありません!濃姫さまには別の縁談をご紹介させて頂きました。」

「別の縁談?」

「俺の弟の信包のぶかねに嫁がせる事にした。まだ13歳だがあと二年で元服だから、それを待ってという事になるがな。」

「13歳!?ちなみに濃姫は……?」

「確か21歳でございます。信長様のせいで婚期が遅れてしまいましたな。ハハハ!」

 大口を開けて笑う勝家に、その場が凍りつく。蝶子でさえこの時ばかりは冷や汗をかいた。


「お前は相変わらずだな……まぁ、そういう事だ。この話で美濃国とは和睦も成立したし、何も心配いらない。」

「そ、そうですか……」

 信長も呆れて怒る気もないようだ。一安心して残る一人に視線を投げた。


「最後に一番の重要人物だ。特に蘭丸にとってのな。」

「俺……ですか?」

 蘭がしげしげと見つめているとその人物はにっこり笑って立ち上がった。


「私は森可成と申します。よろしく。蘭丸。」

「あ、貴方が森さん……?」

「今日から君を私の息子としてビシバシ教育するから、頑張ってくれよ?」


(もり……森って、待てよ?蘭丸って、もしかして森蘭丸!?織田信長の家来で森蘭丸と言えば、本能寺で信長と一緒に死んでしまう、あの……?)


「っていうか、今って何年ですか!?西暦で!」

「西暦……?何の話だ?」

 みんな一様に首を傾げる。蘭は頭を叩きながら考えた。


(落ち着け……本能寺の変の語呂合わせは……)


「『起きてしまった本能寺』!っつぅ事は1582年……確か信長はその時40代後半。今は、見る限り20代前半だから…あと20年ちょい?……いや、大丈夫だ。その間に絶対に助けがくる。信じろ!蝶子のおやっさんを!!」


「蘭……大丈夫?何かぶつぶつ言ってるけど……」

「はっ!」

 蝶子から肘でつつかれて正気に戻る。慌てて蘭は辺りを見回した。全員呆気に取られている。


「し、失礼しました。」

「疲れているんじゃない?昨日は一日働き詰めだったし。ねぇ、お兄様?もう今日はお開きにして二人を休ませましょう。可成も明日からよろしくお願いしますわ。」

 市の微笑みを受けて可成も柔らかい表情で頷く。それを見ていた信長は持っていた扇子で膝を叩くと言った。


「さて市の言う通り、今日はこれで解散しようではないか。話さねばならない事は全部伝えた。わからない事があれば市か可成にでも聞けばよい。俺は帰るぞ。」

「はい、お疲れ様でした。」

 市を筆頭に家来全員が頭を下げる。慌てて蘭と蝶子も頭を下げて信長を見送った。


 しかし蘭の心中は穏やかではなく、休むどころか今夜は寝れなくなりそうだった……



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