第24話 終わりとはじまり
翌日の昼。もう一晩アーデレ家に泊めてもらった後、テロの後だというのに元気なエッバとともに軽く帝都を観光し、それが終わると僕はシュトゥットガルトの駅に来ていた。
予定通りハイデルベルクに帰ることにした僕を、たった一人クリームヒルトだけが見送りに来てくれた。あの時と、同じ。クリストハルト教授は昨日言っていた面倒な事態とやらで、来られないらしい。
エッバはすでに汽車内に乗り込んでいる。一等車がたいそう気に入ったらしい。
「本当に、よろしいですの? あなたほどの実力があればいつでも復学はできますのよ?」
春風にたなびく赤髪を手で押さえながら、クリームヒルトが僕を引き留める。だけど。
「いや、いいよ。久し振りに大学に戻ったり、重傷者の治療にあたってよくわかった。ああいう雰囲気は気づまりするよ。やっぱり僕は地方の小さな治療院でやっているのが性に合ってる」
「そうですの……」
何度も繰り返したやりとり。
「あなたは数年前、幼いころから魔法医師の教育を受けてきたわたくしの成績を常に上回りましたわ。魔法医師の道を諦めても、誰も治せなかったわたくしの病を治して見せました。そして今回は、命まで救っていただきました。感謝してもしきれませんわ」
彼女の気持ちが伝わってくる、あんな顔をさせてしまうことに胸が痛む。
それにまた彼女と離れたくない気持ちはある。
でも僕が魔法医師大学で仕事をしても、周囲から白い目で見られるのが目に見えている。クリームヒルトやクリストハルト教授、僕の授業を受けたいくらかの生徒は受け入れてくれるけど、否定的な空気には勝てない。
「でも、気が向いたらいつでも戻ってきてくださいまし。再びあなたと机を並べたり、共に仕事をすることを楽しみにしておりますわ」
出発が近いことを知らせるベルが駅に響く。
「もう行くよ」
それに返事せず、僕が汽車の方へ足を向けると、後ろからクリームヒルトの意を決したような声が聞こえた。
「ウンラント!」
彼女の声に振り向くと。
クリームヒルトの赤い顔と、紅い髪が目の前に迫ってきて。
ピンク色の唇が、僕のそれに押し付けられていた。
彼女のくぐもったような息が耳に心地よくて、やわらかいぷりぷりした感触の唇が官能的で。
彼女の甘い香りが鼻の奥いっぱいに広がって、
びっくりもしたけれど、それ以上に胸がくすぐったくてふわふわした。
どれくらいそうしていたのだろう。
息が苦しくなるころ、クリームヒルトは体を離した。
「わたくしの初めてですわ。光栄に思いなさい」
「決して、わたくしのことが忘れられないように」
クリームヒルトは髪の色以上に真っ赤な顔で、でも僕からは決して目をそらさなかった。
汽車が駅を離れ、周囲の景色が高速で後ろに流れ、トンネルに入っても唇の感触が消えなかった。
弾痕の残された壁。踏み荒らされてもまた手入れされ、新たな花が彩り始めた花壇。
一月後、僕は再び魔法医師大学の門をくぐることになった。
「久しぶりだな」
真っ先に出迎えたのが、ハイマン教授なのは最悪だけど。
「そうですね」
僕はなるべく淡白に返事し、かつ教授と目を合わせないようにした。
「つれない返事だな。これから共に仕事をする仲だというのに」
「ふざけるな! 脅迫まがいのことをしておいて……」
ハイマンは薄く笑った。
「脅迫? 何を言うか。毒ガスなどという、兵器にも近い魔法を行使したのだぞ、お前は。軍に嗅ぎ付けられれば即連行か、強制的に軍属にさせられていたことは間違いあるまい。週に一度、私の研究に協力する代わりに貴様の力については口外しない。ただの『約束』ではないか」
僕がハイデルベルクに帰った後、ハイマン教授とクリストハルト教授から手紙が来た。
毒ガスについてバラされたくなければ、魔法医師大学でハイマン教授の研究に協力すること。
赴任するはずだった講師がテロを恐れて来なくなり、表向きはその授業の穴埋めのための臨時講師として着任してほしいということ。学生の評判も良かったので、医術士でも臨時講師の形ならば他の教授たちも何とか説得できたということ。授業は週一回でよいので、治療院との両立も可能だということ。
「それに私は研究ができる。貴様は魔法医師大学で授業ができる、クリストハルト教授は新しい講師を探さなくて済む、学生は授業に空きが出ない。誰も損をしないではないか」
「……エッバには手を出すな」
それは僕が出した条件だった。
僕が協力する代わりに、エッバでは実験や解剖をしないこと。
「無論だ。獣人の代わりなど探せばいるが、貴様の代わりは探してもおらん。貴様を優先させるのは至極当然だ」
フィアンセを嬉々として解剖した、という話を聞いた時にも思ったけど。
ほんとこいつは、人の心がない。
「おや、損をしない人間がもうひとり来たぞ」
後ろを振り向くと、紅い髪をひるがえし、息を切らせこちらに走ってくるクリームヒルトの姿が見えた。
一月ぶりに見る、愛しい人の顔。それだけでさっきまでの怒りがどうでもいいことに思えて、体中が幸せで満ちる。
「私はここでお暇しよう。授業が終わったら、私の研究室に来い」
ハイマン教授は、僕に背を向けて校舎の中へ歩いて行った。
「私には愛する者も、人を愛する資格ももうないからな」
医術士 ~巻き爪には針金、イボ取りにはハト麦~ 霧 @kirikiri1941
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