第6話 フラッシュバック
「今日のあなたの講義は素晴らしかったですわ!」
講義も終わり、そろそろ就寝時刻となる。
「そう言ってもらえると嬉しいな。僕が勉強した書籍も紹介するから、後は自分で勉強するともっと理解が深まると思うよ」
僕はそう言ってあらかじめ用意してあったリストをクリームヒルトに渡すと、彼女はまるで宝物を受け取るかのように胸に抱いた。
「ああ、この書籍に、知識という宝玉が眠っているんですわね…… でも書籍は他の魔法医師と共有できても、授業をわたくし一人で独占してしまうのが、勿体ないくらいですわ。教え方も丁寧ですし」
なんだかこの短時間で彼女の僕への評価がうなぎのぼりになった気がする。
でも僕はそこまで買いかぶってもらえるような人間じゃない。
人生回り道と失敗ばかりだった。
医術士になるまでも、色々あった。
「あなた、帝都にはまだいますわよね?」
クリームヒルトが話題を変える。
「ああ。治療院も休みだし、エッバが帝都を見て回りたいと言っていたし。もう二日はいる予定だけど」
「ではその間、」
なんだか嫌な予感がした。
「魔法医師大学で一日講師として授業をしてもらえません? 医学生たちも熱心なものばかりですし、教えがいはありましてよ。無論追加の給金もお出ししますわ」
唐突な申し出。
だけど、薄々そんな気はしていた。
彼女がハイデルベルクに来るのではなく僕をこちらに招いたのも、その布石だったのかもしれない。
人に物を教えるなんてめったにやらなかったけど、今日は結構楽しかった。熱心に聞いてもらえるのがうれしかった。自分が会得したことを伝えていくのは心地よさがある。
でも魔法医師大学か……
「授業の枠がちょうど明日は一コマ空いておりまして。そこに入っていただければ話はスムーズかと」
授業の枠まで確認済みとなると、学校への手続きも済んでいるのだろう。
「一日講師ならそう珍しくもありませんし。近隣の養護施設の職員や、地方の教会の司祭などいろいろな方を招きますのよ。年齢も身分も様々ですし、あなたがそう目立つこともないと思いますわ」
彼女はじわじわと外堀を埋めてくる。ここまでくると断るのも難しい。
「一つ、聞いてもいいかな?」
「なんですの? あなたほどの人材には給金が不足かしら?」
彼女は勘違いしたのか、慌てた様子で腰を浮かしたけれど僕はそれを手で制する。
「そうじゃないよ。なんで僕に、そこまでするの?」
「知識を眠らせておくのが勿体ないからですわ。だれも治せなかったわたくしの病を、あなたは治して見せたのですわよ? 人を癒すことが医学を生業とする者の務めではありませんか」
彼女は何の気負いもてらいも、ためらいすらなくそう言い切った。
純粋な善意でそう言っているのだろう。
人を治したくて魔法医師になり、人を治すことに喜びを感じる。
魔法医師大学なんていう出世闘争の最前線にいる割にはずいぶんと純粋だ。
いや、アーデレ家の彼女の父親が生臭い出世闘争から遠ざけているのかもしれないが。
でも。
「医術士と魔法医師では専門が違うんだよ? 君が最初僕に言ったように、イボ程度と思う子だって珍しくないと思う」
「それは……」
僕と出会ったときの診察室での会話を思い出したのか、彼女はさっきまでのハイテンションが嘘のように気落ちしてしまった。
無我夢中で、そこまで気が回らなかったらしい。
純粋なタイプにありがちだけど、視野が狭くなることが多い。
それに僕も、プライドの塊の魔法医師たちの中に入っていくのは正直気が重い。
でも話を断ると後々厄介なことになるだろう。
アーデレ家と不仲になるのも避けたいし、娘を泣かせたとなれば父親がどう思うだろうか。
あちら立てればこちらが立たず、か。
考え込んでいると、クリームヒルトの表情がさらに暗くなったことに気が付いた。
さすがに、心が痛んだ。
それに目の前で悲痛な顔をして落ち込んでいる女の子を見て放っておくことはできなかった。
せっかく骨折って準備したのに、すべて中止になったら傷つくだろう。
「わかった。引き受けるよ。でも僕が医術士だってことは隠してあるよね?」
「え? ええ。臨時で外部講師を呼ぶとしか言っておりませんけど」
それで話を通せたのか。さすがはアーデレ家。
それともこの年で魔法医師になった彼女の影響力がすごいのか。
女子の頼みは断れないスケベな研究者が多いのか。
ここ数年で面影も変わったし、そちらの面では心配ないはずだ。実際、数年ぶりに会った人間で僕だと分かった人は一人もいない。
夜、薄暗い部屋の中、僕は割り当てられた自室で授業の準備をしていた。
急な話だったし、一人に教えるのと大勢で教えるのではやり方も違う。
医術士になるための生活費稼ぎで、塾で非常勤講師をしていたのがこんなところで役に
立つとは。
森の中の敷地とはいえ、少し暑くなってきたので窓を開けた。屋敷を囲む木々が春の風
で葉擦れの音を立てている。
エッバはすでにアーデレ家から貸してもらった薄手のネグリジェ一枚ですやすやと眠っ
ていた。
「んにゅ…… ご主人様ぁ」
呼吸に合わせて豊かな胸が艶かしく上下するから目の毒だ。生地が薄手なので普段の寝
間着より下の乳房の形がはっきりとわかってさらに目の毒だ。
手元の資料に目を戻すとコンコン、と規則正しいノックの音がする。僕が入室を促すと
ゆっくりとドアを開けてクリームヒルトが入ってきた。
エッバと違いネグリジェではなくゆったりとした部屋着を均整の取れた体にまとってい
る。エッバがいるとはいえ男がいる部屋を訪ねて来るのだから、当然か。
でもこんな時間に男子の部屋を訪ねるなんて何を考えているのだろうか。
「精が出ますわね」
クリームヒルトは僕の隣に腰かけて、作成中の授業で使うための資料を眺めている。
彼女はランプの光で濃い陰ができているであろう僕の顔を見て、少し表情を暗くした。
「ご迷惑ではありませんでしたの?冷静になって考えると、大分無理をさせたようで」
「大丈夫だよ。教わるのも、教えるのも嫌いじゃないから」
「それよりも、彼女と同室で寝てもよいかと言われた時は、何を考えているのかと思いましたけど」
クリームヒルトはそう言って、安眠しているエッバのほうを見る。かたや僕のことをやや軽蔑したような目で見ていた。
そういうことか。
「彼女は少し訳ありでね。一人で寝られないから、必ず一緒の部屋で寝るんだ」
僕は苦笑いしながら、エッバの頭をなでる彼女の黒とこげ茶の混じった髪の中、犬耳の付け根をなでると特にくすぐったそうに喉を鳴らす。
「あなたと、彼女はいったいどういう関係……」
風が少し強くなり、葉擦れの音が強くなる。その勢いか、開いていた窓が閉じられ大きな音を立てた。
「ひっ」
クリームヒルトは動じなかったが、エッバは弾かれたように飛び起きて、僕の手に抱き着いて震え始めた。
小刻みに震え、顔がランプの灯でもわかるほど青白い。
歯ががちがちとなり、俯いて、何とも視線を合わせようとしない。
クリームヒルトは何が起きたのか、と呆然としていた。
僕はエッバを振り払わず、声もかけず、ただ背中をなで続けた。風が戸を揺らす音がカタカタと部屋の中に響き、机の上に置いた羽ペンがわずかに揺れている。
やがてエッバの震えが収まり、静かな寝息を立て始める。
「ご主人様……」
犬のように甘えるその様子からは、先ほどまでの恐怖が微塵も感じられない。
「まあ、こんな感じで保護者と被保護者って感じかな」
僕はクリームヒルトのほうに向きなおり、さっきの質問に答える。
「こんな風に、大きな物音とか、人の罵声で怯えるんだ。君が静かに入ってきてくれて助かった」
「何がありましたの?」
「話したくないこともあるよ」
クリームヒルトが心配してくれているのはわかるけど、僕は嫌な言い方にならないように、でもはっきりと返事を返す。
「申し訳ございませんわ」
クリームヒルトは素直に頭を下げる。下ろしている髪が左右に流れ、普段は隠されている白いうなじがはっきりと見えた。背中との境目、普段は隠されている場所。それがあらわになったことに感情が高ぶる。
こんな時だというのに。いや、こんな時だからか。
「あなたは、不思議な人ですわね」
クリームヒルトは気持ちを漏らすように、つぶやいた。
「医術士なのに卓越した知識を持ち、獣人を引き連れて、なつかれて、彼女は訳ありで。どうして医術士になったのか知りたいですけど、聞かないことにしますわ」
「助かるよ」
それから少しだけとりとめのないことを話し、彼女は部屋を出ていった。
彼女が退室したので、僕も明日の授業の準備に戻る。
何事もなければいいのだけど。
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