第5話 どこかでお会いしたことがありません?

「おかえりなさいませ、クリームヒルトお嬢様!」

 クリームヒルトを先頭にして屋敷に入ると、玄関前のホールでメイドさんたちが道を作るように二列に並んで僕たちを出迎えてくれた。その中には獣人のメイドさんもいて、緊張を表すように薄茶色の犬耳が立っていた。

 獣人であるエッバが格式あるアーデレ家に入っていいのかと心配したけれど、これなら心配ないようだ。

「まずはお部屋へご案内します」

 メイドさんの中でも位が高そうな子が荷物を預かり、僕を屋敷の奥へと先導する。

「助手の獣人の方はこちらです」

 別の獣人のメイドさんがエッバを別の部屋へ案内する。獣人だし、扱いが違うのは仕方がない。一定の敬意を持たれた振る舞いなだけましなほうだろう。

 余計なことは言わないほうがいい。

 部屋に荷物を置き、上着を脱ぐとメイドさんはそれを手に取って、しわにならないように丁寧にかけてくれた。

「旦那様がもてなしの席でお待ちです。粗相のないようにお願いします」

 メイドさんの一人が棘のある言い方でそう釘を刺してきた。そしてこう付け加える。

「お嬢様は顔のご病気が治って、とても美しく、明るくなられました。その点には感謝しています。旦那様やお嬢様は、私たちのような卑しい獣人でも屋敷の仕事を任せてくださる、慈悲深き方々です。しかし、そこに付け込み妙な考えを起こさないようにお願いします」

 彼女は丁寧ながらも、敵意をむき出しにしたような物言いで僕を牽制してくる。

 まあ当然か。年ごろの女の子を治療した人間がこんな若い男なんだ。

 良からぬことを考えているのでは、と思うのも仕方ない。

 僕は気持ちを切り替えて、改めてもてなしの席へと向かった。

 もてなしの席が設けられた部屋は庶民の家が二つか三つは入りそうな縦長の形で、フォークとスプーンが置かれた長い机がある。上座にクリームヒルトとよく似た初老の男性が座り、その斜め向かいにオープンショルダータイプのドレスを着たクリームヒルト、その反対側に僕とエッバが座る。獣人であるエッバがこの席に座れるのは驚きだ。

「クリストハルト・フォン・アーデレだ。アーデレ家の家長で、魔法医師大学の教授・学長も務めている。この度は娘が大変世話になった。礼を言う」

 上座に着いた男性は、改めてそう名乗った。

 クリストハルト教授はクリームヒルトと同じ赤い髪の毛を切れ長の瞳の上で短く切りそろえ、柔和な笑みをたたえた人だ。

魔法医師大学の学長をやっているそうだが偉ぶった感じがなく、どちらかと言えばおとなしそうな感じの人だった。

「いえ、微力を尽くしたまでですので。それより僕のような一介の医術士と、獣人をこのような席にお招きくださったこと、身に余る光栄です」

 僕は慣れない慇懃な口調でそう答えた。エッバはそういう言葉遣いが苦手なので、何も言わず深々と頭を下げるように指導だけしてある。

 だがクリストハルト教授はそれだけでは気が済まなかったらしい。

「いや。どの魔法医師にも医術士にも治せなかった病を治したのだぞ? 食事の席で済まないが、私にもぜひ色々と話をしてほしい」

そう言いながらも、メイドさんたちが食事を運んできて会食が始まった。

さすがはアーデレ家、出される料理もデザートも申し分なく、久しぶりの美食に舌鼓を打った。

 僕だけでなくエッバにも手紙が届いてから大急ぎでテーブルマナーを身に着けておいた甲斐があった。失礼をしていたら和やかな雰囲気のまま会食を終えることはできなかっただろう。

食事をしながら医術士としての経験や、仕事をしながら独学で身に着けた東方の医学などについて話していく。

クリストハルト教授は食事そっちのけで熱心に聞いているので、メイドが食べるように促さねばならない場面も多くあった。

ここまで医術士風情の話を聞いてくれる魔法医師は珍しい。

クリームヒルトを治したおかげか、もともとの性格か。

「それにしても」

 デザートのザッハトルテが運ばれてきて、クリストハルト教授が僕の顔を見て呟いた。

「君は十代後半ということだが、ずいぶんと顔立ちが…… なんというか、童顔ながらも大人びている。多くの患者を診てきたせいかな?」

 教授は咀嚼しながら笑顔でつぶやくが、僕は心臓が止まるかと思った。

「そうですね。ここ数年でずいぶんと顔立ちが変わりました」

 僕はそういうのが精いっぱいで、デザートの味などもうわからなかった。

 会食が終わり、メイドさんたちが食器を片付けたころクリームヒルトがうずうずとした感じで切り出した。 

「普通ならこの後お茶でもお出しするのですけど、時は金なりですわ! 今度はわたくしの晩、早速授業をお願いしますわ!」

 父親がたしなめるのも聞かず、着替えに自室へ戻ってしまう。僕も苦笑いしながら講義のための教材を取りに部屋へと向かった。エッバには自室で待っていてもらうことにする。

 クリームヒルトの部屋に向かうと、ドレスから白のフリルのついたブラウスに黒のロングスカートというシックな室内着に着替えた彼女が羽ペンやノートなどを机の上に広げ、すでに準備万端な状態で待っていた。

「よろしくお願いしますわ!」

 ここまで熱心に聞いてくれるのはすごくうれしい。

 来る途中では面倒くさいと思っていた気持ちもあったけれど、いつの間にかそういったものは霧散していた。


 

「ヨクイニンというのは、ハトムギともいう東方の穀物で……」

「茶にして飲んだり、穀物として食したりと色々な方法がある」

 僕はクリームヒルトの斜め前に座り、資料を見せながら説明していく。

 クリームヒルトは身を乗り出し、熱心にノートを取り、僕の言うことを一言も聞き漏らすまいという姿勢。

 身を乗り出すたびにブラウスの隙間から胸が少しだけ見える。

診察中ならこの程度なんとも思わない。だけど、今は診察中じゃない。

彼女の白磁のような肌が、きめ細やかで。

一心に僕の話を聞いてくれる姿が、魅力的で。

そしてイボも湿疹もすっかり治った素顔は、前とは比べ物にならないほど蠱惑的だ。

「東方では体内に溜まった熱を取り、胃腸を助けるといわれる」

 雑値を振り払い、授業に集中しようと努める。

「それがどうして、イボの治療に使われますの?」

「胃腸が肌を司るという考えがあって、内臓の働きを調整することで身体の表面にも影響するかららしい。『皮膚は内臓の鏡』とも言われる」

「はあ~」

 クリームヒルトがため息をつき、伸びをする。

 腕を上に伸ばしているから、ブラウスの下の胸の形がくっきりと浮き出る。女性の胸は、立ったり座ったりしているときよりも伸びをしたり、仰向けになる時が服越しの形がはっきりわかるのだ。

 彼女の胸は、お椀型だった。

「わたくしもあれからヨクイニンについては調べましたけど、ヨクイニンの有効成分を抽出することばかり考えていましたわ、東方の医学は発想が根本から違いますのね」

 疲労しながらも目を輝かせ、再び頭を下げる。

「あなたを招かず、自分の力のみで勉強していては一生辿りつかなかったかもしれませんわね。改めてお礼申し上げますわ」

 お世辞なんて何一つ感じられないそのしぐさを見て、人は変わるものだな…… としみじみ感じた。

「それにしてもあなた、本当は魔法医師ではありませんの? 聞いている限り、東方の医学だけでなく基礎医学にも通じておりますし、その分野ならば魔法医師にも引けを取らないと感じましたわ」

「……独学だよ。魔法医師とは違った経験や患者を診ているから、そう感じるだけ。魔法医師ならメガヒールが使えるはずだし、卒業名簿にウンラントの苗字が残ってるはずだろ?」

「それもそうですわね。卒業生の名前に、あなたはありませんでしたわ」

 興味を失ったようで、エッバは再びノートに視線を戻す。

「それにしてもあなた、やはりどこかでお会いしたことがありませんかしら」

 エッバは羽ペンを動かしながら尋ねるけど、僕はそれに返事をしなかった。

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