第4話 治せなかった、大切な人。
「ようこそ、帝都へ! ですわ」
駅前広場の一角に立っていつかのように白衣をまとったクリームヒルトが、僕たちを見つけると駆け寄ってきた。魔法医師の証である白衣の裾をはためかせ、腰まである紅玉のような髪が流れるように波打つ。
僕の所に治療に来た時、陰の差していた切れ長の瞳は年相応の明るさを幾分か取り戻していた。
良かった。
「エッバさん、お久しぶりですわ」
「クリームヒルトさんもお久しぶりー」
クリームヒルトは丁寧に、エッバはフランクにあいさつを交わす。
「ウンラントさんも、お久しぶり、ですわ…… その節は本当に、ありがとうございました」
クリームヒルトは僕と目が合うと少しうつむき、目をそらしてしまう。
何があったのかと思ったが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「あちらに馬車を待たせていますから、すぐに屋敷にまでご案内しますわ」
クリームヒルトはそう言って、アーデレ家の使用人と思われる獣人に馬車の戸を開けさせて僕たちを案内した。獣人は僕たちを一瞥しただけで淡々と乗り込ませ、安全を確認して扉を閉めた。
「むー、ご主人様がクリームヒルトさんを治してあげたのに、感じ悪いですー」
「まあ、そう言わない。名家ともなれば恩を着せて取り入ってくる人も珍しくないだろうし、色々とあるんだよ。僕らも警戒されてるんだろう」
ぷくりと頬を膨らませるエッバを僕はたしなめた。
御者が馬に鞭を軽く当て、馬車が走り出した。
馬車の中で、クリームヒルトと対面して座る形で話す。客人を乗せる席と馬車を操る御者や使用人の席は板戸で隔てられており、会話に専念できるようになっている。だがエッバは会話などそっちのけで馬車の窓から見える風景にはしゃいでいた。
「それにしてもよく迷わずに駅から出られましたわね…… わたくしでさえ、二、三回は迷いましたのに」
クリームヒルトの何気ない一言に、心臓が締め付けられるような感触を覚える。
「医術士の試験を受けに帝都まで来たことがあるからね、その時に覚えたんだ」
昔ながらの徒弟制で知識と技術を伝える医術士とはいえ、レベルにあまり差があるのは困る。そこで政府が年に一度医術士の共通試験を設け、これに合格した者のみ資格が与えられるのだ。
「そうでしたの。なら帝都は初めてではないのですわね」
クリームヒルトは興味をなくしたのか、それで話を打ち切って窓の外の風景に目をやった。
危なかった。
中央駅から延びるケーニヒ通りを進むと芝生に露店が点在し、散歩や音楽に興じる人々がいる広場が見え、その南側に円形に重厚な石造りの塔が見えた。
そのまま進み、一度郊外に出ると平地に建つ宮殿のような建築物が見える。
「あれが魔法医師大学ですわ。立憲君主制に移行してから、ヴュルテンベルク大公家の居城を大学の建物として譲り受けましたのよ」
譲り受けたというが、実際は買い叩いたのだろう。
市民たちの革命の後、貴族たちを全て追放し財産を没収すべしという過激な一派もいたが貴族の持つ知識や技術、コネクションは統治に必須であったためいくつかの特権の停止や財産・領地の国有化や民間への売却で終わったという。
その象徴があのヴュルテンベルク宮殿というわけだ。
それからさらに馬車で五分ほど行くと、モミやアカマツなどの針葉樹が広がる黒い森の中に先ほどの宮殿並みの屋敷が見えてきた。
「あれがアーデレ家の屋敷ですわ」
「ご主人様、すごいお屋敷!」
門番が守る鉄扉の門をくぐり、敷地内の林を抜けると壮大な屋敷が目の前にようやく見えてくる。
先ほどの宮殿並みの高さと広さを誇るその屋敷は、アーデレ家の権威を象徴するかのようだ。
「アーデレ家は、もともと王族を診る侍医の家でしたの。とはいっても魔法医師の社会的地位は、メガヒールが開発される前はそれほど高くありませんでしたから、ここまでの御屋敷はありませんでしたけど」
魔法医師のステータスがこれほどに高くなった今の時代では想像しにくいことだが、医学が未発達な時代は治療成績があまり良くなかったこと、さらには人に触れるという行為から卑しい職業とされた時代もあったくらいだ。
「アーデレ家は絶対王政が倒れて以降いち早く野に下り、メガヒールをはじめとする医学の研究に没頭した結果、魔法医師の地位を高めることに貢献しましたの。その結果得たものが魔法医師大学学長の地位、この屋敷をはじめとする莫大な資産ですわ」
だけど屋敷を見上げながら顔を撫でるクリームヒルトの目は、嬉しそうでも誇らしそうでもない。
「……まあ地位と資産で人が治せるわけじゃないしね」
僕は魔法医師じゃなくて医術士だけど。今まで治せた人、治せなかった人の顔が次々に浮かんできた。
自分の技量、患者さんの状態、気候や季節。そういった要因が無数に絡み合い、治癒の行方を決める。
「そうです、わね。わたくしも一番治したい人は、治せませんでした」
クリームヒルトは唇を噛み締め、拳を握り締めた。
全力を尽くしても治る人もいれば死んでゆく人もいる。その無情に、医に関わるものは常に耐えなければいけないのかもしれない。
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