第3話 批判ばかりしている人たちは頭が悪そう。
一月後。
石造りの駅のホームに、汽笛を響かせて汽車が入ってくる。
その様子をボンネットというつばの広い女性帽子をかぶり、ブラウスの上からジャケットを羽織って旅着に身を包んだエッバが犬耳を抑えながら見ていた。尻尾は僕は治療院で着ているズボン・ワイシャツの上から一張羅のジャケットを羽織っている。
これから行くところを考えればみすぼらしいほどだが、これが僕の持っている最上級の服装だ。
「すごいですねー、ご主人様。こんな黒くて大きな煙突が付いた箱が、すごい速さで動くんですから」
「うん、そうだね」
僕たちは汽車に乗り、帝都シュトゥットガルトへ赴くことになった。クリームヒルトからの一通の招待状によって。
「拝啓 ウンラント様
青葉若葉の芽吹く季節、如何お過ごしかしら?
先日は大変お世話になりましたわ。あなたのおかげで、物心ついてからずっと悩まされていた湿疹と縁を切ることができましたの。ここ数日、鏡を見るたびに喜びをかみしめております。
自分の見識不足を恥じいるばかりですわ。
つきましては、あなたから医学についていろいろと教えを受けたいと思いまして、帝都へお越しいただきたく存じます」
プライドの高い魔法医師が、医術士に教えを乞うなんて珍しい。僕にお礼をするための方便かもしれないが、医学の知識を習うという理由があれば患者を特別扱いしたことにはならない。なかなかうまい方法だ。
「無論お礼として十分な謝礼と、おもてなしも致しますわ。汽車の乗車券もあなたの助手の分を含め同封しましたわ。来ますわよね? かしこ」
という内容だ。丁寧なのか馬鹿にしているのはわからないが、魔法医師というのは研究と勉強ばかりしているせいか言葉遊びが下手で誤解されやすい人が多い。きっと彼女は真面目に書いたのだろう。
ここまでされて、下手に断ってアーデレ家から恨みを買うほうが危険か。
僕はそう判断し、行くことにした。留守の間、治療院のほうは知り合いの医術士に代理を頼んでおいたから大丈夫だろう。
「ご主人様、どうしたんですかー? 乗りましょうよー」
先に乗車したエッバの声で僕は我に返る。
万一に備え、護身用の武器を入れたポケットの中身を確かめる。ガラス同士が触れ合う澄んだ音。よし、大丈夫だ。
僕は膝を高く上げて汽車のタラップに足をかけた。
再びの汽笛の音とともに、汽車はゆっくりと走り出した。
はじめは徒歩のほうが早いと思われるくらいのスピードだが、徐々に駆け足ほどの速度になり、やがて馬が全力疾走しても追いつかないほどの速度となる。
「ご主人様―! 見てください、真っ黒な煙が後ろに飛んでってますよ! それに町がどんどん後ろに飛んでいきます! すごいですねー」
エッバは革張りの柔らかな席に後ろ向きに座り、窓越しに景色を見ていた。黒と茶の毛の混じった獣人の尾が興奮のあまりぶんぶんと左右に振れている。
そのせいでジャケットがめくれて、ブラウスの隙間から白い臀部がチラ見していた。
帝都への旅は正直言って気が重いが、彼女のあんな様子を見られるのなら悪くないだろう。純粋に汽車の旅を楽しむことにした。
クリームヒルトが用意してくれた席はなんと一等車、しかも貸し切りだった。汽車といえば屋根すらない、石炭を乗せる貨車に乗る三等車しか乗ったことがない僕たちにはずいぶんな贅沢だ。
体が沈む椅子と背中を預けられる背もたれがある部屋はすごく心地いい。車体は緩やかなカーブを通るたびに体が左右に揺れ、レールのつなぎ目を通るたびに上下に揺れるけれどその振動すら気持ちいい。
切符を切りに来た車掌が、一等車に獣人が乗っているのを見て怪訝な顔をしていたのだけが不愉快だったが。
発車しばらくは街の中を走っていた汽車は、すぐに平原や森に出る。
馬車よりも速く、しかも大量の物資を運搬できる汽車が国中の主な都市を結ぶことで、人・物資の流通が飛躍的に効率化した。効率化された流通は商工業の発展をもたらし、発展は資金と投資を促し、それがさらなる発展を生んだ。
巨大化した国家予算により、医学の研究も進んだのだ。
森の出口に見える、山に掘られた黒い闇。トンネルだ。汽車が警告のため汽笛を鳴らす。
「エッバ、窓を閉じろ」
窓から身を乗り出して景色を楽しんでいたエッバに僕は警告するが、一瞬遅れてトンネル内に充満した煙がエッバの顔を煤だらけにした。
ハイデルベルクから帝都シュトゥットガルトに到着する。シュトゥットガルトはネッカー川という河川沿いにある工業地帯で、中央駅近くにはブドウ畑が広がるなど文明と自然両方の顔を併せ持つ街だ。
数百年の歴史を持ち、古くからの城や教会など伝統的な建築物も数多く存在する。
汽車を降りるとまず、人の多さに圧倒された。ハイデルベルクの駅と違い、ホームに降り立つと人、人、人なのだ。数歩歩かないうちに人とぶつかりそうになる、人で前が見えない…… ハイデルベルクでは考えられないことだ。
「ご主人様―」
背の低いエッバが人垣に埋もれそうになり、僕は慌てて彼女の手を握った。僕より遥かに優れた運動神経を持つのに、僕よりずっと柔らかくて暖かい手。
初めて出会ったときは、こんな手じゃなかった。もっと小さくて、固くて、冷たい手。
そんなことを考えながら僕は駅構内を進み、出口に到着する。
ハイデルベルクとは比較にならない大通りと馬車、都会ならではの最先端の流行を取り入れたファッション、そして……
「ご主人様、あれ何?」
エッバの指し示した方向を見ると、壁に所々親指大の穿ったような穴がある。
「弾痕か……」
僕はそれを見て陰鬱な気持ちになる。
近年、産業の発展とともに力を持った市民たちにより絶対王政が打倒され、国の政治体制が立憲君主制に変わり議会が開かれた。それにより一般人の選挙で政治家が選ばれるようになり、それまでの貴族政治に替わって政党が乱立した。
ほとんどの政党は選挙で議会に党員を送り込むことで勢力を拡大しようとしているが、中には暴力やテロで政権を転覆させようとする過激な政党も非合法に存在するらしい。
多発するテロにより貴族政治の時代より悪化した治安と急増した重傷者に対応すべく、重傷者を治療する魔法の研究と魔法医師の育成が急ピッチで進められた。
大学を出ていない医術士に治療行為が公式に認可されたのも、軽傷者の治療まで魔法医師の手が回らなくなったからだ。
そんなことを考えていると、さっそく政治屋と出くわす。
帝都の駅前の広場で茶色っぽいズボンと帽子、汚れた長袖のシャツを着たいかにも労働者の代表と言うべき男が熱弁をふるっている。
「貴族死ねー、首相くたばれー。金持ちから税を取って貧乏人に分配せよ……」
ほとんどの人間は無視して歩いているが、何人かは立ち止まって彼の話を聞き拍手喝采している。彼らは「貴族打倒党」というらしい。
「ご主人様―、あの人たち何してるの?」
「自分の主張を人に聞いてもらいたい人たちだよ。」
「結局何が言いたいのー? エッバ難しくてわかんない」
「まあ貴族を倒して、彼らの財産を平等に分配しようっていうことだね」
かなりはしょったが、おおざっぱに言えばこんな感じだ。あちこちで何度も繰り返し聞かされているから大体わかる。
「それって貴族の人から泥棒しようってこと? 悪い人たちなの?」
「あまり大声で言わないほうがいい…… 彼らからすれば貴族が平民から高い税とるから悪者だってことさ」
エッバは首をかしげて、
「じゃああの人たちは貴族を倒した後、貴族のお仕事ができるのかなあ…… 頭悪そうだよ?」
無邪気な一言に、待ちゆく人々が失笑し演説を行っていた男も一瞬口を止めた。
なんだかエッバのほうが政治家に向いてそうだな。
だがエッバには選挙権・被選挙権はない。獣人には参政権が与えられていないからだ。参政権は人間のみに与えられている。
やばい政党がいるからああいう演説は取り締まられそうなものだけど、行政も見張っても逮捕してもきりがないのでこの頃は黙認していると聞く。
それに取り締まるにも強権的な手法を非難されると、次回の選挙が不利になるため政権も強く出にくいらしい。
だがテロへの対応として銃規制の強化には乗り出していて、この国では軍人か警察、もしくは狩猟などの目的以外で銃を所持することは禁じられている。
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