第2話 イェーガー家の魔法医師

 今日の午前中は治療院が休みなので、エッバと僕らの住む街「ハイデルベルク」を歩く。僕は長袖のシャツにズボンというシンプルな服装で、エッバは長袖のチュニックに動きやすいチノパンツ。ゆったりとしたチュニックの生地の上からでも豊かな胸部がその存在を主張していた。

 ハイデルベルクはオレンジ色の屋根の家が立ち並び、町の渓谷の北斜面には古代に建てられた城がまだその姿を残しており、観光名所の一つとなっている。この国で最も温暖な街の一つで、真冬でもめったに雪が降らない。

 住宅街から少し歩くと商店街となり、オープンカフェを開いている飲食店、店先に果物や野菜を並べ布の日よけで上を覆っている八百屋、雑貨を扱う店などが立ち並ぶ。

「ご主人様とお出かけなんて、すごく嬉しいです」

「いつも行ってるだろ?」

「嬉しいことは何度やっても嬉しいんです」

 よほど大切なことなのか、エッバは二度どころか三度繰り返す。

「そういうものか」

「そういうものです!」

 エッバがチュニックからはみ出た黒と茶色の毛が混じった尾を左右に大きく振って喜びを表現していた。

 医療の進歩とともに町の風景も変わったという。

 かつては通りの窓から残飯が捨てられ、路上に放し飼いになっている豚がそれを食べていた。人糞も同様だった。

 それが今では道から家畜も糞尿も残飯も一掃され、ずいぶんと清潔になった。

小石と砂利で舗装された道路は雨が降っても水たまりが形成されにくく、馬車の往来も容易となる。

 そんなことを考えていると、すれ違った馬車が道路に落ちていた石に車輪を乗り上げる。馬車が大きく左右に揺れ、エッバの方に向かってきた。

 危ないなんて言わない。必要ない。

 エッバは僕が気付いた時にはすでに馬車から距離を取っていたからだ。

尾をひるがえして犬のシェパードのようにしなやかに跳びあがる。身体能力に秀でたものが多い獣人ならではの動きだ。

 だが馬車の御者は当たったと思ったらしく、馬のくつわを引っ張って馬車を止め、降りてきた。

「すまねえ、大丈夫かあんちゃん……」

 帽子を脱いで僕に頭を下げたが、隣にいたエッバを見るや態度を変えた。

「どこに目をつけてやがる、獣人風情が」

 御者が吐いてきた唾を苦もなくかわしたエッバ。

なのに怒鳴りつけてきただけの御者に怯え、僕の腕を抱いた。

 腕に押し付けられたエッバの豊かな胸越しに伝わってくる、彼女の震え。

 エッバは時折こうして震えが走る。心の傷はここ数年で癒えても、刻みつけられた記憶のフラッシュバックは完治してない。

 僕は何も言わず、ただ彼女の頭と犬耳を撫でた。エッバの髪はサラサラで、犬耳は柔らかさの中に芯があって気持ちがいい。

 エッバは目をつむり、撫でられるがままになっていた。嫌なことがあった時はエッバにこうしてあげるのが僕たち二人の間の決まりごとの一つだ。

 普段ならこうしていれば震えは収まる。だが今回はエッバは耳を逆立て、突如目を見開いた。

 エッバの視線の先。そこには、馬車に轢かれたのだろうか、血にまみれた子猫が横たわっていた。

「ご主人様」

「……いや」

 猫を素早く視診した僕は首を横に振った。獣医ではないけれどもう取り返しのつかないことはわかる。

 猫は吐血し、四肢が潰され、腸すらはみ出している。

 呼吸も荒く、失血性のショックだろう。

 医術士の使うヒールは小さな傷を治すのが精いっぱいで、ここまでの重傷を治療することは不可能だ。もう一つの医学を生業とするものならば別だが……

 再びエッバの耳が逆立つ。

 ローファーが地面を叩く音が、雑踏の中でやけにはっきりと聞こえた。

白衣を身にまとった少女が、死にかかっている猫のほうへと近づいていく。

 血を吸い続けてきたかのように赤い髪が、腰まで伸びて白衣を血潮で染めるかのように彩っている。切れ長の意志が強そうな瞳に整った鼻梁は女神の彫像を思わせる美しさだ。しかし顔にいくつか湿疹があり、その美しさを損なっていた。

 白衣の裾からのぞく手や足はまるでミルクのように白く艶があるのに、湿疹のできた顔だけは潰れたトマトのシミがかかったかのように赤く、膿が滲んでさえいる。

 かなり痒みがあるのか、歩きながらでさえ時折湿疹を指で引っ掻いていた。

 彼女の顔を見た途端に、僕は胸が痛いほど騒ぐ。

「ご主人様―。どうしたの?」

 エッバが犬耳を軽く伏せ、心配そうに僕を見上げてくる。

「何でもないよ」

 僕は他の人間と同じようにこの場を立ち去ろうとしたけど、彼女から目が離せなかった。体が血で染まり内臓がはみ出た猫を彼女は恐れる様子もなく、その傍らにゆっくりとひざまずく。ブーツの底に血が付着した。

 彼女は痙攣している猫を観察し、いつの間にか取り出した手袋をはめた手で軽く猫を触った。それから掌を猫にかざし、桃色の唇を開く。

「メガヒール」

 掌から溢れ出る青い光が猫を包み込む。

 荒い呼吸も、冷汗も収まり、飛び出た腸も吸い込まれるように腹部に収まっていく。内臓がすべて戻った後に傷口に青い光が集中し、元通りにふさがった。

「ほら、終わりましたわよ」

 致命傷を負った動物を元通りにしたことを、自慢したり賞賛を求めたりすることも一切なく、ただ当然のことのように彼女は言った。

 猫を心配していたエッバを飼い主と勘違いしたらしい。

 だが致命傷を治療された猫は、馬車に轢かれたことが夢のように「ごろにゃん」と一鳴きすると、軽快な足取りでその場を去って行く。やがてその姿は雑踏の中に消えていった。

「あ、ありがとうございます」

「気にすることはないですわ。傷つき病める者を癒すことが『魔法医師』の誇りであり高貴なる義務ですから」

 少女は顔の湿疹を再び引っ掻く。その時の表情に自嘲めいたものを感じた。

だがそれも一瞬のことで、颯爽とその場を後にした。

 血を吸ったかのように赤い髪は雑踏に紛れてもその存在感が色あせることはなかったが、やがて彼女は人ごみの中へ消えていった。

「すごかったですね」

「うん。魔法医師でもあれだけの使い手は珍しい」

 魔法医師。それは医術士と同じく医学を生業とする者だが、専門が違う。

 医術士は生薬や魔法、それにちょっとした小技などあらゆるものを併用し小さな病気を治す。

 一方魔法医師は強力な治癒魔法を用いて、重症や重病の患者を治していく。

 医学を生業とする者は現在大別してその二つだ。魔法医師は大学への入学、高価な学費、厳しい国家試験と実習など、ハードルと給料と社会的ステイタスが非常に高い。

一方医術士は学校に行く必要すらない。昔ながらの徒弟制で、そこで数年働いた後に試験を受け、一定の知識と治癒魔法が使えると認められれば資格を持てるのだ。

 当然魔法医師のほうが社会的なステイタスも給料も高い。

 そして二者の差を決定的なものにしているのが「メガヒール」だ。綿密な解剖学・生理学の知識をもとに行う魔法で、人間の自己治癒力を高めるだけの通常のヒールと違い、失った血液、破壊された骨や内臓などの内部組織を「創り出して」しまう。

 メガヒールの開発によりそれまで救えなかった重傷者の治療が可能になった。

 習得には魔法医師大学に入学し、猛勉強に耐え、ある特殊な条件をクリアすることで可能になるといわれるがその内容は一般には公開されていない。

「それにしても、あのメガヒール……」

 メガヒールは魔力の消費がけた外れに大きく、熟練した魔法医師でも一日五、六回の使用が限界。しかも使用した直後は立っているのもおぼつかないほどに消費する。だがあの少女はまだ余力を残していたようにすら思える。相当の使い手だ。

 魔法でこれだけの治癒が可能なら、地水火風や光、闇の魔法なんてものがあっても良さそうなものだけど、今のところ実用化され、国で公認されているのは治癒魔法の系統だけ。水道にも農業にも、そして戦争にも。魔法は使われていない。



「クリームヒルト・フォン・アーデレさん、どうぞー」

 午後の診療の時間。名前を呼んだとたんに声が震えるのを抑えながら、僕は次の患者の入室を促す。

現れたのは昨日も見かけた、コートのように長い白衣を羽織った赤髪の少女だった。長い白衣は魔法医師の証であり、彼らしか着ることを許されていない。しかし彼女の外見は明らかに十代で、魔法医師にしては若すぎる。

 しかしメガヒールを使ったことから魔法医師であることは間違いない。飛び級を可能にするほどの実力者なのだろう。もしくは相応のコネがあるか。

「なんですの?」

 入室してきたクリームヒルトは、僕を見るなり面立ちを歪めた。険のある切れ長の瞳が闇を帯びているようにさえ思える。

「視診を行っているだけだ」

 彼女の苛立たしさの混じった声に、僕は淡々と答えた。

 患者が診察室に入ってくるときから診察は始まっている。歩き方、表情などからもある程度病気は絞れる。片足を引きずるように歩いていれば脳卒中や足の骨折、両足の足背を引きずるように歩いていれば小児麻痺が多い。

「どうせわたくしごとき若輩が魔法医師で、心もとないとでもおっしゃるのでしょ?」

「あのアーデレにそんなことは言えないよ。それなら魔法医師の所で診てもらえばいいだろう。アーデレ家は魔法医師の大家なんだから」

 この時点ですでにクリームヒルトの病気にあたりをつけたので、僕は意地悪くそう返答した。

「魔法医師がこの程度の病気で手を煩わせる暇などありませんわ。だからこそあなたがた医術士がいるのですよ」

 診察される側だというのに、上から目線のクリームヒルトとかいう女子はそう言い放つ。

 確かにそうだ。医術士など、魔法医師の下位互換にすぎないのだから。

 でもどちらも、患者にたいして全力であたるという点は変わらない。

 性格の悪い魔法医師や医術士は珍しくもないけど。

「その顔にできてる湿疹やイボをどうにかしてほしいっていうことだね」

 それ以外の疾患も考えたが、発熱もなさそうだし外傷も動き方を見る限り見当たらない。

 町で会った時には湿疹、とだけしかわからなかったがイボの周辺にできたにきびが化膿して浸出液、つまり膿がひどい。魔法医師なのだから薬は塗っているようで顔が薬で脂ぎっているが、そのせいで皮膚呼吸が阻害されているようにも見える。

放置しても死亡したり重篤な障害が出たりするわけじゃないけど、女子だし顔の湿疹は早く何とかしたいだろう。

「あなた、一目で尋常性疣贅…… いえ、イボもできていると分かりましたのね」

 彼女は初めて感心したような視線を僕に向けた。

「まあ、魔法医師には及ばないけど医術士だからね、これくらいは。でもクリームヒルト、いやアーデレさん。この近くの人ですか?」

 アーデレ家がこのハイデルベルクの住んでいるなんて聞いたことがない。

「いえ。わたくしは帝都に住んでいるわ。魔法医師大学に勤めているし」

 やはり、この近くには住んでいないか。

「でも魔法医師でも、医術士でもわたくしの顔の湿疹を治せる人がおりませんのよ。そこで近隣の都市に腕のよさそうな医術士を何件かあたっていますの」

 ということは、ほかの医術士は治せなかったってことか。下位互換の医術士を次々に頼るのはプライドの高い魔法医師にしては屈辱だろうけど、さすがはアーデレ家。プライドより医学を優先させたか。

「まあ少し待って」

 顔に手をかけて診察する。湿疹を指で押したり、ピンセットで軽く刺激したりして確かめてみる。

 僕の顔が近づくとクリームヒルトはうっすらと頬を染めたが、僕はこれくらい慣れっこだ。診察室で患者と対面するときだけはスイッチが切り替わったように欲情しなくなる。患者の顔や肌に変な気を起こすようでは医術士なんてやってられない。

 僕は手元の診療記録に名前、日付、診断や所見に患者の反応といったものを書いていく。

「まずイボ以外の皮膚から治すね、ヒール」

 緑色の光が顔を包み込んでいく。光に照らされたクリームヒルトは、魅せられたかのようにそれを見つめていた。

「こんな綺麗なヒール、魔法医師の教授ですら見たことがありませんわ」

「……まあ基礎の治癒魔法だし、これだけやってればうまくもなるよ」

 驚き、尊敬すら感じられる視線を向ける彼女に対し僕はぶっきらぼうに答えた。

 それから彼女は自分の顔をペタペタと触るが、すぐにその表情が曇る。

「まだ治りきっていませんわよ? イボも残っているし……」

「さすがに他の魔法医師や医術士が治せなかったのを、そんな簡単には治せないよ」

「さっきは治すと言ったばかりではありませんの! これだから大学にも行っていない医術士は……」

 話が長くなりそうなので、僕は彼女が興味を持ちそうな話題を提示して遮った。

「まだ終わってないよ」

 僕は薬棚から茶色い実の入った袋を取り出す。

「これは……?」

「ヨクイニン。ハトムギともいうけれど、東洋に伝わるイボ取りの薬だよ」

「初めて聞きましたわ」

「僕も、知ったのはつい最近だよ。でもイボ取りに効き目がすごく強いから、よく使ってる」

「ふん。でも治る保証はないのでしょう?」

 それを言われると苦しい。

「まあね。完治するのは三割足らずかな」

「そんな治療法、信用できるわけが……」

「やってみなくちゃわからない、だよ」

 僕はクリームヒルトの言葉を遮って中の実を取り出し、掌をかざして詠唱する。

「メディスンヒール」

 今度は黄色い光がヨクイニンの実を包み込む。

これもヒールの応用で、薬を触媒として使いその薬効の微調整を行うことで薬の効き目を上げる魔法だ。

 主にヒールは外傷に、メディスンヒールは病気に使用する。

「量が毒を成す」と言われるほどにわずかな量の差が薬を毒に変えてしまうため、薬を使う際にメディスンヒールは非常に重要な魔法だ。

 黄色い光をその種子に帯びたヨクイニンを指でつまみ、クリームヒルトのイボに当てていく。

 それからさらに魔力を込めると、光がガスのように気体となって彼女の顔を包み込む。

 三割は完治、八割が良好な結果を示すといわれるが、どうだ?

 医術士になったころは、緊張ばかりしていた。治せなかったらどうしよう。なんて言われるんだろう、その時なんて答えればいいのか。

 そんな風に失敗したときの想像ばかりしていた。

 そういう気持ちが顔にも表れていたのか、僕に治療する人たちは不安そうな表情をしている人たちばかりだった。

 でも経験を積み、成功も失敗も積み重ねて、だんだん成功することが多くなって。

 そうするうちに「慣れた」。

 いい意味でも悪い意味でも、覚悟が決まったのだと思う。治療するときの度胸がついて、失敗したときに動揺しないようになった。

 僕は神様じゃない、まして魔法医師でもない一介の医術士だ。すべての人を救うことなんてできはしない。できることは、目の前の患者さんに対してベストを尽くすだけ。

 それが成功しても失敗しても、しょせん運命だ。

 そう割り切ってしまえるようになった。

 今回は幸い、無事に治せた。

 メディスンヒールの黄色い光が収まって、ガスが晴れた時、クリームヒルトの顔にあったイボがきれいさっぱりなくなっていた。

「はい、どうぞ」

 助手のエッバが持ってきた手鏡でクリームヒルトは顔を確認する。

「嘘……」

 顔にいくつかあったイボが消え、ミルクのように白く美しい肌が彼女の美しさを引き立てる。切れ長の輝く瞳、長いまつげ、整った鼻梁、燃えるような赤い髪は道行く者誰もが、いや動物でさえ振り返るだろう、そう思わせるほどの美しさだった。

 だが突然、瞳から涙があふれだした。

 顔と同じミルクのように白い手で拭うのだが、後から後からあふれ出して止まらない。エッバがハンカチを貸すがそれすらすぐにびしょぬれになってしまった。

 ちょっと泣き方が異常なほどだ。

「どーしたのー? なんで泣いてるのー?」

 エッバが彼女の背中をさすって泣き止ませようとする。

「だ、だって」

 クリームヒルトは嗚咽とともにしゃべり始めた。

「わたくしのこの湿疹は、物心ついた時からずっとで、このせいで男子からいじめられることもあって、それがすごく嫌で、子供のころから泣いてばかりで、魔法医師の方や医術士にお願いしても治らなくて、自分が魔法医師になっても治せなくて。でもそれが、やっと、やっと……」

 感極まったのか言葉が出てこなくなる。嗚咽だけを漏らし、嬉しいのに泣いている。

「ありがとうございますわ、本当に!」

 僕の手を握りしめて、頭を下げてくる。彼女の手から、彼女の言葉以上の感情が伝わってくる。

 医術士をやっていて、良かったと思える瞬間だ。多くのことが中途半端で終わった僕が医術士になって初めて味わえた思い。

 人から感謝されること。人から、必要とされること。

でもそんな情感は、すぐに現実に取って代わられる。

 エッバが犬耳を逆立てて、ついでにしっぽも逆立てて僕たちを見ていた。

「うー。ご主人様、いつまでそーしてるんですか?」

 気が付くと、僕の手を握ったクリームヒルトの顔が僕にだいぶ近づいていた。彼女の赤い髪と同じ色のまつげの一本一本まで見えるほど、近くに。治療が無事終わって、前よりもずっと可愛くなった彼女の顔が、さっきよりずっと近くにあった。

 顔が近づいたくらいでは動じない。それくらい、医術士になれば慣れっこだ。

 顔が急に赤くなっていく彼女を見ても、女子独特の甘い香りが鼻腔をくすぐっても、僕と目が合った瞬間に目をそらすクリームヒルトを見ても、動じない…… はず。

 だから自分の顔が熱く感じるのも、きっと気のせいだ。

「も、申し訳ございませんわ」

 クリームヒルトが僕の手を離し、距離を取る。少しだけ残念と思ったのは内緒だ。

「そ、それよりも」

 彼女は場を仕切りなおすかのように軽く咳払いする。

「あなたのメディスンヒールは珍しいですわね。黄色い光を発するところは同じですけど、あのようにガス状になるなど見たことがありませんわ」

 彼女もメディスンヒールを軽く使ってみるが、黄色い光だけでガス状にはならない。

「まあ、他にも色々と応用があるから……」

 実は褒められた応用ではないのだが、言わぬが花だ。

 そんな僕の葛藤など気づいていないかのように、彼女は言葉を続ける。

「やっと、わたくしの病気を治してくださったのですから。お礼をさせていただきたいですわ」

「いや、いいよ」

 僕は即座に断る。

 こういうことを言う患者さんは多い。治療費のほかにそっと現金の入った封筒を置いていこうとする人もいた。だけどそれを認めると、特別扱いする患者さんが出ることになってしまう。

 そうなるといろいろと問題が出るので、基本的にお断りさせていただいているのだ。

 僕が間髪入れずに断ったのを見てクリームヒルトは一瞬気分を害したようだけど、彼女も魔法医師であるせいか、すぐにその理由に思い立ったようだ。

「す、すみません…… 気分が高揚して、はしたない真似を。ではせめてお名前を」

「……ウンラント」

 僕はそれだけを名乗った。オーラフという名前は、正直名乗りたくはない。

「ウンラント? どこかで聞いたことがありますわね」

「ここ一帯にはウンラントっていう苗字が多いからね。よく言われるよ。…… いや、アーデレさん」

「別にクリームヒルトで構いませんわ。アーデレという苗字をひけからすつもりもありませんし、わたくしはアーデレ家だから魔法医師になったわけではないの。あくまでわたくし自身の願いですのよ」


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