第7話 医学が及ばない領域 女子のこだわり
中央駅からケーニヒ通りを通り、シュトゥットガルト郊外。昨日も見たかつて大公家の宮殿であり、今は魔法医師大学の敷地となっている場所。
魔法医師大学は学費の高さと入学試験の難しさのためか貴族の子女・平民の資産家が多く在籍している。だが最も多いのは親や祖父母が魔法医師という生徒たちだ。
そのためコネが入試以上にものを言うという噂もあるが、建前は平等に門戸を開いているということもあり真偽は定かではない。
それに入試枠はごくわずかだが、学費免除の特待生もあるなど貴族・資産家・魔法医師の家計以外でも入学が可能なシステムがある。
「クリームヒルトは魔法医師大学のどこに勤めているの?」
僕は馬車を降り、授業の資料を入れた革製の鞄を手に持ちながら聞いた。
「わたくしは診療部門ですわ。研究部門へのお誘いもあったのですけれど、やはり患者と直接顔を合わせるほうが好きですから」
噂では、普通は成績優秀者から研究部門に回されるらしい。飛び級を繰り返した彼女なら研究部門かと思ったけど、誘いをよく断れたな。
彼女自身の強い希望か、アーデレ家の力か。
校舎は淡いオレンジ色の壁に木組みのガラス窓がはめ込まれ、屋上には白い石造りの欄干の上に小さめの彫像がいくつも建てられていた。
正門前には庭園があり、校舎まで続く石畳の道沿いに、色とりどりの花が咲き誇っている。
それだけを見れば心温まる光景だけど。
「こんなところにも……」
魔法医師大学の敷地前に建てられた屋敷や塀に、親指大の穿ったような痕がいくつもある。
警備の兵らしき人たちがあたりを巡回しており、駅前で見かけた過激な主張を繰り返す人たちも見られず、こんな事件は起きそうにないのだけど。
「数年前から帝都で起きている過激派による事件の一部ですわね。人を治し、癒し、日常に返すための場でなぜこんなことを起こすのかしら」
クリームヒルトは憤懣やるかたない、といった感じでつぶやく。自分の職に誇りを持っているのだろう。
だが、エリートたる魔法医師が過激派から狙われる理由なんていくらでもある。
嫉妬。
エリートや金持ちが悪だという過激な思想。
そして、治療をする人間がいなくなればテロの効果が増すという戦略的思想。
「犯人を捜しているのですけど犠牲者が出たわけでもないので、警察や軍も別件を優先せざるを得ないようですわね」
別件を優先させる、か。魔法医師大学が軽んじられるわけないのに、おかしい。すでに警察内部にスパイが入っているのかもしれないが、僕には調べようもない。
昨日も駅で貴族死ねー、など過激な演説があったから心配になってきた。
僕はハイデルベルクでも確認したが、再びポケットの中身を確認する。ガラス特有の澄んだ音が鳴るのを確かめることで少し安心した。
ちなみに服装はシュトゥットガルトを出発したときと同じ、ワイシャツとズボンの上からジャケットを羽織っている。
クリームヒルトは白のブラウスと浅くスリットが入ったタイトスカートの上から白衣を羽織っている。タイトスカートはそのままでは体の線が出てしまうけど、白衣を上から羽織ることで目立たなくなりフォーマルな感じになっていた。
魔法医師大学校舎の門をくぐり、中へと入る。
重厚なイチイやニレの木材で建設された大学の内装は、宮殿風の外見と違い額縁も調度品も飾られておらず、ガラス窓と各教室への扉、それに教室名が描かれたプレートしか目立つものはない実用性重視の造りとなっている。一方床など多くの人間が歩いてきた場所は黒く色づき、長年の歴史を感じさせた。
僕らはクリームヒルトの好意で、授業をする前に研究室へ案内されることになった。
「わたくしばかり講義を受けていても不公平ですわ」
ということらしい。義理堅い彼女らしいな。
「クリームヒルト様、あんなに美しい方だったのですね」
「魔法医師大学を最年少で卒業した才女に加え、あの美しさ……」
「急にご尊顔の湿疹が完治しましたけど、どうなさったのでしょう? きっと素晴らしい魔法医師の方に治療してもらったに違いありませんわ」
白衣をまだ来ておらず書物と筆記具を持ち歩いている女子学生たちとすれ違うたびに、クリームヒルトを遠目に眺めながらそう談笑しているのが聞こえてくる。
クリームヒルトはそれを見て鼻が高いというよりも、トラウマを思い出しているような顔だ。
「昔は顔の湿疹のせいで、散々に容姿をからかわれましたから。容姿について言われるのがまだ怖くて…… でもここ一月は褒められることが多くて、トラウマが軽減していくのを感じていましてよ。あなたは心をも癒してくれましたわ」
学生のほかにも魔法医師の証である白衣を羽織った研究員らしき者、他大学や教養の専門職として招かれた講師らしき者が学内を歩いている。
すれ違うと軽く会釈を交わすが、すぐに自分の世界に戻っていく印象を受ける。
彼らは研究所や教科書を読みながら歩いたり、表情がころころ変わったり、指をせわしなく動かたりと色々なタイプがいるが、魔法医師と明らかに雰囲気が違う外部講師らしきものを除いて皆ギラギラとした目で、野心を持っているのが伝わってくる。
もっと知識を増やさないと。
次の試験でもっと上を取らないと。
研究を早く進めなくては。
そんな焦りといら立ち、そして喜びに満ちた目をしている。
自分と別世界の人間であることを肌で感じるのか、エッバは居心地が悪そうだ。
ついてこなくてもいいとは言ったが、僕と離れるのが嫌なのかついてくることを選択した。
ちなみにエッバは獣人なので、服の上からフード付きのマントを羽織って犬耳と尾を隠している。
ここに来る以前にクリームヒルトから忠告を受けたためだ。
『あまり言いたくはないのですけど。獣人に対する差別も根強いですし、それに彼らを実験材料のようにしか考えていない研究員もおりますの』
というより、獣人は大学に入学できないのだが。
獣人は頭蓋骨の構造上人間より二千年は発達が遅れているとされ、知能の劣った者に高等学問など教える必要はないというわけだ。
獣人の方でもそれがほぼ常識となっており、異議を唱える者は特殊な政党に属する者などごく少数しかいない。
エッバに一度、もし大学に行けたら行ってみたいか聞いてみたことがあるけど、興味すらない感じだった。
魔法医師や著名人、名士、が多い中で僕は浮いた存在に感じて居心地が悪い。早く案内される研究室に着きたい。その内部ならまだ人目が少ないはずだ。
そう思うと自然と足取りが早くなり、クリームヒルトを追い越してしまった。
彼女の驚くような声が、後ろから聞こえる。
「あなた、迷いなく進まれますわね。まるでどこに何があるかわかっているかのような足取りですわ」
僕は足を止めることなくそれに答えた。
「学校は基本的に同じ作りだからね。医術士の仕事で小学校くらいなら行ったことはあるし、」
「ああ、そうでしたの。色々なことで仕事をされていたのですね」
クリームヒルトは納得したように頷いた。
前に見える角を曲がれば、案内されるはずの研究室に着く。そう思い歩を早めると、曲がり角から出てきた別の人間にぶつかりそうになった。
僕は辛うじて、エッバはさっと避けた。
ぶつかりそうになったのは白衣を着た魔法医師だった。痩せぎすで背が高い。眼鏡をかけ、値踏みするかのような視線で僕たちを見る。
「すみません」
僕は謝罪したが彼は舌打ちをしただけで、謝ろうとする素振りすらない。
エッバが何か言おうとしたが、僕は手でそれを制した。何か言ったって、ろくなことは
ないだろう。
「ん? 貴様は獣人か。それに貴様は……」
エッバが獣人であるとばれた? 犬耳と尻尾は隠してあるのに?
教授はさらに僕の顔をじろじろと眺めたが、すぐに興味を失ったかのように視線を手元の学術書に戻した。そのまま廊下を去ってしまう。
「なに、あの人? 嫌な感じ~」
エッバが彼の背中に向かって舌を出す。それを見てクリームヒルトは額に手を当て、疲れたように漏らした。
「気になさることはありませんわ。ハイマン教授はいつもあのような感じですのよ。『医学の研究と実践以外に興味はない』が口癖ですわ。獣人がいても気にされないでしょう」
「それにしても、なんで私が獣人だってわかったのかなー?」
「彼は解剖も得意ですから。隠していても、頭蓋骨の形状で見抜いたのでしょう。では、こちらですわ」
やっと研究室に入ることができた。
授業は午後からだったので、大学の研究をいくつか見せてもらうことになっていた。
国内屈指の難関大学というだけあって多くの見学者が訪れるので、教授も研究室の職員も、手慣れた感じだ。
水の入った容器と小さなコップ、それに様々な薬品を入れた瓶と試験官が戸棚に並ぶ研究室は白衣を着た研究員が数名いて、僕たちを見ると挨拶してくる。
エッバは気疲れしたのか、研究室に入ると机に突っ伏した。
「は~」
ちなみに。
彼女ほどの胸の大きさになると、机の上におっぱいが乗る。
伸ばされた腕と、机に挟まれたブラウスの下にある巨乳。
身じろぎするたびにぐにゅぐにゅと形を変え、服の上からでも柔らかさが伝わってきそうだ。
服のしわが動くだけでも正直エロい。
クリームヒルトは歯ぎしりしながら、エッバを悔し気に見つめていた。
医学が進んでも人を巨乳にする技術はいまだ完成していない。
乳貴族と乳平民の無言の争いが終わった後、エッバが起き上がり見学が始まった。
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